このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



プロフィール

   千葉県・佐倉市在住、いや今は北京在住と言って方がいいかもしれません。
。昭和14年生まれ。姓は本間。

 退職後、2000年4月から6月まで中国を旅行しました。北京郊外の
黄村鎮に旅行の基地となる家を貸してくれる人がいたので、
そこから西、南、北に四回ほど旅行に出ました。

 実は中国では外国人が普通の民家を借りて住むことは、許されて
いないらしいのです。公安局が監視し易くする為か、限られた場所に
住む必要があるらしいとのことでした。普通の民家に住めるものかどうか
知合いの中国人に相談したのですが、公安局に聞いてみても、
まともに教えてくれないだろうとのことであったので、ある場所
(実は北京郊外の黄村鎮)の部屋をひっそりと借りて旅行の基地に
することにしました。

旅行は四回に分けて行い、一回目は甘肅省と西安。
二回目は桂林と北京、天津。このときはゴールデンウィークで
あったので、娘と一緒に旅行しました。
三回目は、雲南省と四川省、貴州省に行きました。
四回目は以前駐在していた吉林省吉林市を再訪して、
黒龍江省を回り、内モンゴルの北のほうまで行きました。




その後、2001年3月から北京のソフト開発会社で働いています。その会社は
主に日本向けのソフト開発をしている会社です。
日本では製造業のみならずソフト開発の世界でも、中国へのシフトが進んでいるようです。
会社の社員の大部分は、自分の子供より若い人達で、中国人ばかりの会社です。
今の中国は高度成長中なので、活気があります。

住む所について、会社の人に聞いてもらって分かったのですが、今では
制度が変わったらしく、届を出せば普通の民家に住んでもいいようになった
らしいです。それで今でも北京郊外の黄村鎮に住んで、北京で働いています。
毎日通勤しているのですが、17キロある北京の会社までの通勤は、
おんぼろの、空調など無い通勤バスですから、結構大変です。冬は日本より寒いし、
夏は日本より暑いし。日本より乾燥しているかと思うと、とんでもなく高温多湿な日が
あったりして、大変なところです。普通は日本より乾燥していて、乾いた風景です。



実は1992年の冬から、中国の吉林の合弁の会社で働いたことがあって、
その頃のことも書いてみました。しかし今、その会社は無くなってしまいました。
なぜか会社が無くなったか?責任者となった人物が共産党教育だけを受けた
人物だったからか?そうではなくて中国の前近代的な考え方だけで会社を
運営したから?この辺の経緯は書いてありませんが、
人事管理と金銭管理だけはチャンとやっていたようです。
人事管理といっても関係がよい人や、お金を持って来る人に便宜を図るとか。
金銭管理と言っても金を事業目的以外に利用するとか。
中国の会社のことですからいろいろありました。



ここから、中国事情について書いてみたり、写真を載せたいと思っているのですが、
時にはあまりの暑さに、ボーっとしてしまい、時にはあまりの寒さに縮こまってしまい、
暑くも寒くもないときは飲みすぎてしまい、あまり書けません。



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