このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

旧千歳線こばなし

 

■いまの千歳線

 千歳線といえば、今日では特急街道であり、また都市型の路線でもあり、空港アクセス路線でもある、JR北海道の顔ともいえる基幹路線である。私的な好みとしては、以下の車両が好きだ。

  
 左: 781系@札幌(平成12(2000)年撮影)  右: 721系@千歳(平成14(2002)年撮影)

  781系は老いの坂を迎えており、原型の美しさは損なわれているが、それでもまだ空港アクセスなど第一線で活躍している。 721系は最新型という色こそ褪せたとはいえ、外観デザインは実に秀麗である。3扉デッキ付という構造は都市圏輸送と冬期室内保温を両立させる発想で、なぜそれが今日に継承されていないのか、不可思議である。

 

 

■昔の千歳線

 千歳線の発祥は北海道鉄道(前身は北海道鉱業鉄道)という私鉄であり、沼ノ端−苗穂間が大正15(1926)年に開業した。ほんらいは札幌市中心部(大通)への乗り入れを計画していたものの、豊平川への架橋をついに果たせず、東札幌付近でクランク状に迂回して函館本線に接続したとされている。なお、北海道鉄道は昭和18(1943)年に国有化された。

  旧千歳線関連路線図

 東札幌では定山渓鉄道が接続するなど、相応に密なネットワークが構成されていたようにいちおうは見える。しかし、実は旧千歳線も定山渓鉄道も単線であり、幹線輸送や都市圏輸送を担うスペックを備えない細道にすぎなかった。

 千歳線複線化にあたっては、上野幌−苗穂間で全面的な路線付替が行われた。その理由としては、東札幌付近の急カーブ解消などよりもむしろ、札幌貨物ターミナルに千歳線と函館本線の貨物取扱を集約したことが隠れた有力要因であろう。仮に旧千歳線をそっくり活かすとすると、貨物ターミナルは札幌の西方(おそらく手稲あたり)につくらなければならない。札幌発着の貨物列車を、旅客列車の一大拠点たる札幌駅を通過させるのも芸がない話で、東方のフリンジに発着点を集約する発想はごく自然といえる。

  
  DF200@札幌貨物ターミナル(許可を得て撮影/平成12(2000)年)

 

 

■今日の旧千歳線

 旧千歳線の敷地は、とりのこされた。札幌市東西線の路盤として転用するという構想もあったようだが、これは実現していない。もし実現していれば、南北線平岸−真駒内間のように、シェルターで覆われた高架鉄道が街並を圧していたであろう。都市景観あるいは土地の高度有効利用という観点からすれば、東西線は地下鉄になってよかったといえる。

 旧千歳線敷地は、大部分がサイクリングロードになった。単線の細長い敷地の活用方法としては、このような転用しかできないのは理解できる。しかし、ここは札幌である。冬になれば雪に見舞われるわけで、自転車は通年使えるモードではない。それなのに、かくも立派なつくりの橋を架けてしまうというのは、どういうことなのか。

  旧大谷地駅東方(平成14(2002)年撮影)

 これはニールセンローゼ橋と呼ばれるもので、他タイプのトラス・アーチ橋の主部材が全て鋼であるのに対し、ケーブルが斜め格子として入っている点が特色である。50〜 200m程度のスパンに適合し、重荷重が載っても弓を引き絞るような形で橋全体に荷重を配分するため、高い耐力を持つ構造である。しかしなぜか、鉄道での例は数えるほどしかなく、歩道橋での例が極めて多いのである。

 例えば山鹿温泉鉄道なども水害から復旧できず廃線になり、敷地はやはりサイクリングロードに転用された。そのサイクリングロードは、もとの貧弱な鉄道よりもよほど高規格な構造だという。奇妙な話ではある。

 状況によっては鉄道よりも自転車の方が効用が高い可能性もあるから一概に論じるのは危険であるかもしれず、あるいは大都市には憩いの場のような「ゆとり」も必要であるとしても、社会基盤を構築する手法としては、疑問符をつけざるをえない。

 自転車ユーザーはこのサイクリングロードを通っても使用料を払うことなく、維持管理費は市の予算から拠出される。(都市経営を含め)経営という観点で評価される機会は、まずない。その一方、地下鉄ユーザーは高額な運賃を支払っているが、それでも経営状況は厳しく、重い初期投資負担に喘いでいる。赤字が出れば、各方面から囂々と批判される。

 どこかに「ねじれ」があるに違いない。

  大谷地バスターミナル(東西線大谷地駅併設/平成14(2002)年撮影)

 こちらはバスターミナルの写真である。市内路線ばかりでなく、高速バス路線の結節点でもあり、「駅」機能は旧千歳線時代と比べ長足の発展を遂げている。これが旧駅の転用であれば話として面白いところだが、旧千歳線敷地に近接しているとはいえ(写真左手の青柵付近が旧千歳線線路敷に相当)、縁もゆかりもない立地である。重視されているのはむしろ、高速道との連携である(道央自動車道札幌南ICからごく近い)。

 つまりこれは、旧千歳線は都市交通機能を担う要件に欠けていたことを示す傍証の一つといえよう。線路敷が中途半端に華美なサイクリングロードに転用されたのも、あるいは必然的な展開にすぎないのかもしれない。中途半端な底地は、中途半端なものにしか化けようがないであろうから。

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