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2001初夏 八重山・沖縄の旅
5月22日(火)
羽田発の石垣直行便の飛行機で、1年4ヶ月振りに、石垣空港に降り立った。
石垣地方はすでに梅雨に入っており、雨を覚悟していたが、予想に反して青空と太陽が出迎えてくれた。
(白保の浜)空港からバスで石垣市内に移動し、レンタカーを借りて、島を一周することにした。
まずはサンゴ礁で有名な「白保の浜」に行ってみた。
白い砂浜が左右に広がり、眩しかった。
海の中はきっともっと素晴らしい世界なんだろう...。
(平久保崎)玉取崎展望台に寄り、島の最北端「平久保崎」まで行ってみた。
燈台と岬のすぐ先に小さい島が見えた。
なんだか、礼文島(北海道)のスコトン岬に似ている気がした。
写真を撮っているうちに雲行きが怪しくなり、あっという間にスコールになった。
畑の赤土が雨水と一緒にすごい勢いで道路に流れ出てきている。(かなりヤバイ!)
米原のキャンプ場を過ぎた所で、道路が水没していて、やむなくUターン。
夕方、石垣市内に戻ると雨も小降りになっていた。
いきなり南の島の洗礼を受けた。でも、それはそれで、楽しかった。
1泊素泊まり¥2000の宿を見つけ、荷物を置いて夜の石垣市内を散歩した。
(石垣港を出航)5月23日(水)
今日も晴れている。石垣港離島桟橋から10:00発の与那国行きのフェリーに乗った。
出港直前、宿の主人が自転車でわざわざ見送りに来てくれた。とてもうれしかった。
竹富島、黒島、小浜島、西表島...と、フェリーから見る八重山諸島は実に美しい。
(民宿「はいどなん」)PM2:00に与那国島の久部良(くぶら)港に上陸。
少し船に酔ったが、上陸の喜びでそんな事も忘れた。
さっそく民宿「はいどなん」に荷物を置いて、「日本最西端の碑」まで、歩く。
それにしても蒸し暑い。石垣空港を降りた時から僕の夏は始まっていた。
(日本最西端の碑)碑のある所は、きれいな公園になっていて、ヤシ(?)やアダンなどが植えられ、南国ムード満点のロケーションだ。
ついに最西端の碑に到着!
これで、日本の4極点(北の宗谷岬、東の納沙布岬、南の波照間島、そして西の与那国島)を自らの足で立つ事が出来た。
大感激である。興奮して何枚も写真を撮る。
(与那国馬)来た道を振り返ると道路に馬がいる!
きっとあれが「与那国馬」だろう。
与那国馬は十数頭の群れで草を食べていた。子馬もいた。近づいても逃げずおとなしい。
昔は農耕馬として活躍していたそうで、足が太く力もありそう。
しばらく馬と遊んで宿に戻った。
(日本で最後に沈む夕日)日本で一番最後に沈む夕日を港から眺めた。
幸せなひとときである。
(ティンダバナ)5月24日(木)
今日も朝から太陽が眩しい。暑い!
朝8時から日本最西端の商店(ここはなんでも「日本最西端」になってしまうね)でアイスを買って食べる。
島のバスで空港に向かう。
このバス会社でレンタルバイクもやっている事を知り、運転手さんにお願いした。
空港の前がバスの事務所だった。
1日¥3000だった。格安だ!
さっそく50ccの原付で島を周る事にした。
まずは「ティンダバナ」という大きな岩山に行ってみた。
ここは自然の展望台となっていて、島の中心部「祖納(そない)」の街が一望できた。
(比川浜)続いて、島の南にある遠浅のビーチ「比川浜」でひと泳ぎ。
こんなに綺麗なビーチなのに誰もいなくて、本当にプライベートビーチとなっていた。
ゴーグルひとつで、海の中に少し潜ると、いたいた、熱帯魚が!
サンゴもいっぱい!!
もう、うれしくて「すごい〜!」と水中で叫ぶオイラであった。(^_^;)
(軍艦岩)島のシンボル「立神岩」や「軍艦岩」を見て、その迫力にビックリ!
(東崎(あがりざき)の道)島の最東端「東崎(あがりざき)」では、灯台と、海に落ち込む崖の風景がすばらしかった!
与那国馬や黒牛が道路も関係なく自由に放牧されていた。(彼らにとっても最高の環境だろう)
(与那国そば)また祖納に戻り、食堂で「与那国そば」を食べた。
八重山のそばは、「そば」といってもそば粉でなく、小麦粉を使っているので、白い麺だ。
なぜか刺身付きだった。ご馳走様〜。
(与那国馬ふれあい広場)久部良に戻り、午後3時過ぎ、カレー屋『ゆきさんち』の御主人が与那国馬の乗馬体験教室をしているというので申し込み、車で牧場に向かった。
まずは、与那国馬とコミュニケーションをとるため、ブラシで毛並みを整えてあげることから、始めた。
そして、手綱の持ち方、馬の乗り方、命令の仕方を習った。
意外とすぐに、乗れるようになった。
慣れたところで、近所を20分ほど馬に乗って散歩した。
とても楽しい体験をした。
5月25日(金)
朝7時過ぎ、日本で一番遅い朝日が登ってきた。
今日で与那国島とはお別れ。
朝食前にもう1度、「日本最西端の碑」までバイクで行ってみた。
次に来る事があるかわからない。しっかり目に焼き付けた。
(朝の散歩)帰り道、黒牛の集団が朝の散歩か、道を堂々と歩いていた。のどかだな〜。
(「どなん」の国泉泡盛)宿のチェックアウトを済ませ、レンタバイクを返す前に、祖納にある酒蔵「国泉泡盛」に行って、泡盛『どなん』の製造工程を見学した。
この素朴で小さな工場で、あの有名な『どなん』が作られていたんだと、感動した。
自分のおみやげに「どなん3本セット」を買った。
(与那国空港)レンタバイクを返し、石垣島に向けて、与那国空港から飛行機は飛び立った。
与那国島から約1時間弱のフライトで、再び石垣島に戻ってきた。
さて、今度は「ちゅらさん」の小浜島に行こうか?それとも竹富島にいこうか?
船の時刻を調べたら、小浜島の便が出るところだった。あ〜、間に合わなかった!
ということで、竹富島に決定した。
(ゆうくぬみ)その前に腹ごしらえ。
港近くの『ゆうくぬみ』(注:狭くて居心地の良い所という意味だそうだ)という小さなおそば屋さん(この場合「八重山そば」を指す)を見つけ、定食を食べた。
店のママさんは、とても気さくな方だった。
また来たくなるような良い店を見つけた。
(竹富島の集落)石垣港から高速船でわずか10分。1年振りの竹富島。
港から集落のある島の中心部まで、ぼちぼち歩いた。島バナナが実っていた。
今回も『高那旅館YH』に2泊した。
(ヤシガニのメス)夜、ホステラー4人と宿のケンちゃん、おいちゃんと「ヤシガニ捕り」に出掛けた。
島をほぼ一周して、ようやくメスのヤシガニを見つけた。
ソフトボールより少し大きいくらいだった。
まだ、子供だから逃がしてあげた。
5月26日(土)
朝方3時頃まで、ホステラーのみんなと話し込んでいたので、ちょっと眠い。
僕以外は今日、島を出るそうだ。
「出逢いは別れの始まり...」かぁ。ちょっと寂しい気分になる。
港で見送りをして、島の西側で泳ぐ事にした。
この島のビーチは、超遠浅で、100M沖に行っても水深はヘソぐらいしかない。
それでも海の中に目をやれば、熱帯魚とサンゴの世界が広がっている。
なんてすばらしい海だろう!!
YHに戻り、泳ぎ疲れたのか、夕食までひと眠りした。
夕食後、昼間泳いだ「西桟橋」まで夕日を見に行った。
しかし、雲が広がり夕日は見れなかった。
それでも、波の音をBGMに、砂浜に寝転がってボ〜っとしているのもイイものだ。
5月27日(日)
いよいよ八重山の旅も今日で最後...(のはずだったが)。
昨年の秋から宿を手伝っているケンちゃんに、港まで送ってもらった。
船の上からず〜っと見えなくなるまで、手を振った。ケンちゃんもそれに応えてくれた。
石垣〜那覇〜羽田と飛行機を乗り継いで、帰る計画だ。
朝食用に、石垣市内のコンビニで、沖縄らしい「紫芋パン」と「元気クール」というドリンクを買った。
那覇で4時間ほど待ち時間があるので、那覇市内を散歩した。
(ステーツサイズレストラン)まずは、波の上地区にあるレストラン『ステーツサイズ』で、ステーキを食べた。
この店には、年期の入ったジュークボックスが置いてあり、その中に『ロード・ツー・ナミノウエ』という、この店に1枚だけ残ったレコードが入っている。
初めて聴いたが、なんだか懐かしい感じがした。
(金城町の石畳道)波の上ビーチや、国際通りをブラブラして、首里城の下にある『金城町の石畳道』に行った。
とても落ち着いた雰囲気の古い坂道だった。
夕方、那覇空港に戻ると、辺りは霧で真っ白。
なんだかおかしいゾ。アナウンスを聞いていると...。
「空港周辺は濃霧のため、ただいま着陸を見合わせています」
予想もしていなかった。雨も降っていなかったのに...。
そして2時間後、欠航が決まった。
市内に戻り、電話帳で宿探し。幸い『新金一旅館』という旅宿に泊ることが出来た。
翌日の飛行機もなんとか予約して、国際通りをフラフラした。
5月28日(月)
曇り空の那覇市内。早めに空港に向かった。
昨日の影響で、たくさんの人でごった返していた。
定刻の40分遅れで、雨の那覇空港を飛行機は飛び立った。
2時間後、一週間振りの東京は晴れていた。
(完)
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