このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

住民受けを狙ってお医者さんを元首に据えた、1日だけの傀儡国

ベニン共和国

首都:ベニンシティ

1967年9月19日 ナイジェリアの中西部州がベニン共和国として独立宣言
1967年9月20日 ナイジェリア軍が占領し消滅

ビアフラ戦況マップ  ビアフラ軍の進軍コース(黄緑色の線)にBeninという都市があります
現在のナイジェリアの地図  Edo州とDelta州が旧中西部州 

現存している ベニン共和国 とはまったく別なので要注意(※)。もっとも15世紀から19世紀末まで、現在のナイジェリア中部からベニン共和国にかけての海岸沿いにベニン帝国が君臨していて、その首都・エドは現在のベニンシティ。だからかつて存在したベニン共和国と現在のベニン共和国の国名の由来は一緒だ。

※現在のベニン共和国は1961年の独立当時は「ダオメー共和国」という名称で、75年にベニン人民共和国となり、ベニン共和国に改称したのは1990年のこと。最近では「ベナン共和国」と表記することが多くなった。
1967年5月末にナイジェリア連邦の東部州が ビアフラ共和国 として独立を宣言し、7月から連邦軍との間でビアフラ戦争が始まったが、緒戦で勢いに乗るビアフラ軍はニジェール川を越えて進軍し、8月9日に隣の中西部州の州都・ベニンシティを占領。9月に反攻に転じた連邦軍が迫ると、19日に中西部州は「ベニン共和国」として独立を宣言した。もっともその元首は、8月からビアフラ軍の占領下で軍政長官をしていたオコンコ少佐で、いかにもビアフラの傀儡政権。しかし翌20日、中西部州は連邦軍に占領されたので、わずか1日だけの独立国だった(※)。
※より正確に言えば、独立宣言をしたのが19日午前7時、ナイジェリア軍がベニン・シティを占領したのが20日午後1時だから、30時間存在したことになる。
それにしても、ビアフラ(東部州)の独立のために戦っていたはずのビアフラ軍が、なぜ中西部州へ攻め込んだのだろう。
・開戦とともに連邦軍が北からビアフラを攻撃して首都・エヌグを脅かしたので、連邦軍が手薄な中西部州を攻撃して兵力を分散させようとした。
・できればそのままナイジェリアの首都・ラゴス(西部州)を占領してしまい、西部州のヨルバ族にも独立をけしかけて連邦を解体したかった。
・中西部州の海岸地帯は東部州と並ぶ産油地帯で、ここを占領すればビアフラがナイジェリアの石油をすべて抑えることができた。
・・・などの要因があったのだが、その他にも中西部州に住むイジョ族やエド族が、ビアフラの味方になりそうだったからだ。

ビアフラ軍、ほとんど抵抗を受けずに占領したが・・・

ナイジェリアには250以上もの民族が暮らしているが、そのうち北部に住むイスラム教徒の遊牧民のハウサ族、西部に住むイスラム教徒の農耕民のヨルバ族、東部に住むキリスト教徒の農耕民のイボ族が3大民族で、当時は北部のハウサ族が連邦政府の実権を握っていた。ビアフラ戦争とは主にイボ族による独立戦争だが、イジョ族やエド族もキリスト教の農耕民なので、文化的にはイボ族と近い。また中西部州の軍幹部の多くはイボ族で、ビアフラ戦争が始まったとき、中西部州は模様眺めといった感じだった。ビアフラが独立する前から、連邦政府は東部州を経済封鎖するために交通や通信を閉ざしたが、これによって東部州との流通が止められた中西部州の経済は打撃を受けていた。

このためバンジョ准将率いる3000人のビアフラ軍の武器は、ライフル銃や棍棒という超軽装備だったが(兵士の14%しか銃を持っていなかった部隊もあったという)、ほとんど抵抗を受けることなく12時間で中西部州を占領することができた。中西部州のエジョール知事(エド族)は命からがらラゴスへ逃げたものの(※)、中西部州の軍幹部はほとんどがベニンシティに残り、バンジョ准将を出迎えた。こうしてビアフラ軍は連邦軍が中西部州に渡していた武器を大量に捕獲することができた。

※この時、知事官舎の警備兵が発砲したのが、ビアフラ軍が受けたほとんど唯一の抵抗だったという。
中西部州を占領したビアフラ軍は「ナイジェリア解放軍」と名を変え、イジョ族やエド族に「北部の封建主義者(ハウサ族中心の連邦政府)」を倒すために共に戦うべしと呼びかけて、連邦の首都・ラゴス(西部州)を目指して進撃を続けた。この時、中西部州の留守を誰に預けるかが問題になり、ビアフラのオジュク大統領は中西部州の軍司令官だったヌワウォ中佐(イボ族)を軍政長官に就けるよう命じたが、バンジョ准将は「地元住民の反発を招きかねない」と強硬に反対して、ビアフラ軍の進軍は3日間停止。結局イボ族だが保健所で働いていたオコンコ医師に軍政長官になるよう命じて出発した(※)。
※オコンコは就任演説の冒頭で、「オコンコ少佐です。でも皆さんにはドクター・オコンコとしてお馴染みですよね?私も普段ならドクターとして知られ続けていたかったです・・・」と語ったという。
しかしビアフラ軍の占領下に置かれた中西部州では、連邦政府よりもビアフラへの反発が高まっていった。戒厳令によって住民は自由に外出できなくなり、ハウサ族のみならず「連邦政府と通じている」と疑われた者は片っ端から逮捕され、官庁や公営企業の上層部はビアフラ支持者にすげ替えられた。ビアフラ政府は中西部州政府(実際にはビアフラ軍の占領当局)と「経済協力協定」を結んだが、それによって必需物資をビアフラへ供出することが強制され、北部州から肉の供給が途絶えたこともあって中西部州では物資不足が深刻になった。こうしてイジョ族やエド族はビアフラ軍に協力するどころか抵抗運動を始め、オコンコ医師は「住民に毒を入れられているかも知れない」と食事も落ち着いて食べられなくなったという。

独立するよりも、やっぱり連邦を支配したほうがいい!

快進撃を続けていた「ナイジェリア解放軍」ことビアフラ軍は、8月末に首都ラゴスの220km手前の町・オレを占領。連邦のゴウォン元首はいつでも出身地の北部州へ逃げ帰れるように、ラゴス空港で専用機のエンジンをかけっ放しにするほど追い詰められたが、ビアフラ軍の進軍はここで止まってしまう。その原因はビアフラ軍を率いていたバンジョ准将だった。

バンジョ准将はビアフラ軍ながらヨルバ族で、中西部州に攻め入るにあたってオジュク大統領と「ラゴスを占領したら西部州をオドゥドゥワ共和国(※)として独立させ、バンジョがそれを支配する」という紳士協定を申し合わせていた。そしてバンジョは西部州まで進軍するとヨルバ族の有力者たちと接触していたが、ビアフラ兵を率いて来たバンジョはなかなか信用されなかった。そこで兵士らにビアフラ軍のバッチを外すように指示を出したりしていたが、「オジュクに従って西部州の支配者になるより、オジュクもゴウォンも倒してナイジェリア全体の支配者になった方がいい」と考えを変え、オジュクを暗殺しようとビアフラへ戻ったのだった。

※「オドゥドゥワ」とは、ヨルバ族の王の祖先と言う伝説の人物の名で、メッカの方角からやって来たという。
 
ビアフラのオジュク大統領(左)と、ナイジェリアのゴウォン元首(右)

バンジョ准将は戻ったところを捕まって処刑され、司令官を失ったビアフラ軍は総崩れになった。もともとビアフラは北部州の連邦支配を倒すために西部州を独立させることは考えていても、中西部州をどうするかははっきり決めていなかった。中西部州はもともと西部州の一部だったが63年に分離して生まれた。ビアフラ側は住民がイボ族に近いのでビアフラに併合したかったようだが(※)、バンジョ准将は西部州と一緒に自分が支配することを考えていた。軍政長官に中西部州の軍司令官を就けることに強く反対し、「住民受け」を理由に医師を据えたのも自分の言うことを聞かせやすいためだったが、ナイジェリア解放軍としてビアフラ軍に加わっていた中西部州の軍幹部たちは、旗色が悪くなると連邦軍へ寝返ったり脱走が相次いでしまった。

※現在、 ビアフラ亡命政府のサイトに掲載されている地図 では、中西部州のうち石油が出る海岸地帯(現:デルタ州)だけが、ビアフラの領土とされている。
ビアフラ軍はベニンシティ放棄の間際になって、東部州以外への領土的野心がなかった証として中西部州を「ベニン共和国」の名で独立させてみたが、わずか1日しか持たなかったという次第。軍政長官から今度は国家元首に据えられたオコンコ医師は、「主権国家として国連と英連邦、アフリカ統一機構に加盟したい」と発表したが、もちろん加盟申請すらできず、敗走する軍とともにビアフラへ逃げ込んだ(※)。
※ビアフラ軍は撤退の際、ベニンシティの銀行の大金庫から200万ポンドを運び出し、それが当面のビアフラの軍資金になった。もっとも金庫にはあと1000万ポンドあったのだが、運びきれなかったらしい。
ビアフラ軍の中西部州侵攻は、それまでイボ族に同情していたイジョ族やエド族の怒りと、ヨルバ族の警戒心を招き、緒戦での連邦軍の敗北に慌てたイギリスやソ連によるナイジェリアへの武器援助を加速させることになった。そして雪崩を打った退却にビアフラ軍の士気も落ち込んで、以後ビアフラは滅亡への道を辿ることになる。

1970年にビアフラ共和国が崩壊する直前、オジュク大統領は海外へ脱出したが、オコンコ医師はビアフラに残り、連邦軍によって「反乱軍であるナイジェリア解放軍の少佐」として逮捕された。それでも4年後には恩赦で釈放されたとか。

中西部州は1991年にエド族中心のエド州(ベニンシティなど内陸部)とイジョ族中心のデルタ州(海岸地帯)に分割されたが、デルタ州では「ナイジェリア最大の外貨獲得源になっている石油の利益が地元に還元されていない」と不満が高まり、2004年にはデルタ人民志願軍(NDPVF)が自治を要求して武装闘争を仕掛けた。油田を襲撃したり、外国人技術者を誘拐するなどして、国際石油価格の高騰の一因にもなっている。
 

●関連リンク

不思議の国 ナイジェリア  ベニンシティ出身のエド族と結婚した日本人女性のサイト
Major Okonkwo Announces Establishment of the Republic of Benin  オコンコ元首によるベニン共和国の独立発表(英語)

参考資料:
伊藤正孝 『ビアフラ 飢餓で滅んだ国』 (講談社文庫 1984)
Midwest Invasion of 1967 http://www.dawodu.net/midwest.htm
Nigeriaworld -- Ojukwu's Biafra memoir   http://nigeriaworld.com/columnist/uzokwe/050206.html
DAWDOW . com http://www.dawodu.com/ 
 

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