このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

ほとんど意地で領有し続けている地図にも載らない岩礁の飛び地

ペニョン・デ・ヴェレス・デ・ラ・ゴメラ
ペニョン・デ・アルホセイマ
チャファリナス諸島

スペイン領

 
1508年 スペインがペニョン・デ・ヴェレス・デ・ラ・ゴメラを占領
1561年 スペインがペニョン・デ・アルホセイマに要塞を建設
1564年 スペインが再びスペインがペニョン・デ・ヴェレス・デ・ラ・ゴメラを占領
1673年 スペインが再びペニョン・デ・アルホセイマを占領
1847年 スペインがチャファリナス諸島を占領
1912年 フランスとスペインがモロッコを分割。モロッコ北部はスペイン保護領になる
1956年 モロッコが独立。しかし上記3ヵ所はセウタ、メリリャとともにスペイン領の飛び地として残留

Spanische Halbinselin 4 Blattern, Blatt 3 1891年のスペイン南部の地図。対岸のモロッコ側にスペイン領の飛び地(黄緑色でマーク)が散在しています
セウタ〜メリリャ間のスペイン領飛び地の地図 (ポーランド語)
ペニョン・デ・ヴェレス・デ・ラ・ゴメラの衛星写真  真ん中の白い岬です(google map)
ペニョン・デ・アルホセイマ の衛星写真  (google map)

モロッコの北岸にあるスペインの飛び地といえばセウタとメリリャだが、メリリャにはほとんどの地図に載っていないような超ミニ飛び地がいくつか存在する。ペニョン・デ・ヴェレス・デ・ラ・ゴメラ(Penon de Velez de la Gomera)とペニョン・デ・アルホセイマ(Penon de Alhucaimas )、そしてチャファリナス諸島だ。いずれも一般人が住める場所ではなく、スペインの軍隊だけが駐屯している。

ペニョン・デ・ヴェレス・デ・ラ・ゴメラはセウタの南東117kmの地点にある島というより岩礁で、面積4ヘクタール。60人の守備兵が駐屯し、モロッコ本土とは80mの砂洲で繋がっている。

ペニョン・デ・アルホセイマはセウタの南東155km、メリリャからは西へ約100kmの地点にあり、モロッコのSanjurjo村の沖合300メートルに浮かぶ3つの岩礁で、面積は合わせてたったの1ヘクタール。60人のスペイン兵が駐屯している岩礁は海面から高さ27メートルの絶壁がそそり立ち、70メートル×50メートルほどの広さの場所に兵舎や監視塔として使われている時計台、そして16世紀に建てられた教会がびっしり並ぶ、文字通り「海に浮かぶ要塞」というか軍艦島だ (写真参照)

一方で、チャファリナス諸島はメリリャの東48kmにあり、Ra'sul-Ma'港の沖合3.5 kmにある3つの島で、面積は0・61平方km。他の2ヵ所と比べればまだ「島らしい」場所で、かつては修道士が住んだり、政治犯の流刑地に使われたりしたが、現在では190人のスペイン兵が駐屯していて、自然保護区にもなっている。

石油が出るわけでもないし、こんな小さな岩礁を占領し続けて駐軍費用がかかるだけ損だと思うが、どれか1つでもモロッコへ返還に応じれば、セウタとメリリャも返還せざるを得なくなりかねないわけで、スペインにとっては価値がどれだけあろうとなかろうと、放棄するわけにはいかないという状態。

1912年にスペインとフランスがモロッコを分割して植民地にした際、カリームに率いられたベルベル人が反乱を起こし、「リフ部族連合共和国」の建国を宣言しながら14年にもわたって戦い続けた(リフ戦争)。21年にはスペイン軍が大敗し、一時はメリリャの放棄寸前にまで追い込まれたが、25年にフランスとスペインの連合軍が上陸して一気に形勢を逆転させた場所がペニョン・デ・アルホセイマ。そういった歴史からも、モロッコ人にとっては余計いまいましい存在だ。
 

●関連リンク

FOTOS DEL PE??N DE VELEZ DE LA GOMERA ペニョン・デ・アルホセイマとペニョン・デ・ヴェレス・デ・ラ・ゴメラの写真(西語)
Penon de Velez de la Gomera 1572年のペニョン・デ・ヴェレス・デ・ラ・ゴメラの絵があります(英語)
DC3MF Penon de Alhucemas ペニョン・デ・アルホセイマの解説。上空からの写真もあります(英語)
 
 

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