このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

■夕張線

実は、夕張線にはあまり良い思い出がありません。
沿線は石炭の産地でしたので列車本数も多く、重連もあったりと魅力的な路線でしたが、2つの事件で印象が悪くなってしまいました。
●その1:ゲジゲジ事件
 前日の晩から降り始めた雨は、その日もやむ気配がありませんでした。川端〜滝ノ上間の夕張川の鉄橋で撮影することにした私達は、傘をさしトボトボと国道を歩いて行きました。目的地に着くと国道の橋の下に旧道があり、そこから撮影が出来そうでした。国道橋を屋根にして雨宿りもできるという、最高の場所を見つけ喜んでいたのですが… 三脚をセットするなど準備を整え、友人と雑談をかわしていたら、スネのあたりが妙にムズムズする。Gパンをめくってみたら、10〜15cmはあろうかというおおきなゲジゲジが私の脚を上っていました。あまりの気色悪さに「ひ〜〜〜〜」と声にならない悲鳴をあげ、あわてて振り払ったのは言うまでもありません。暫くすると今度は友人の脚に、そしてまた私の脚にも! あたりを見回しましたが、その時は姿が見えない。でも暫くするとまた上ってくる… あまりに気持ち悪いので即撤退となりました。→2枚目の写真の場所
●その2:戦争映画事件
 夕張線は朝1番の下りがヤマに多数の空セキを引き上げるための重連でした。当然対向列車などないので、追分を出ると紅葉山までノンストップです。早朝でまだ暗いため沿線で普通に走りを撮影するのは困難… 唯一力行シーンを撮影できるとすれば紅葉山駅の発車、起動直後の速度が遅い段階だけでした。
 その重連を撮ろうと考えた私達は、紅葉山の駅でマルヨすることにしたのですが、行ってみると同じことを考えているファンがすでに結構います。私達(他のファンも)はホームの待ち合い室で寝るつもりだったのですが、夜になった段階で駅の職員さんから「待ち合い室に泊める訳にはいかない。構内から出て行ってくれ」と言い渡されました。今さらそんなこと言われても… 私達は職員さんが寝た後、待ち合い室を占拠する作戦にしました。当然、他のグループも同じ考え、職員さんの様子をうかがいながら、ライバルの様子もうかがうという厳しい状況に追い込まれてしまったのです。
 最終列車が出た段階で他のグループが待ち合い室に入りましたが、見つかってすぐに追い出されました。我々は跨線橋に潜み様子を見ることにしたのですが、突然照明が点り階段を上る足音が。見つかった! あわてて反対側の階段からゾロゾロと脱出。いつの間にか人数が増え小隊が出来ていました。職員さんが見回りをする間、留置貨車の車輪の影に隠れ、こちらに来そうになると匍匐前進で逃げる… まるで、列車爆破の命を受けた兵隊が、敵兵に見つからないようにしながら任務を遂行する、戦争映画の主人公にでもなった気分でした。『なんでこんな思いまでして蒸機を撮らねばならないのだろう』そんな疑問が湧いて来ました。
 小1時間そんなことをしていたでしょうか? やっとの思いで待ち合い室に忍び込むと、ベンチの上はすでに他のグループに占拠されており、われわれはコンクリートの床で寝ることになってしまいました。→5枚目の写真が苦労の結果
まあ、今となってはみんなイイ思い出なんですけどね。

D51828/1975.7.25/追分〜東追分/室蘭本線と分岐大きくカーブしヤマを目指し空セキを引き上げる



D51/1975.7.26/川端〜滝ノ上/大雨で濁流と化した夕張川。国道の橋の下で雨宿りしながらの撮影。



D51118/1975.8.1/紅葉山駅/追い風を受け煙がまっすぐに立ち上がった



D51733/1975.8.1/紅葉山駅/昼下がりのひととき給水塔の横に佇むD51。後方のトンネルは開通前の石勝線。右上の一段高い場所が現在の新夕張駅のある場所で、ここは駅前広場になってしまった



D51565+D51/1975.8.1/紅葉山駅/静寂をやぶり長声2発を響かせ出発する早朝1番のD51重連。後方のD51はギースルエゼクター付き。煙の出方が違うのが判る



D51241+D51/1975.8.1/紅葉山〜沼ノ沢/重連は早朝の他、日中にも存在した。ヤマに向かってラストスパート



D51118+D51/1975.7.31/川端〜滝ノ上/重連で空セキをヤマに牽き上げるD51重連



D51560/1975.7.31/紅葉山〜沼ノ沢/当時は建設工事中だった石勝線築オーバークロス上から



キハ22-233&D51565/1975.7.31/紅葉山駅/2トーンの塗装が懐かしいキハ22



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