このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



通勤バスの中の光景
(6月15日)

  バスで一時間くらいかかって通勤中しているので、いろいろな光景を目にするが、自分が突然主人公になってしまう時がある。私がバスに乗ったとたん、女車掌がいきなり叫び出して、「若者は老人席を譲りなさい。老人が………」、他にも何か叫んでいる。しかし私の目の前の若者は知らん振り。また車掌さんが、「若者は老人席を譲りなさい。………」、私は「不要、不要」と言うが車掌は、若者の無視に負けずに、何か言っている。たまらなくなった近くの若い女性が、私に席を譲ってくれて、この件は収まった。この女車掌は毅然とした態度で、乗客への道徳の指導もしている様であるる。

  この会社のバスの車掌の中には、積極的に老人を座らせる人がいて、たまに私もその対象になるのである。そうした場合大体が、誰かが席を譲ってくれる。車掌が言わなくても、老人に席を譲ってくれる場合も多い。その様なことは日本よりずっと多いようである。ほんとは、私は席を譲ってもらいたいほどの老人とは思っていないのであるが。

  しかし車掌も様々な人がいて、ある若い女車掌は、受け取った高額の100元札が本物であるかどうか確かめる為に、100元札の隅を破いて確かめていた。確かに偽札が多い国であるが、破いてまで確かめるとは、とんでもない車掌もいるものでる。その若い女車掌は、車掌の席に座ってしまった小さな子供を、どかせて自分が席に座った。

  別の中年の女車掌は、気持ちの悪くなった老人を、車掌の席に座らせてくれた。しかし別の女車掌は、気持ちが悪くなって床に吐いてしまった人を怒鳴りつけていた。そうしたら、その夫らしい人が、近所からモップを借りてきて、床を掃除し始めた。その間バスは止まったままであった。

  北京のバスの中では、子供を抱っこしたお母さんは殆ど席を譲ってもらえる。中国では赤ちゃんを抱えて移動するので、日本の様にはおんぶしない。日本と中国とは近い国だから、おんぶする習慣があるのかなと思ったら、北京辺りでは、全く見かけない。しかし、中国ではおんぶしたら、却って困るかもしれない。子供の尻は剥き出しのままであるから(オムツを使わないから)、何時の間にか背中がぐちゃぐちゃになりかねない。その点、抱っこしていると、子供の気配をすばやく察知して対処できる利点がある。  それにしても子供であるといえども性器を剥き出しのままであるのは何とも…・・。見方によってはこれがかわいらしいのかもしれないが。

  オムツを使わないので、困ったことも起きる。実際にバスの中では、隣の人におしっこを引っ掛かたのを見たことがある。子供が催して、慌てているお母さんもいる。座席が濡れているのも見た。しかし中国では、子供に優しいから、おしっこを引っ掛けられても、怒らないようである。構わないですよといった感じであった。私ならきっと腹が立つと思うのだが。私は隣に赤ちゃんが来ても、ニコニコなどはしない。懐かれてこちらを向いておしっこを引っ掛けられては困るからである。

  通勤に使えるバスは2社あって、積極的に老人を座らせる会社と、そうでもない別の会社のバスがあった。そうでもない会社のバスは、かなりおんぼろのバスである。そのバスの窓に、安全出口という文字が書かれていた。普通の小さな窓が安全出口であるはずはないのである。これは謎であった。しかし同じ会社の人がバスに同乗した時に教えてくれたので、ようやく謎が解けた。

  この窓の役割は、非常の際に、この窓を叩き割って脱出する為の窓とのことであった。本当は窓を破る為の金槌が、直ぐ脇にあるはずなのである。現状は、金槌は紛失していて、どこにも見当たらない。どのバスの金槌も紛失していて、非常の際に硝子を破って脱出するなどとは、想像すら出来なかった。この謎は判じ物みたいに複雑であった。

  それにしても、この小さな窓に「安全出口」などと書かれていると、恐怖すら感じる。現状では安全であるはずがないし、金槌があったとしても、安全であるはずはない。せめて、非常の際には…  とでも書いておいて欲しいものである。文字の国・中国ではこれで安全と感じて、安心できるのであろうか。

  良く見るとバスには別に非常口の設備があった。それなのにそれとは別の小さな窓に「安全出口」と書かれている。そうすると、あの非常口は非常の際に役に立たないのかしら。いろいろと謎は続くのである。

  バスの中の標語に「衛生を保ちましょう」と言うのがあった。これはゴミを捨てるなということかもしれない。しかし車掌は、切符の切れ端を何時も捨てている(人もいる)。タンを吐くなということかもしれないが、我慢できなくなってか、ガーとタンを床に吐く人もいる。それでも窓の外に吐き出す人も多いので、これはこの標語の効果かもしれない。

  「普通語を話しましょう」という標語もあった。確かにバスの中では中国語とは思えない中国語も多い。その人達はこの標語を見て反省して、標準語を話そうとするのであろうか。誰でも行き先が通じないのでは困るから、正確な発音をしようとすると思うが、それだからといって、話す言葉が方言ではいけないみたいな標語は、中国では正しい考え方なのだろうか。それとも中央集権主義の現われなのであろうか。普通語といってもバスの車掌の中には、北京の方言である語尾をアール化させないと、聞きとってくれない人がいる。地名の呼び方はかなり北京風に訛っている。私は車掌の方こそ、標準語の再教育が必要であると思うし、多少訛っていても聞き取ってくれるのが、本当のサービスと思うが、誇り高い北京人にこの考えが通じるはずはない。

  通勤は渋滞で一時間以上かかるので、いろいろなことをぼんやりと見ながらバスに乗っている。ぼんやりと見ていても気になるのは、割りこみ運転の凄さ、沿線のゴミと埃の多いこと、工事の方法の乱雑さなどである

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