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随感随記

コンサートのチケットを買う
(改訂版)

5月1日はメーデー。もちろん中国でも「労働節」や「五一節」などと呼ばれ休日である。もともとの三連休に加えて去年からは土日も合わせた大型連休を職場で導入するよう政府からのお達しがあり、日本語の「ゴールデンウィーク」を翻訳したと思われる「黄金週」という新語が新聞を賑わせている。この時期には各地で様々なイベントが企画され、ここ北京は特に2008年のオリンピック誘致を控えているため今年は例年よりも賑やかである。

そんな中、たまたま友人がコンサートのポスターを街角で見つけて教えてくれた。「申奥」(オリンピック誘致)の一環として北京市文化局などが主催する大型イベントで、出演者がスゴイ。張学友、黎明、林憶蓮、斉秦、順子、迪克牛仔、黄偉麟、毛阿敏、那英、韋唯、孫楠、藏天朔、韓紅、謝雨欣、解暁東など大陸だけでなく香港や台湾からも有名なアーチストが参加する。さらに特別ゲストとして周星馳、姜文、章子怡、趙薇、楊瀾なども来るらしい。場所は工人体育場(労働者スタジアム)という巨大な運動場で、私は1999年に台湾の張惠妹(阿妹)のコンサートでこの会場に行ったことがある。音響はいまいちで席によってはステージ上の人物が米粒にしか見えないし、出演者が多い分とうぜん一人当たりの持ち時間も少ないだろうが、このメンバーでは「買い」である。

さっそく学校近くのスーパーの脇にあるポスターを見に行き、出演者、日時、会場、チケット売り場などの情報を書き写した。肝心の料金がポスターに書かれていないのがおかしかったが、とにかくチケット販売の元締めと思われる電話番号にかけてみた。ちなみにこの代表電話は、「中華世紀壇」に繋がった。私はまだ行っていないが、「中華世紀壇」とはなんというか「中華民族の団結と中華5000年の歴史を象徴する新世紀のモニュメント」というやたらとデカイ構造物で、ミレニアムに合わせて作られた「偉大な中華民族の新たな誇りの中心」(中央電視台評)である。以下はその偉大な世紀壇のチケットセンターとのやり取りである。

■4月16日(月) 午後1時
女性が電話を受ける。応対は丁寧。値段のことを質問すると120元から1000元まで各種あるとのこと。チケットは四環路(北京の第四環状道路)の内側であれば無料で届けてくれるらしいが、あいにく私の居る学校は少しだけ外側。5〜6枚買うからなんとならないかと掛け合ってみたら「いいわよ」となんとかなった。ありがたい。同行する友人たちと席の相談をすることにして一旦電話を切る。

■4月18日(水) 午後3時
友人たちと相談の結果、500元の券を6枚買うことになり再度電話。電話を受けた男性は忙しいらしく、応対が雑。名前、電話番号、券の種類、枚数を伝え、「住んでいるのは語言文化大学」と言うと、「あー、そこなら知ってるよ。住所は要らないからどの宿舎か教えて」と言われる。券の配達日は「明日。一番遅くても明後日」とのことなので、「必ず午後に来てください」とお願いする。そして「場所が分からなかったり何かあったら電話ください」とも言っておいた。

■4月19日(木) 午後
午後は7時までずっと寮の部屋に留まる。チケットも電話も無し。日本のアルバイト雑誌に「時給800円以上」とあったらもれなく時給は800円なのと同じで、「明日か明後日」なら明後日だろうと納得する。

■4月20日(金) 午後5時
午後5時くらいまで待っても来ないので偉大なる中華世紀壇に3回目の電話。受けたのは女性。用件を伝えると、「あら、あなた以前に問い合わせの電話をくれたでしょ。取ったのは私よ」と言われる。おお、この丁寧な応対はあの人だったのか。しかも覚えてもらえているとチト嬉しい。「あら、チケット来ないの?ちょっと待ってね探してみるから」とゴソゴソ。1分ほど待つと「無いわねぇ」の一言。おいおい。結局もう一度注文することになり、18日と同じように券種、枚数、名前、電話番号を伝え、万全を期して完全な住所を伝える。さすがに気の毒だと思われたらしく、「同じ500元の券でもステージに近いいい席にしておくわ」と人手が介在する販売システムならではの大サービス。土日は休みとのことで、「月曜の午後に必ず」となる。

■4月23日(月) 午後5時
午後5時まで待っても来ないので中華5000年の歴史を象徴し民族団結の証でもある世紀壇に4回目の電話。違う女性が出たが、横から20日と同じとおぼしき女性が答えているのが受話器に聞こえる。曰く「配達の人はもう出たからもうちょっと待ってね」とのこと。これでは蕎麦屋の出前(もしくは私のホームページの更新予告)である。で、7時まで待つ...来ない...いい加減もう食事をしたいので念のため「配達の方へ。外出するので同じ建物のXXX号室に行って下さい」というメモをドアに貼り付け、そのXXX号室の友人に事情を話してお金を預ける。食事から帰ってきて友人の部屋に行くが、「来てない」とのこと。

■4月24日(火) 午後1時
午後1時前に5回目の電話。「ここ数日、午後はずーっと部屋の中で待っていたんですよ!」と言う私にいつもの丁寧な女性の答えはこう。「昨日の午後に届けようと思って在室確認のために電話したらインドネシアの女学生が電話を取ったのよ」。読者の皆様、特にここをそっと見ているらしいお父様、私は決してインドネシアの女学生と同棲なぞはしておりません。念のため偉大なる世紀壇が控えている電話番号を確認。微妙に違う...「あなたが言い間違えたんでしょう」なんて言おうモンなら怒ろうと思っていたが、しおらしく「私が書き間違えたみたい。ごめんなさい(対不起)」という言葉が珍しくすぐに出てきたので、本件は不問に付すことにした。「今日は必ず行くから」という答えも今回は信じることにした。いや決して私が女性に甘い、というのではない。ここは5000年という悠久の歴史を持つ中国。しかもコンサート当日までまだ1週間もある。「ごめんなさい」なんて言葉だってこういう窓口業務の人の口から出たのはすごいことである。「忍」の一文字である。しかも電話を切ってしばらくしたら配達担当者から電話があり、「必ず行くから部屋に居てね。だいたい4時から5時くらいになるわ」という念の入りよう。私は信じた。

■同上 午後5時半
チケットをひたすら部屋で待ったお蔭でここ数日はHSK(国家が主催する中国語能力試験)の対策問題集が進むなぁ、と感慨にふけりつつ時計を見ると5時半を回ったところ。今日の午後は万全を期してトイレに行く際にも部屋のドアは開けたままだったし、配達の人から電話があった場合に話し中にならないように電話さえかけなかった。なのに来ない。もちろん何の連絡もない。これはいくらなんでもひどい。明日になったら電話をかけようかと思ったがチケットセンターの人の帰宅前に念を押しておこうと、私としては最後にしたい6回目の電話をかける。受話器を上げつつ偉大なる中華世紀壇の方向を向いて敬礼をし、中華民族の団結と世界の恒久平和を祈願したあとにダイヤルを回す。「一体全体どうなっとんじゃああああ」。いつもの女性ではなかったが、電話を取った女性は「午後に行ったけど誰も居なかったらしいのよ」と見え見えの言い訳。「んなわけないだろ。こっちは部屋のすぐ目の前のトイレに行っただけだし、ドアも開けていたし、ついでにションベンだけだったからそんなに時間かからねぇぞおおおお(注:最後のは言っていません)」と怒る私。アリバイがあっては言い訳はできないと思ったらしく「ごめんなさい。こちらも人手がなくて」と相手は平謝り。「連休の超大型コンサートでチケットの配達なんてやったらどうなるか事前に分からなかったの?無理と知っていたら最初からそっちに行って買うよ(注:私も事前に分かるべきでした)」と怒りは収まったので穏やかな口調で私。「今から配達人を出すから今日は必ず届けるわ」と言うので、「あなた達の『必ず』は何回も聞いたよ」と返す。「いや、今回は必ず。本当にごめんなさい」と言うので電話はここまでにして切る。これならば来そうである。この経緯を駄文にしたためてホームページの枯れ木の一本にでもしようとこのページを書き始める。もちろん「ちょうど今やっと届きました」という締めで終わることを期待して。

■同上 午後8時
出前の食事を一人で食べ、時計を見るともう8時。もうこんな生活はイヤ!実家に帰るわ!とお姑さんに苛められる若妻を演じてみてもどうしょうもない。諦めの境地でタバコに火を点けると電話が鳴る。おお、5000年の歴史を越えて遂に中華の神の啓示が来たか、とヤケクソで電話に出る。「あー、××さん?私ねえ、チケットの配達のモンです。待たせてしまってごめんねー」。新手の声である。この妙に間延びした声を耳にしたお蔭で私は悠久の歴史に思いを馳せることができ、「小さなことにこだわるのは良くないよ。僕たち人間同士、分かり合わなくちゃ。罵り合っても何も生まれないのサ」とすっかり穏やかな気分になった、わけがない。一旦何かを諦めた人間は往々にして穏やかになる。私もつとめて冷静に「私はずっと部屋で待っていたのです。食事も出前です。この天気の良い午後をずっと部屋の中で一人で過ごしたのです」と切々と訴える。向こうも相当配達先を抱えているらしく、「ごめんなさい。配達先がたくさんあって。明日は必ず」と言っている。「あらマア、『必ず』の大安売りだこと。オホホホホホ」とでも言いたいところだが、こんな表現を直訳しても通じそうにないのでやめておいた。結局、明日の午後1時と時間を決めて持ってきてもらうことにした。

というわけでこのページは「上」と「下」に分かれることになった。間違っても「上」、「中」、「下」の三部構成にならないことを切に祈っている。

■4月25日(水) 午後1時過ぎ
と昨日(24日)の夜の時点では上記の様に書いたが、チケットは特に何の問題もなく本日ほぼ約束の時間に届いた。わざわざ「下」に分けなくてもいいので、少しだけ記述を追加する。勝手なもので凝ったデザインの綺麗なチケットが6枚揃って手元に届いた瞬間に私も今回のことは「時間かかったな」くらいにしか思わなくなった。いやほんと。ただ昨晩電話をくれたのと同じと思われる「快運」(日本で言う速達サービス)の配達の人がくれた送り状を見ると今回のことの経緯が分かるので最後にそれを記す。

■総括

まず確かに送り状に書かれた送付先の電話番号は間違っていた。それを後から修正した痕がある。これは発送側、つまり世紀壇チケットセンター側で間違ったものらしい。それから発送日の欄を見ると23日(月)になっている。やはり18日(水)に男性が受けた注文はとりあえず裏紙などにメモされて忙しさの中でどこかへ消えてしまっていたのだろう。住所も完全に書かれているので20日(金)になって再度注文した分が届いたものと思われる。そして23日(月)に私が「蕎麦屋の出前」と書いてしまった「もう出たわよ」という言葉は正しかったことになる。疑ってごめんなさい。その後はたぶん配達の人が忙しくて一番遠い配達先であろう(本来の配達圏外である)この学校を後回しにしたのだと思う。そして「今日は行けそうにない」ということを電話しようとしてインドネシア人学生の部屋にかかってしまったのだろう。さらに24日(火)のいつもと違う女性の「行ったのに誰も居なかったのよ」というのは明らかに咄嗟に出た嘘。私はずっと部屋にいたし、そもそも外部の業者に委託しておいて何も調べずに即答できるわけがない。そしてこの電話の後に再び配達に出た業者は配達先が多すぎて夜8時の「明日で良いか」という電話となったのだろう。

ちょっとややこしそうな今回の出来事も上記の様にまとめてみると、1)最初の注文がちゃんと入っていなかった、2)二回目の注文で電話番号が正しく記録されていなかった、3)配達業者が数を抱えすぎていて時間が足りなかった、の三点の原因に集約できる。1)と2)は業務遂行上の正確さの欠如、3)は予測される事態に対する見込みの甘さ、ともまとめられる。さらに付随して、四環路の外側への配達(もちろん私が無理を言ったものですが)を簡単に了解した窓口の見込みの甘さも加わる。

と書くと、私はとても怒っていて「だから中国は」と文句だけを並べているように見えるが、結果としてチケットが手元に届いて原因のあらましが分かった今となっては実はもう大した問題ではなくなっている。うまく言えないのだが単に経緯と原因を知りたかっただけである。公平のために我が身を振り返ると私は「すべきこと」を二点していなかった。一つは電話に出た担当者に名前を尋ねることで、もう一つは住所や電話番号を復唱させること。この二つを実施していれば恐らく今回のようなことにはならなかったと思う。でも仕事で中国に来ていた頃にはこれくらいの確認作業は必ずやっていたはずだ。やっぱり仕事を離れて麻痺してきたかな。



◆おまけ◆

日本のコンサートチケットの販売の仕組みには本当に感心します。中国よりも狭い範囲に人が集まって住んでいるのと、通信インフラが発達しているのもあって、オンライン化が進んでいますよね。今回の五一コンサートの券はweb上でも予約できるようでしたが、発券と支払いは向こう側が指定する場所で、もしくは配達の際にということでしたから、私がやった電話注文と実質あまり変わりません。日本の様に電話で予約しておけばあとは任意のチケットカウンターかコンビニで代金を支払って券の受け取りができる、というのはとても便利です。最近ではセキュリティ対策の施されたシステムを採用して、決済さえもクレジットカードでweb上からできるようになっているようです。さらに「ぴあ」などの情報誌もありますから、情報が集中していて見つけやすいというのも助かります。

ただ日本のチケットの獲得騒動には凄まじいものがありますね。「受付開始後30分で完売」などという言葉はアーティストの人気の高さを表すものとなっていますが、よくよく考えるととても恐ろしいことです。日本では「こんなもんかな」と思っていたのですが、ここ中国はもちろん、他に知っている限りではオーストラリアでもチケットの購入というのはもっとのんびりしたものでした。北京では規模の大小はありますが今までに王菲、竇唯、張惠妹、崔健、唐朝のライブに行きました。チケットは私が自分で買ったものもあれば人に頼んだものもありますが、総じて日本のような騒ぎにはなりませんでした。公演も迫ったある日、どこからともなくライブの情報が聞こえてきて、「ふーん、行ってみるかな」という感じで券を買うのがほとんどです。崔健を聴きに行った北京のライブハウスでも、2週間後に同じ会場で唐朝のライブがあるのでついでに彼らのも買っておこうと思ったら「まだ早いよ。来週あたりにまた来なさい」と言われました。オーストラリアの王菲コンサートでも私は事前にメルボルンとシドニーの券を手配していたのですが、もともとシドニーだけしか行かない予定だった友人は思いつきで私と一緒にふらっとメルボルンに来て、当日券を開演の1時間前に買ったらアリーナの割といい席だった、なんてこともありました。

中国も今後はオンライン化が今以上に進んで、受け渡しと代金回収の方法も色々な選択肢が出てくるでしょう。ただチケットの買い方は便利になってもなんとなく日本の様な状況にはならないのでは、と思ってしまいます。これはネットワークとか決済システムとか技術の問題ではなく、「時間」に対する感覚の違いだと思うのです。


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