このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

緊張(?)の初アメリカ(4月)

  出発は忘れもしない1990年4月3日。それまで外国に行くことはおろか飛行機にすら乗ったことのなかった僕にとって、空港から先は全く未知の世界でした。フライトは16時30分発のノースウェスト航空28便、サンフランシスコ行き。現在はこのパタパタ式の案内板はありませんが、ユナイテッドとノースウェストの多さは相変わらずですね。天気はとてもよかったのですが、いきなり1時間以上の遅れという幸先のよい(?)スタートとなりました。機内食や映画など、初めてづくしの旅。そういえばこの時期はマコーレーカルキン主演の映画「ホームアローン」の公開後で、フライト中にも上映していました。

  カリフォルニア州エルセリート市 El Cerrito にある家。ここが1年間お世話になる「自宅」です。サンフランシスコとは湾の反対側に位置する丘の上で、庭先からは湾がよく見えます。とーっても静かな住宅街です。(12月撮影)

  庭先から眺めた夕焼けです。正面に見えるのが、太平洋への玄関・ゴールデンゲートブリッジ Golden Gate Bridge で、その左手がサンフランシスコ市、右手はヨットハーバーで有名なソーサリート Sausalito などのあるマリン郡です。このようにゴールデンゲートブリッジに沈む夕陽を見ることができるのは、自宅からは冬場のみ(位置によって異なります)。息をのむような美しさです。(12月撮影)

  近所の子供たちと。エルセリートの住民の平均年齢は30代と若く、よって子供の姿もよく見かけます。僕の自宅の近くにも、同じ学校に通う子供が何人かおり、僕が英語を全く話せなかった頃からこうやって遊んでいました。こういうことができたのも、この年齢のおかげ、かもしれません。また、この写真には写っていないのですが、僕はこの1年間、同じクラスだったTetsuに大変お世話になりました。

  僕が通った現地の小学校、ケンジントン・ヒルトップスクール Kensington Hilltop School です。ケンジントンはエルセリートの隣にある市で、自宅からはこちらが近かったので市境を越えて通っていました。その名の通り丘のてっぺんにあり、校庭からの眺めをあしらったトレーナーが売られています。僕も2着持っていたのですが、もう小さくて着られません。送迎は親にしてもらっていましたが、通学バスやローラースケートで通学している子もいました。(3月撮影)

  そしてもう一つ、毎週土曜日に通っていたのが、サンフランシスコ市内にある日本語補修校です。現地の中学校を借りていたのですが、この校庭にはなんとモグラが多数生息していて、巣穴がたくさんあいています。また海岸に近いためカモメも多く、特に一緒に遊べる昼休みは楽しい時間でした。ちなみに中学校名は A.P. Gianini Middle School 。ジャニーニというのは、サンフランシスコに本店があるトランスアメリカ銀行にいた人物で、ゴールデンゲートブリッジ建設資金融資を決定した人として知られています。(3月撮影)


 

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