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『金装民謡 茶葉青』 雅歌YKR002/94
『金装民謡Vol.1 上花轎』 雅歌VCD-YK-014



A1(4).茶葉青      A2(6).賣湯丸
A3(1).上花橋(上花轎)  A4(11).馬車夫之戀
A5(2).女兒圏      A6(3).峇里島
A7(5).康定情歌     B1(12).螢火虫
B2(9).紫丁香      B3(14).小小羊兒要回家
B4(7).採紅菱      B5(13).小放牛
B6(8).沙里洪巴     B7(10).踏雪尋梅

                               王ちゃんのデビュー・アルバムになります。雅歌でも第2弾と
                              いう早い時期のアルバムですが、これで王ちゃんが猛烈に売れた
                              ため、以降の雅歌は王ちゃんを中心に動いた感じがします。
                               何故王ちゃんが売れてしまったかですが、おそらくは女の子に
                              好かれたのだろうと思います。母親たちにも好かれたでしょう。
                              ともかく嫌味なところがない子でしたから、それが強みだったで
                              しょう。これがだんだん目鼻立ちが整ってきますと、ときどき天然でボケるところがあり、また、これがやっぱり嫌われないところでしょう。
 タイトルはカセットでは「茶葉青」を表に出していましたが、ヴィデオなどでは「上花轎」を出していました。これは「上花轎」が可愛らしい作りだからでしょうが、茶を摘んでいる王ちゃんも充分に絵になっていました。
 茶畑があるということで、山の方の画像は金馬崙高原とわかりますが、海岸の方はどこでしょうか。「峇里島」では海辺で遊んでいる画像も結構撮られていますが、背景に車が走っていますから、マレー半島かペナン島の沿岸で写したのだろうと思います。

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『金装民謡(二) 我愛口哨』 雅歌YKR010/95
『金装民謡(二) 魚兒那里來』 雅歌VCDYK-034・PRINDEX LVM960059




A1(4).我愛口哨
A2(13).雪人不見了
A3(1).魚兒那里來
A4(9).熱[火共][火共]的太陽
A5(3).孤兒樂園
A6(7).小木馬
A7(8).青春舞曲
B1(12).母親[イ尓]在何方
    (母親[イ尓心]在何方)
B2(14).世界眞細小
B3(5).杭州姑娘
B4(10).媽媽好(世上只有媽媽好)
B5(6).讀書郎
B6(2).少年的我
B7(11).快走到我的面前來

 王ちゃんの第2弾ですが、『金装民謡 茶葉青』からそんなに時間は経っていませんが少し大きくなったかなという感じがします。これは競演している子供たちが小さいからかもしれませんが、王ちゃんが芸達者だからそう思えるのかもしれません。
 ここでの曲も子供らしいものが中心となりますが、オリジナル自体は子供向けだったというわけではありません。カセットの出だしの「我愛口哨」にしても潘秀瓊のヒット曲ではなかったでしょうか。
 VCDでは最後にNG集などもついていますが、PRINDEXからのVCDは雅歌の中でも早い時期のものだったように思います。こういったヴィデオがVCDとしても出されるようになったきっかけがこのアルバムだったように思います。

『金装民謡Vol.3 大家來環保』 雅歌YKR017/95・YKM2035/95
『精装民謡(三) 大家來環保』 北京北影録音録像ISRC-CN-888-97-431-88/V.J6




A1(9).大家來環保
A2(7).擦鞋歌
A3(1).小和尚
A4(13).竹竿舞
A5(10).自己跌倒自己爬
A6(5).採蓮謡
A7(11).一顆星
B1(14).[口亞]子背瘋
B2(3).我愛芭蕾
B3(4).郷村姑娘
B4(8).唱出一個春天來
B5(12).出人頭地
B6(6).小花帽
B7(2).天黒黒(福建)

 王ちゃんの第3弾ですが、ここで初めて福建曲を取り上げています。カセットでは最後ですが、ヴィデオでは2曲目です。もっとも、カセットの最後は比較的重点をおかれた曲が位置しますので、意味のある選曲だったのだろうと思います。
 ところで、画像の「天黒黒」ですが、ここでの王ちゃんは味噌っ歯です。いってみれば、この頃までは完全に子供の時代だったということでしょう。
 このアルバムでは、画像の収録地が特色だったといえるでしょう。「大家來環保」をはじめ、何曲かがSarawak州のSibuで撮られているのですが、これはSarawak州の華人からの働きかけがあったようで、画像の最後の鳴謝に何人かの名前が登場していました。

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