このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
少し前のことこになるが、五月のゴールデンウィークに青海省の西寧に行ってきた。最初に青海湖に行くことにした。ホテルについてすぐに、青海湖へのツアーは無いかと聞いたとろ、ホテルの中に在る旅行社を呼んでくれて、翌日にはツアーに参加することが出来た。 ツアーには11人が参加して、中には日本人の女性も二人いた。天津の日本語の先生だとか言っていた。ガイドは日本人が参加していた為か、日本語が話せると言うガイドだった。天気は良かったが青海高原への登りの道では、5月1日だと言うのに小川の縁に氷が張っていた。五体投地をしながらラサの方へ行く人も見た。3200mの高原に登ると青海湖があって、そこまではで100k位であったが、目的地の、渡鳥が巣を造っている鳥島までは、350kもあった。青海高原へ登ると、1本の木も無くなる。5月になっても全く緑が見えない乾いた土色の高原である。山には最近降ったばかりの雪が見えた。青い青海湖が見える様になってからも、湖の縁を延々とあきるほどマイクロバスは走った。ずっと右手に青海湖が見えて、左手には緑の無い山が見えていた。このあたりの牧畜は完全にヤクの世界であった。昼食に食べた肉もヤクの肉であった。昼過ぎになると強風が吹き荒れ、砂嵐の様になって、耳の中まで砂だらけになった。遠くに竜巻が見えた。 日本語が話せるというガイドであるが、私には中国語で話して貰った方がずっとよかった。そのガイドのプライドを傷つけないように、日本語の話しを分かった振りをするので疲れた。青海高原に行く途中に、日月山というところを通ったのであるが、ここは文成公主というお姫様が、ここを通ってチベットへお嫁に行ったところである。ガイドの話では、ここでハサミが二つに壊れてと言っていたが、壊れたのは多分鏡ではないかと思う。やっぱり伝説にはハサミよりは鏡がふさわしいと思うのだが。 全部で700k、13時間位のマイクロバス旅行であった。 西寧まで来ると、もう言葉が全く別の言葉になっていて、全く聞き取れない。夜になって冷たいビールでも飲もうと思って、タクシーに乗って"酒バー"へと言ったら、何か聞き返してきた。始めは何を言っているのか分からなかったが、どうも"紅灯的"なのか"一般的"なのかと聞いているみたいであった。ここで直ちに"一般的"と答えたが、 多分"紅灯"のほうは怪しげなところだと思い付いた。"紅灯"と言う文字を思い付けば、これはやはり怪しげな所だと思う。 肝心の冷たいビールであるが、冷えたビールがあるかどうか確認して入ったのに、そしてビールの小瓶が14元もするのに、氷をコップに入れて持ってきた。これをどうするのか聞いたところ、このコップの中にビールを入れるのだと言うので、ビールのオンザロックなど飲めたものではないから、憤然として店を出た。冷えていないビールならば他の店では大瓶が2元位で飲めるのに、小瓶で14元で冷えていないビールなどとても飲む気になれない。 西寧では私が泊まったホテルでも、他のホテルでも冷えたビールはなかった。これは仕方が無いことであるが、冷えたビールが有るかどうか確認したのに、有ると言って、冷えていないビールを出すのは、何と行っていいか、どうも・・・・ 店の構えは、エッチングの画が掛かっていたりして、良い感じの店であったのだが。 ビールが冷えていないからといって、飲まなかったかわけではない。毎晩"夜市"でビールを飲んでいた。"夜市"は屋台の店が並ぶ所で、飲み屋ではないが、"羊肉串"という羊の焼き鳥や、麻辣湯(下に火の字がある)や、焼き餃子の店が屋外にずらっと並んでいて、夜はとても賑やかなところであった。 "大漢焼羊肉"と暖簾がある店では、本当に大男のおじさんが羊肉を炙っていた。ここには三日も通ったので顔を覚えられ、"又来たのね"などとおばさんの方は愛想が良かった。私が特別なのは、このような所に一人で行くので、目立つのかもしれない。一人の客は多分私だけあった。隣の看板は"肥ったおばさんの焼き餃子屋"とかかれていた。餃子を焼いているおばさはほんとに小太りであった。 "大漢焼羊肉"の店で冷えていないビール一本と、羊の串を6本くらいと、隣から、野菜やジャガイモをマーラータン(辛いタレで煮たもの)を取り寄せて、それで10元(150円)であった。ビールの小瓶の値段と比べみて下さい。5日間の夜は全て小吃(チャンとしたレストランではないところ、屋台のような店)であった。 ここの言葉は全く通じない言葉であるが、ホテルの前に待機している運転手は普通語を話すので、問題はなかった。タール寺に行くときに、ある運転手の車をチャーターしたら、言葉が良く通じたので、翌日もこの運転手に頼むことにして、濁っていない黄河を見に行くことにした。そうしたら、運転手が言うには一つの提案があるのだがと言い出た。翌日、妻と子供をタクシーに乗せて行って、一緒に観光をしていいかとの話であった。勿論同意して、翌日は黄河を見に行った。 昨年の旅行では、同乗者が断りもなしに、突然現れたので、少しむっとしたが、今回はそうではなかった。この夫婦の会話は普通語を話しているようであった。子供は小学校二年生の女の子でかわいい子だった。奥さんの勤めていた会社は全員が"シャーガン"(休職状態)になり、今は仕事が無いないとのことであった。運転手の方は、一日に15時間も働くとのことで、自動車は自分で買ったとのことであった。この運転手はスピードは出さないし、うるさく収入などのことは聞かないし、感じの良い運転手だった。それで最後の日に、飛行場に送ってもらうまで、合計4日間もお願いすることになった。 タクシーの便乗はもう1度あって、"土族"の部落を訪れたところ、西寧まで乗せていってとくれてと言われて、踊りの衣装のお姉さんが、その衣装のままで三人も乗り込んできた。西寧へ買い物に行きたいとのことであった。"土族"には"対歌"があるかと聞いたところ、"あるある、貴方が日本の歌を歌うならば、私達も土族の歌を歌う"と言われたが、狭いタクシーの中で歌合戦といいうわけにもいかないので、止めにした。陽気なお姉さん達であった。お姉さんと言っても、結婚しているとのことで、踊りの衣装が未婚の娘さんとは違うのことであった。これらのことは運転手の通訳なしで話しが出来た。普通語で話してくれたからである。 "土族"の部落を訪れた時は、私の方が珍しい日本人ということで、回りを取り囲まれてしまった。丁度、蘭州からの客が来ていて、その人達から、日本人は珍しいと言われて、サインをさせられた。サインをしたのは生まれて始めてのことであった。ついでに"土族"の珍しい食べ物をご馳走になった。ここでは費用が全く掛からなかった。 運転手の一家と一緒に行った黄河は、李家峡というところで、黄河の名前にふさわしくない澄んだ青い色の黄河であった。まだ黄土が流れ込む前の黄河である。回りの黄色い山の色と対照的な青い色である。西寧では5月であるのに、まだ木の芽が出ていなかったが、黄河があるところまで降りてくると、木の葉が青々と繁っていた。ここには李家峡ダムの巨大な発電所があり、そこの観光部の若い女性が、親切にも黄河の河原まで案内してくれて、直接黄河の水に触れることが出来た。ペットボトルに入れてみると、ミネラルウォーターと全く変らない透明な水である。案内してくれた若い女性は、蘭州の大学を出たばかりの初々しい女性で、私が二台のカメラを持っていたので、写真家かなどと聞いてきた。こんな山の中にいても、日本にはかなり関心がある様であった。 この辺りには回族多くて、食堂に入ったら、酒も煙草も厳禁らしかった。この辺りのお爺さんは、白い帽子を被り髭を伸ばしていて、いかにもイスラム教徒らしい様子であった。男の子も丸い帽子を被り、女の子は頭巾を被っていた。西寧もその周辺も回族が多く、西寧には回族の為の立派なモスクがあった。白い帽子を被った男達が沢山いた。 西寧のもう一つの名所はラマ教のタール寺である。ラマ僧は沢山いたが、チベット族らしき人はあまり見かけなかった。ここは観光地化していた。いずれにしろ、西寧は回族やチベット族、土族などの少数民族が多くて、西の果ての感じのする町であった。昨年から中国にもゴールデンウィークが出来て、場所によっては大混雑したが、さすがに西寧まで来ると、混雑は見られなかった。ゴールデンウィークの旅行に、西寧を選んだのは正解であった。 |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |