このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

日本人は全部悪者

  満州里で一日タクシーをチャーターして、ダライ湖への観光をしようと思い、出来るだけ安いタクシーを捜そうとしてホテルの前に出た。この地方なら200元でチャーターできると確信をして、ホテルの前にいるタクシーと交渉したが、どうしても300元だと言う。この頃になると、タクシーの値段についての勘が働く様になっていたので、200元でなら大丈夫と思い、どうしても捜そうと思った。ホテルから離れてぶらぶらと歩いていると、女性のタクシドライバーがいたので、値段を交渉してみると、あっさりと200元でいいと言う。このタクシードライバーは、二十歳位の子供っぽい感じの若い女性であった。若い女性のドライバーを特に選り分けて捜したわけではないのだが、ここ満州里は女性のドライバーは非常に多いのである。もしかしたらタクシードライバーの半分くらいは女性かもしれない。

  まずロシアとの国境を見に行こうとして、そこへ向かって出発した。その女性ドライバーに、日本人はここへよく来るかと聞いたところ、日本からのツアー客は来るらしいが、日本人を見たことがないと言う。続けて言うには、日本人は全部悪者だと聞いていると言う。穏やかでないことを言い出したのだが、続けて「怒った?」と聞いてきたので、どうやら冗談で言っている様であった。学校の教育の場面では、公式には(?)どうも日本人は悪者であるらしい。その様に教えられたと言うから、学校でのことかもしれない。その若い女性ドライバーにとっては、生まれる前の戦争のことには関心もないようであったし、聞いてみても身内には日本との関連がある人はいない様であった。どうやら政治的宣伝か教育やらで、日本人は全部悪者ということになっているらしい。以前大学の新入生と話したことがあるのだが、日本人は悪者であると教えられたと言っていた。やはり中国では敵の存在を宣伝したり、教育したりする必要があるらしいのである。

  まず最初に国境にあるロシアとの交易地区に行くことにしたが、そこには外国人は入れないのだと言う。この女性ドライバーはなかなか親切で、そこに入るのに誤魔化して入れてくれると言う。東西冷戦の時代は過ぎているのだから、そんなチェックがあるのかしらと思ったが、やはり門のところでチェックがあった。何の為に来たのかなどとやり取りがあり、そのうち守衛は私が持っている一眼レフカメラに目を付けて、やはり怪しいと思ったのか、何処から来たのかと聞いてきた。口をきくなと言われたので黙っていたが、ここで自ら答えなければと思い、"北京"と答えて無事関門を通り抜けた。私のこの一言は訛りが無かったらしい。

  中国人と言うものは(この様に一般化して言ってもいいのかどうか確信は無いが)名前を名乗りあったり、自分の身の上のことなどを互いに話す様になると、身内や友達の様に、一気に親しくなるようである。この場合も私の名前を呼んで、あちこち案内してくれた。翌日のハイラルへのバスの時間を、ホテルまで電話で知らせてくれたり、翌日はバスの発着所まで、車で送ってくれたりした。そうした親切はチップでも欲しい為かと思ったが、翌日分のタクシー代も、友達なのだから要らないと言って、受け取らなかった。

  ところで中国での日本人の評判は、そう悪いものではないと思う。今回の旅行で出会った人は、私に対して面と向かって、悪口は言うはずもないとは思うが、悪い雰囲気ではなかった。彼らの言う日本人像は、頭が良く、組織での行動では能率良く成果を出すというものであった。日本人は清潔好きで、街もとても清潔になっているとも言っていた。しかし何と言っても日本人に対する印象は、中国に溢れている、日本のカメラ、ビデオ、テレビ、自動車などの優秀さからの影響と思われる。

  ハルピンの手前の平房を汽車で通過した時のことであるが、ハルピンの人と知合って話しをしていた。私はこの近くに、細菌をばら撒いた731部隊の施設があったのを知っていたので、その話題にならなければいいがと思っていた。平房に近づいたとき、その人はさらりとここには日本軍の施設があったと言った。その部隊が細菌をばら撒いたと言われると、何と答えていいか困るところであったが、そういう話題にはならなかった。

  侵略戦争の現実を風化させていいというのではないが、50年以上も前のことを、敵として教えているとすると、何故その必要があるのかと思ってしまう。歴史の教訓として教えるのならば、それは当然のことであるが。

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