このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

カンチャナブリ


東南アジアの歴史



歴史には、このような目線もあります。もっと自分の国のことについて知りたいものです。



大東亜戦争は偽善と独善との戦い?
 戦後60年にもなるのに、中国や韓国における日本への反日感情は未だにくすぶっています。長期に渡って広範な植民地支配を行った英仏などのヨーロッパ諸国は被支配国からこれほど長期に渡る反感を持たれてはいません。何故、日本に対する反感は大きいのでしょうか。

 もちろん、そこには歴史的な経緯や、中国や韓国が文明的に日本の先輩に当たるといった民族感情など複雑な要素が絡んでいますから議論は単純ではないのでしょうが、それだけが原因で現在の状態に至っているとは私には思えません。

 タイに住んで感じる事は、日本人の哲学は日本人以外には共感できないのではないか、そして、かつては「大日本帝国」や「天皇への忠誠」などのような日本民族にしか共感されないようなことを、一時期にしても外国に押しつけたことも原因の一つにあるのではないか、などと考えています。また、昨今の日本と中国のアジアでの覇権争いが根底にあるのかも知れません。

 近代の世界史を概観すると、それはいち早く近代化に成功した西洋が自分たちの論理や理念を日本を含む非西洋社会に如何にして押しつけ、そして浸透させるかという確執の歴史でした。そこには相当程度の工夫があり、そしてかなりの程度成功した背景には、産業革命後の強力な経済力や軍事力を背景として、キリスト教の布教活動や、それを背景とした民主主義や人権思想、自由貿易などの「民族を超えた理念」を掲げたからだと思われます。

 キリスト教は普遍性の高い教義が中心ですが、日本の宗教は神仏混交であり、明治以降は天皇という現人神を戴く民族色の強い性格を持つものでした。民族的色彩の濃い教義は外国に持ち込んでも共感が得られなかったのは当然のことです。西洋人は、相手社会における支配構造や文化を冷静に観察して、どうすれば自分たちの価値観をうまく受け入れさせることができるかを考えて偽善的な行動をした結果、日本に対する反感のようなレベルには至らなかったのではないかと思われます。

 テレビキャスターの田原総一朗氏は、かつて日本人と西洋人の気質の違いを「日本人は独善的、西洋人は偽善的」と表現したそうです。

 日本人は、自分たちが正しいと信じることをとことん相手国にも実践させようとしますが、それがかえって当該国の反発を呼ぶとしても、それにはおかまいなしのようです。日本の自衛隊のイラクのサマーワ派遣の場合は、それが大変良い結果を生みましたが、ベトナム戦争のときの韓国軍の独善的な行動は現地では大変嫌われました。何れも独善的な考え方の相反する結果のように私は思います。偽善が独善よりも道徳的なわけはありませんが、しかし、偽善は独善よりもおそらく対外政策としてはより実践的なのです。

 日本のメッセージ力が乏しいと私が感じたのは、日本は相変わらず独善的な思考が強すぎて、日本からのメッセージには民族を超えて通用するコンセプトが見えないことにあるのだと思います。靖国神社問題や教科書問題の正当性を主張していくのは間違いではありませんが、現在のグローバル化の進展は、日本に民族を超越した普遍性のある強力な「コンセプト力」を要求しているのだと私は思います。世界に共感の持てるコンセプトを持った日本からの情報の発信が、これからの日本の最大の課題なのではないでしょうか。

 大東亜戦争は、一面においては偽善と独善との戦いでもありましたが、独善が優れているわけでもなく、経済大国になった日本人はこの辺で一皮脱皮してコンセプト力で勝負すべき時代になっているのではないでしょうか。企業の中での会議などでも、イノベーションやコンセプトが重要視されていることと思います。共有可能な明確なコンセプトを持った情報を発信することが肝要で、日本が平和国家を今後とも目指すなら、それは絶対に必要なことなのではないでしょうか。




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