このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

大統領が意気投合しても国家統合は無理?

ガンビア

旧イギリス領


 
1664年 イギリスがガンビア川の河畔にジェームズ要塞を建設
1695年 フランスがサンルイなどセネガル北部を占拠
1783年 イギリスがガンビアを占領
1886年 フランスがセネガル南部を支配
1960年 フランスからセネガルが独立
1965年 イギリスからガンビアが独立
1982年 セネガルとガンビアが「セネガンビア国家連合」を結成
1989年 「セネガンビア国家連合」が解体 

  
「ポルトガル領ギニア」というのは、現在のギニアビサウです

第一次世界大戦直後の地図(1919年)  フランス領「セ子ガル」に囲まれてイギリス領のガンビア。一帯は合わせて「セ子ガンビア」。
ガンビアの衛星写真  (google Earth)

西アフリカの地図を見ると、奇妙な形をした国がガンビアだ。領土は三方をセネガルに囲まれ、ガンビア川に沿ってくねくねと続く。東西は300km以上あるのに、南北は狭いところで10数kmしかない。面積1万1295平方km。人口は165万人(2006年)。

ひょっとしてガンビア川の沿岸には歴史的に川魚を捕って暮らす独自の民族が住んでいるのかと思いきや、もちろんそんなことはない。ガンビアのマンディンゴ族はセネガルにも住んでいるし、宗教はどちらもイスラム教が中心。かつてセネガルはフランス植民地、ガンビアはイギリス植民地で、旧宗主国の違いがそのまま領土となったのだ。

15世紀にヨーロッパ人がやって来てから、西アフリカはアメリカ新大陸の開拓に必要とされる奴隷の供給地になった。セネガルの首都ダカールの沖合いにあるゴレ島には、かつてポルトガルが建設した奴隷の積み出し港があり、要塞や奴隷の収容所が歴史博物館として公開されている。セネガルやガンビア一帯には、ポルトガルに続いてオランダ、イギリス、フランスが相次いで進出して海岸の要塞を奪い合ったが、19世紀末にヨーロッパ列強の間でアフリカの植民地分割のための国際会議が開かれ、その時点での勢力範囲をもとに明確な国境線を定めた。セネガル南部のカザマンス州は、その直前まで南側のギニアビサウとともにポルトガルの勢力範囲だったが、1886年に カビンダ と引き換えでフランス領になった。イス取りゲームをしていて「ピーッ」と笛が鳴ったら、フランス人の間にイギリス人が1人ぽつんと座っていて、それが後のガンビアになったということ。

セネガルを南北に縦断するには、数百km奥地へまわり込むのは大変なので、ガンビア領を通過することになる。セネガルの車に乗って領内を通過するだけなら外国人でもガンビアのビザは不要だが、ガンビア川を渡るフェリーの順番待ちで何時間も待たされることもある。西アフリカは旧フランス領が多く、セネガルのほかマリ、ニジェール、ブルキナフォソ、コートジボアールではCFAフランを共通通貨としている。CFAフランはフランス・フランと固定レートで自由両替できたので、アフリカの中では非常に安定した通貨だ。一方でガンビアはダラシという独自通貨を使っている。ガンビアはCFAフラン圏から外されて経済的に不利なのだが、そのかわり関税を安くしていて物価が安い。

植民地から独立したついでに、同じ民族なんだし合併したらといいのに・・・とヨソ者は考えるが、現実には難しい。実際にセネガルとガンビアは82年に「セネガンビア国家連合」なるものを作ったことがある。これは前年にガンビアでクーデターが起き、セネガル軍の介入で鎮圧に成功したのを契機に両国の大統領が意気投合。「ついでに国も統合しよう」と結成し、経済や軍事で一体化を進め、連合議会も設立したが、やがて完全統合を指向するセネガルと主権だけは残しておきたいガンビアが対立し、89年に解体してしまった。

2つの国が1つになると、2人の元首のうちどちらかは元首を退かなくてはならない。大臣など他の権力者にしても同じこと。合併後の公用語を英語にするか仏語にするかも大問題だ。セネガルのエリート層はフランスの植民地支配下で仏語教育を受けてきたし、ガンビアのエリート層は英語教育を受けてきた。どちらを公用語に採用するかはどちらのエリート層が権力を握れるかにつながる。じゃあ英語も仏語もやめて民族固有の言語を公用語にすればどうかというと、両国ともマンディンゴ族の他にいろんな部族がいるので、もっと激しい主導権争いを引き起こしてしまう。

下手に合併しようとするから揉めるのであって、現在のガンビアとセネガルは結構仲良くやっている。ガンビアは小さな国なので諸外国に大使館をほとんど設置できず、ガンビアのビザ申請受付はセネガル大使館で代行している国も多い。

アフリカでは植民地からの独立が相次いだ60年代には、「統一アフリカ」の理想を掲げていくつもの合併・統合構想が語られたが、セネガルがかつて加わった マリ連邦 はわずか2ヶ月で解体し、現在も続いているのは タンガニーカとザンジバルが合併してタンザニアが誕生 したくらい。これもザンジバルの支配層だったオマーン人を虐殺して追い出したからできたようなもの。いくら旧宗主国が勝手に引いた不合理な国境とはいえ、下手な紛争を引き起こすくらいならいじくらない方がマシ。でも、国境線を直さなくても民族紛争ばかり続けている国が多いけどね、アフリカには。

●関連リンク

外務省−ガンビア共和国
外務省−セネガル共和国
A Passage to Gambia ガンビアの写真がたくさんあります
日本ガンビア友の会 ガンビアの子供達に学費援助を行っているNPO
西アフリカ・ニジェール川探検紀行 日本語のルーツはガンビア?まさかね

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