このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
ヒガチモ再び野次馬紀行 2000年7月
1975年末からインドネシアに武力で併合されていた東ティモールは、1999年8月に国連主導の下で住民投票が行われた結果、78・5%の住民がインドネシアの下での「特別自治州」を拒否して独立することが決まりました。ところが住民投票と前後してそれまでインドネシア軍に支えられていた併合派民兵が暴乱を起こし、すべての町が破壊され、多数の住民が惨殺されるというとんでもない事態になりました。住民の多くは山へ逃げるか、西ティモールへ難民となって脱出し、独立決定の喜びに沸くはずだった東ティモールはすっかり荒廃してしまいました。
国連は多国籍軍を派遣して併合派民兵を制圧し、99年10月に国連東ティモール暫定統治機構(UNTAET)を設立します。UNTAETの下で難民の帰還やインフラの再建、独立国家を支える人材の育成などが行われ、世界各国からNGO等も支援にやって来ました。
私は99年6月に「ヒガチモの女子高生はどんな制服を着ているのか?」「東ティモールにも天ぷらはあるか?」などを探りに、住民投票実施前の東ティモールへ野次馬的に行って来ましたが、あれから1年、ヒガチモは一体どうなっているのだろうと再び野次馬的に行ってきました。
破壊し尽くされたディリの町
韓国軍に「北朝鮮のスパイ」と疑われる!?
南海岸の村の暮らしを見る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |