このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

関崎砲台

所在地:大分県佐賀関町関崎

着工:大正10年7月  竣工:大正13年1月

備砲:スカ式12cm速射カノン砲×2門

 駐車場から遊歩道の階段を5分ほどクネクネ降りてゆくと関崎砲台に着きます。
 砲座は谷の部分を埋めるように造られています。そのため沢の水を排水する坑が右端に設けられています。 

 海側から見ています。砲座がふたつ並んでいます。現状では木々が生い茂っていますが、砲台が現役の頃はもちろん伐採してあったことでしょう。うっそうとした木立のため、現在ここから直接海を見ることはできません。


 

 海側から見て左側の砲座です。砲座はコンクリートで固められた穹窿式(きゅうりゅうしき)で、跳弾を防ぐ段々がついています。


 

 

 同じ砲座の内部です。入り口は方形ですが、内部はアーチ天井になっています。砲の据え付け・分解のためでしょうか、天井にはフックが残っています。施工が良かったのでしょうか、コンクリの壁がきれいな状態で残っています。後方の方形の穴から土砂が流れ込んできています。ここはかつてどうなっていたんでしょうか。


 

 向かって右側の砲座です。左右の砲座ともほとんど同型です。こちらの壁面には迷彩塗装がはっきりと残っています。

 

 


 「日本築城史」には「高島第一および関崎砲台:ともに大正10(1921)年7月起工、同13年1月竣工した。スカ式12センチ速射カノン砲2門の砲台で、火砲は平時掩砲所に格納された。下関要塞竜司山砲台の火砲を移したものである。」とあります。
 このあたりの道は「山道」なので、歩兵砲・山砲といった軽砲の類いならともかく、カノン砲の分解運搬にはかなりの困難が・・・。おそらく林業でやるようにワイヤーなどで動かしたんでしょうが・・・。一度据え付けたらおしまいにしたいような立地です。それに掩砲所がどこだったのかも不明です。
 それを言ったら、弾薬庫がどこにあったのか、観測所はあったのか・・・等とわからない事がいっぱいです。それらしいものが見当たらなかったので、おそらく弾薬庫は現在駐車場となっている場所に地上建築として設置されていたのではないかと思われます。そして観測所は見晴らしのいい場所ですから、現在「関崎海星館」となっている場所にあったのではないかと思われます。

 

 砲台の下の砂浜から沖合いの高島を望んでいます。この方向に砲が向いていたのです。そして高島にも3箇所の砲台がありました。いつかは高島へ行ってみたい・・・。 

 

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