鹿児島の知覧という小京都と言われている町が大変静かな綺麗な佇まいの
品の良いと ころなのですが、静岡に次ぐお茶の産地で、
尚且つ特攻隊が出撃した悲しい歴史の町 だと知り、胸がつまりました。
バスガイドさんがまだ、若いけど、相当プロ根性に徹していて、 大したものでした。
特攻隊が寝泊りしていた小屋がそのまま残されていて、当時の布団もそのまま敷かれていました。
バスガイドさんが当時、知覧の旅館の女将で、
特攻隊員の身の周りの世話を焼いて送 り出した女性の手記を読んでくれ、バスの中で泣いてしまいました。
出撃の前夜はお風呂で背中を流してあげながら、涙が止まらなかったそうです。
これから死ぬ子に励まされたという話など、涙なくしては聞けませんでした。
100歳近くまで長生きをされたそうですが、何度も死んでいった子達が夢枕に立ったそうです。
この方は自分の着物を売りながら自費で特攻隊員のお世話をされたそうで、
一枚も箪笥に着物が残ってなかったそうです。
それなのに、当時は人から蹴飛ばされたり、罵声を浴びせられたりと散々な目に合ったそうです。
今でもその旅館が残っていますが、当時としては主義主張を持った勇気ある大した女 性だと思いました。
我々は同年代の息子を持っていて、遺書など見るのが辛いから、
敢えて歴史資料館に は入りませんでしたが、小屋は開放されていて、
当時のメンバーの無邪気な写真など が貼られていて たまりませんでした。
小泉首相が訪問して号泣したと言う話を以前聞いた事がありますが、本当にそんな場 所でした。
石碑に刻まれた名前を写真に撮っている年配の人もいて、
関係者なんだろうと思うと 切なく厳かな気持ちになりました。 |
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