このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
片上鉄道は、岡山県柵原で採掘・精製される硫化鉄鋼石を、積出港のある片上まで運搬するため1923年から1931年 にかけて順次延伸開業した非電化私鉄です。 一時は隆盛を誇った柵原鉱山でしたが、やがて日本経済の成長による円高で国内産鉱石の競争力低下をきたし、 徐々に採掘量を減らしていきました。そして1980年代には安価な鉱石を輸入し柵原で加工・製品化するという操業形態 になっていました。 鉱石の輸送量低下、旧国鉄和気駅での貨物連絡断交、トラック輸送への代替と片上鉄道を取巻く環境は年々厳しさを 増し、1991年、片上鉄道は長い歴史に幕を閉じました。 ここでは片上鉄道の末期を飾った車輛の数々を形式写真でご紹介しましょう。 撮影:1987年9月片上にて。 キハ300型 303 1934年製の旧国鉄キハ41000型(41071)で、1952年に片上鉄道へ譲渡されたもの。 片上鉄道入線時はガソリン機関を搭載していたが、1956年にディーゼル機関化、1968年には液体変速機化にそれぞ れ改造されている。 片上鉄道には同様の履歴を持つキハ301、302、305が現存したが、他社への譲渡・廃車により、この303だけが廃線ま で残った。 現在は柵原町の所有となり、柵原ふれあい鉱山公園で動態保存されている。 キハ311と共に1953年に宇都宮車輛で造られた自社発注車。 形式上ではキハ303と同区分であるが、履歴を異にする。 車体はキハ41000の設計に準じているが、張上げ屋根と前面2枚窓が新鮮味を与える。機械式ガソリン動車としては国 内最後の新造車輛といわれている。その後液体変速ディーゼル機関への改造を受け、311は1985年に廃車となった が、312は廃線まで活躍した。 現在は片上鉄道保存会の所有となり、柵原ふれあい鉱山公園で動態保存されている。 キハ801は1981年に同和鉱業小坂鉄道から入線した気動車。また、1984年には同様に802が小坂鉄道から移籍してお り、片上鉄道には計2輛が活躍した。 1962年、小坂鉄道向けに日本車輛で7輛製造された気動車で、当時の「日車標準型」とでもいうべき好ましいスタイルで ある。 1967年に国鉄キハ07(075)の譲渡を受けたもの。 1936年に川崎車輛で造られた機械式ガソリン動車であるが、片上鉄道入線時にはすでにディーゼル機関、総括制御 化が施されていた。 キハ701、703も現存したが、片上鉄道末期まで活躍したのはこの702のみ。 現在は柵原町の所有となり、柵原ふれあい鉱山公園で動態保存されている。 かつて片上鉄道には古典機関車から国鉄同仕様のC11、珍車C13まで各種蒸気機関車が活躍したが、無煙化のため 1965年より導入されたディーゼル機関車である。 自社発注で4輛製造され、国鉄のDD13と比較し、機関出力の強化、中央運転台1組の運転台から前後各専用の運転 台装備など仕様が異なる。正面から向かって右側に運転台があり、国鉄DD13では扉がある部分まで含めた横長の窓 がある。 現在は551号機が柵原町の所有となり、柵原ふれあい鉱山公園で動態保存されている。 1981年に国鉄から譲渡を受けた元オハ53型客車。 2輛が存在し3001は旧オハ351058、3002は旧オハ351227である。 現在は3002が柵原町の所有となり、柵原ふれあい鉱山公園で動態保存されている。 1950年に自社発注で5輛製造された17m級客車。 オープンデッキが特色で、後部より展望車気分が味わえた。 青色に白帯の塗色から「片上鉄道のブルートレイン」ともいわれた。 末期は2001号車を除く4輛が存在した。 現在は2003、2004が柵原町の所有となり、柵原ふれあい鉱山公園で動態保存されている。 |
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