このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

ビサンティン帝国の再興を夢見たギリシャの勇み足

イズミール

旧ギリシャ領

1919年5月 ギリシャ軍がトルコに上陸し、イズミール地方を占領
1920年8月 セーブル条約でイズミール地方がギリシャ領に。ギリシャ軍はさらにトルコ内陸部へ侵攻
1922年9月 アタチュルク率いるトルコ軍がギリシャ軍を追い出し、飛び地消滅
1923年7月 ローザンヌ条約でイズミール地方のトルコ帰属が確定

第一次世界大戦でギリシャが獲得する予定だった領土  ただし、ロードス島などドテカネス諸島の島々はセーブル条約ではイタリア領になりました
セーブル条約でギリシャが獲得したスミルナ州(イズミール)の地図  ただし、ロードス島は除く
 

1921年発行の世界地図より。スミルナ(イズミール)周辺の色はギリシャと同じ
古代ギリシャ文明発祥の地はエーゲ海。現在エーゲ海の西岸はギリシャ領だが、古代にはイオニアと呼ばれた東岸はトルコ領。あれれ、イオニアのギリシャ人はどこへ行ったの?といえば、今から70年ほど前にギリシャへ強制追放されたのだ。

1453年にギリシャ正教の総本山だったビザンティン帝国を滅ぼしたオスマン・トルコは、東ヨーロッパから北アフリカに至る広大なイスラム帝国を築き、ギリシャ人もすべてオスマン・トルコの支配下に入った。もっともオスマン・トルコは宗教に寛容だったので、キリスト教徒も人頭税を払えば信仰をそのまま続けられた。

19世紀に入るとオスマン・トルコは弱体化し、1829年にギリシャが独立した。しかしこの時、ギリシャの領土は今より狭く、ギリシャ系住民が住む地域のほとんどは依然としてトルコ領のままだった。

第一次世界大戦でトルコが敗北し結ばれたセーブル条約で、オスマン・トルコの領土は細分化される。東ヨーロッパ諸国が次々と独立、アラブはイギリスとフランスに分割され、 ロードス島 はイタリアに奪われ、トルコ東部では アルメニア が独立し、イスタンブールやボスボラス海峡一帯は国際管理地帯とされ、ギリシャもほぼ今の国土にまで広がって、さらにエーゲ海東岸のイズミール地方を領有することが認められた。イズミールはトルコ語の地名で、ギリシャ語の地名はスミルナ。トルコ人よりもギリシャ人が多く住む街だった。ちなみにサンタクロースのモデルになった聖ニコラウスの故郷だと言われている。

しかしギリシャはイズミールの領有だけでは満足せず、ビサンティン帝国ひいては東ローマ帝国再興のチャンス到来とばかりに、500年前に失われた領土を取り返すべく、トルコ内陸部の奥深くまで侵攻し、占領地でトルコ系住民の虐殺事件を引き起こす。領土分割で混乱状態にあったトルコは、一時は国家存亡も危うくなったが、後に「建国の父」と称されるケマル・パシャの指揮のもと反撃に転じ、3年後にはギリシャ軍を壊走させてエーゲ海東岸から追い出した。ギリシャの無謀な拡張欲がトルコの再興を促して、イズミール地方まで失わせてしまったのだ。

こうして23年には改めてローザンヌ条約が結ばれ、トルコはギリシャに奪われたイズミールや、 エディルネ を含む東トラキア地方の領有を認められたほか、アルメニアの独立を取り消し、国連管理(実際にはイギリス軍が占領)とされた ボスボラス海峡地帯 も取り戻した。

この後、ギリシャとトルコは住民交換条約を結び、紛争を抜本的に解決するために、ギリシャに住むトルコ人とトルコに住むギリシャ人を、それぞれ相手国へ強制移住させることになった。これによってトルコを追われたギリシャ人は150万人、ギリシャを追われたトルコ人は100万人と言われる。

ちなみに「ギリシャ人」と「トルコ人」を判断する基準は宗教とされ、ギリシャ正教徒はみんな「ギリシャ人」、イスラム教徒はみんな「トルコ人」として扱われた。トルコ領内で「ギリシャ人」が多く住んでいたのは、イズミール地方のほか黒海南岸とカッパドキア(キリスト教徒の地下都市遺跡で有名なところ)で、イズミール地方のギリシャ正教徒はギリシャ語を話していたが、黒海南岸の住民が話すギリシャ語はギリシャ本土では全く通じず、カッパドキアの住民はもっぱらトルコ語を話していた。しかし彼らもすべてギリシャ人とみなされ、先祖代々住みつづけていた土地から追い出された。これらの地域では古代ギリシャ文明やビサンティン帝国時代の遺跡が観光スポットになっているが、その横には数十年前のギリシャ人村の廃墟があったりする

トルコはギリシャとの住民交換に先立って、東部に住んでいたキリスト教徒(アルメニア正教)のアルメニア人たちを虐殺したり砂漠地帯などへ追放するなどして、100万人以上とも言われる犠牲者を出している。アルメニアが独立しようにも、トルコ領内からアルメニア人が抹殺されてしまったのだ。現在のトルコは国民の99%がイスラム教徒だが、こうした大掛かりな民族浄化の結果なわけですね。

●関連リンク
イズミールとエーゲ海沿岸地域  トルコ政府観光局の提供です
ビサンティン帝国同好会  ビサンティン帝国の総合サイト。帝国の歴史や歴代皇帝、系譜、国制などがわかりやすく紹介されています
エンヴェル・パシャとケマル・パシャ  オスマン・トルコ帝国の崩壊とケマル・パシャについて
第一次世界大戦—希土戦争  ギリシャ軍のイズミル占領から放棄まで詳しく解説されています
 
 

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