このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

大学の日本語の先生達

  6月12日には吉林で、知り合いの 日本語の先生達 と4年ぶりの宴会になり、日本式に二次会まであって、大騒ぎをしました。私は1996年の春まで吉林市の合弁企業に駐在していたのであるが、その企業は大学と日本の企業の合弁会社であった。その会社は社員の日本語教育をその大学に依頼していて、またその大学には日本人の日本語教師がいたりして、その大学の日本語の先生(中国人)達と日本人の先生と私とでよく付合っていた。中国人の日本語教師は皆日本語が上手くて、日本に留学もしたことのある人ばかりであった。何人かは日本でカラオケ通いをしたなんて先生もいた、日本語の歌も上手かった。

  先生達とは仕事上の付合いはなく、全く私的な交際であった。しかし以前に私の妻が吉林に来た時も、歓迎会を開いてくれたり、先生達が日本に来た時は、我が家に遊びに来てもらった。そんなこともあって先生達とは親しかったのである。今回の宴会の一次会の費用は私持ちであったが、二次会のカラオケの費用は、大学の日本語教室の費用で出してくれた。公的な付き合いではないのに、そこのお金を使うなんてと思っい、大変恐縮してしまった。とにかく大騒ぎをして大分飲んでしまった。そういえば、飲んで騒ぐことは中国的ではないと思う。これも日本に行ったことのある先生達であるから、飲んで騒ぐ日本式が好きになったのかもしれない。

  特に王先生は、相変わらずカラオケが上手かった。妻のことも覚えてくれていた。以前妻が吉林に来た時には、カラオケに一緒に行って歌ったことを思い出した。妻は歌が得意であったが、日本語の先生達は日本の歌をよく知っていたので、記憶に残ったのかもしれない。久しぶりに何の不自由もなく、日本語で話せたのもうれしかった。

  翌朝は早朝にもかかわらず、李先生と王先生が汽車の吉林駅まで送ってくれた。久しぶりの再会と歓迎に感激ひとしおであった。

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください