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いのこうの名古屋弁講座


 名古屋弁…、タモリを中心として、「みゃーみゃーうるさいダサい方言」というイ
メージが定着しています。いのこうは、名古屋生まれなのですが、名古屋弁に
は染まらず、幼稚園時代の3年住んでいた大阪でも標準語で通した(亡き母の
弁)らしいのですが、小学3年生の1974年に東京から名古屋に引っ越したとき
は、一週間で名古屋弁に染まって、両親を驚かせました。でも、その時はいの
こうなりに、「何じゃこりゃ…?」という驚きととまどいの連続でした。1984年に
東京に戻ってきたときに、なんとなく意識しないうちにすぐ標準語に戻ってしま
いましたが、世の中には、「ああ、この人名古屋出身だなあ…。」とすぐ分かる
人もいます。(「お天気キャスターの森田さん」とか「森本レオ」が代表例です。
イントネーションで、「あっ、この人名古屋人だがね。」と思ったら、当たっていま
した。)
 名古屋を離れてもう19年になりますが、1974年当時を思い出しながら、当
時とまどった、「不思議な名古屋弁」をご紹介したいと思います。

2003年 5月18日 初版作成
2003年 5月24日 第二版作成(新規・修正したタイトルは青色になっています。)
2003年 6月11日 第三版作成(新規・修正したタイトルはになっています。)




あおやぎういろう(青柳ういろう)



 名古屋のお土産といえば、「ういろう」。「まずい」・「重い」などと言われながらも、価格に比較してものが大きくて重くいので、他人に対しては、「実質」より「見た目」を重んずる名古屋人には未だに根強い人気があります。そのなかでも、「青柳ういろう」はいちばんの老舗です。「くやしかったら言ってみな。白・黒・抹茶・小豆・コーヒー・ゆず・桜。七つの味を残らずポイ、ポポポイのポイポイポイ。青柳ういろう〜、食べちゃった〜。」というポップス調のCMソングは未だに有名です。(最近はあまりテレビではやっていませんが…。)昔は、「青柳ういろう提供の天気予報」というテレビ番組があり、その番組では必ずこの曲がCMでかかっていました。 ちなみに現在のいのこうのPHSには、ストラップに「青柳ういろう」のミニチュアが付いています。



あさひどーかめら(アサヒドーカメラ)



 中区栄にある安売りカメラ店。「とにかく安く、親切に説明しない。」がモットーで、80年代はたしかに名古屋で一番安かったので、いのこうは学校の帰りによく寄っていました。フィルムのパトローネをタダでくれたのも名古屋ではこの店だけだったので、いのこうはここで長尺のトライXやプラスXを買い込んでは、富士のパトローネ(コダックのパトローネは組み立ての時にかしめてあるので再利用できない。)を大量に持ち帰り、家で「海賊版白黒フィルム」を大量生産しては学校で売り歩いて小遣い稼ぎをしていました。 その後テレビの「ご当地CM特集」で紹介されて全国区になり、最近は家電やパソコンにも進出しているようですが、この前覗いてみたら、昔ほど安くありませんでした。



あみん



 名古屋出身のポプコン(ヤマハポピュラーミュージックコンテスト)出身のデュエット。短大の同級生で組んだデュエットで、全国的には「待つわ」の一発屋で終わったが、名古屋では人気があり、FM愛知でレギュラー番組を持っていた。当時「暗い」と言われ(番組もたしかに暗かった)たことに、岡村孝子が、「私たちはレコーディングの時に照明を消すだけだけど、雅夢は照明を消した上に壁に向かって唄うから雅夢の方が暗い。」と豪語していた。



あめよこびる(アメ横ビル)



 1977年頃に大須に誕生した電機・高級品の総合安売りショッピングセンター。中は秋葉原の高架下の電気街そっくりです。怪しいものをいっぱい売っています。その後、「第2アメ横ビル」も出来て、拡大しましたが、最近は昔のようなインパクトはありません。秋葉原にある「九十九電機」とかって、たしか本当はにゃごや資本だと思いますが…?



うなぎ(鰻)



 関東の鰻は背開きで、途中で蒸すのでふにゃふにゃでいのこうはあまり好きではありません。名古屋以西の鰻は腹開きで、蒸さずに焼き上げるので、鰻の皮がクリスピーで美味しいです。(まあ個人の好みもありますが…)有名なのは「櫃まぶし」ですが、熱田神宮の「蓬莱軒」か、錦三丁目の「以ば昇」が有名です。東京で食べるなら、御成門の慈恵医大の横にある店(店名忘れました。)が美味しいです。(ここは、鰻重は関東風、櫃まぶしは関西風と焼き方を変えています。)



えびふらい(エビフライ)



 「名古屋人はエビフライが大好き」などとよく言われますが、そんなにエビフライなんて食べませんよ。「えびせんべい」は名物ですけど。あと、「えびふりゃあ」とか言いません。



えふえむばらえてぃ(FMバラエティ)



 FM愛知製作の音楽番組。「こんばんは〜、こんばんは〜、もひとつおまけにこんばんは。」で始まる番組。当時JFN(死語だね)しかなかったFMなのに、何故かJFNネットではなくて、FM愛知・FM東京・FM福岡の3局ネットでした。



えらい



 「偉い」ではなく、「つかれた」・「しんどい」のこと。「今日は残業だったで、どえりゃあえらかったがね。」というように使います。



おおすういろ(大須ういろ)



 名古屋のういろう市場で青柳ういろうと市場を二分する会社。ただ、ブランドとしては「青柳ういろう」の方が上です。「大須ういろ」は、中にあんこを入れた「ないろ」や、「一口ういろ」などを次々に発売し、対抗しています。「大須ういろ」では、「ういろう」ではなく、「ういろ」と言っています。ういろう(ういろ)は、漢字では「外郎」と書きます。ないろは、「内郎」です。(なんとなくこじつけくさいですが…)青柳ういろうの項でも書きましたが、名古屋人はお土産には使いますが、別にそんなに美味しいものでもないので、自分で買って食べるということはほとんどありません。こちらのCMソングは、「大須ういろ〜と、ない〜ろ〜で〜す〜。」とあくまでも和風の雰囲気で攻めています。



おねうち(お値打ち)



 「お買い得」の名古屋弁。名古屋人は、「お値打ち」という言葉には敏感に反応します。「これはお値打ちだがね。買っとかないかん。」とか言います。スーパーのちらし等にも、東京では、「お買い得商品」などと表示されますが、名古屋では「お値打ち品」と表示されます。



おりえんたるなかむら(オリエンタル中村)



 正式名称を、「株式会社オリエンタル中村百貨店」と言います。もともとは、「中村呉服店」だったようですが、1954年に「オリエンタル中村」と名称を変更しました。何故「オリエンタル」なのか?産まれたときから「オリエンタル中村」と読んでいたいのこうにとっては、自然に受け入れていて、何の疑問も挟みませんでしたが、いまになって思えば、何故「オリエンタル」という冠詞が付いたのでしょう?インターネットでも調べてみましたが、分かりませんでした。 松坂屋に続く第二ブランド(立地は松坂屋より良い)として名古屋に君臨してきましたが、1974年に星ヶ丘に出店したことで事態は一変します。いまでこそ「星ヶ丘」と言えば、「名古屋の副都心」と呼ばれるほどですが、当時は京王線や小田急線が開通した当時の多摩センターのような所で、今でこそ「先行投資」と言えますが、当時は子供の目で見ても「無謀」でした。当然金利と星ヶ丘店の赤字が財務状況を悪化させ、赤字を垂れ流すようになりました。 結局持ちこたえることが出来ず、1980年に三越に身売りして、株式会社名古屋三越になりました。 「名古屋本」を読むと、たいてい、「名古屋人は『エンタル』と呼んでいた。」と書かれていますが、これは間違いです。少なくとも私の友人・知人・親戚はみんな『なかむら』と呼んでいました。 ちなみに『マースカレー』で有名な「オリエンタル」とは何の関係もありません。



おんがく(音楽)



 名古屋に転校して、いちばん困ったのは「音楽」の授業でした。東京の小学校では、「ただ歌を歌うだけ。」という時間だったのに、転校してきたとたん、「ト音記号」たの「音符」だのと言われ、転校直後の小テストでは当然「0点」でした。 こればっかりはどうしようもなく、以後高校まで、いのこうの「音楽」の成績は低空飛行を続けました。



かしわ



 名古屋地区では、鶏肉のことを「かしわ」と言います。胸肉を開いたときの見た目が柏の葉に似ているからだと言われています。名古屋コーチンが有名なように、名古屋人は鶏肉が好きで、鶏肉専門の店が名古屋にはたくさんありますが、他の地域では見かけません。(と思っていたら、葛飾区立石で鶏肉専門店を発見しました。名古屋以外では初めてみました。)



かんりきょういく(管理教育)



 「『愛』の付く県は管理教育」というのは有名な話ですが、愛知県は群を抜いています。特に東郷高校の管理教育は有名で、いのこうは高校2年の文化祭の時にこれをテーマに取り上げましたが、「学区外に外出するときは担任の承認が必要。」、「異性とは親以外一緒に外出してはならない。」、「外出時は制服を着用すること。」、「靴下は長さ何センチでスカートの裾は地上から何センチ」などと生徒手帳にびっしりと規則が掲載されていて、自分の高校の生徒規則の10倍以上規則があってびっくりしました。それを問題にしない親とか世間というのも、いかにも「名古屋人」という感じがします。



がすてん(ガス展)



 東京でも細々と行われているようですが、名古屋の東邦ガスでは、毎年11月に松坂屋本店の大催事場を借り切って大々的に開催されます。 もちろんメインはガス機器の紹介ですが、来場者の目的は抽選会。9月・10月の検針票に抽選券が付いています。 小学校当時、この抽選会に行くのはいのこうの仕事でした。(子供の頃のいのこうはくじ運が強く、幼稚園時代に西宮の商店街で母や兄と別れて一人で年末特売の抽選に行き、1等の毛布を当ててしまい。巨大な毛布の包みを渡されたままその場に立ちつくして泣いていたのを兄に発見され、救出されたらしいです。) いのこう家は、自宅と店でそれぞれガスを使っているので、都合4回抽選できました。いちばんすごかったのはたしか小学4年の時で、4回で2等1回(商品の記憶なし)・3等2回(サラダボウルセット)を引き当て、一人で行ったので、その大荷物を抱えてやっとのことで松坂屋から店にたどり着くと、商品を見た母が、「こんな役に立たなくて嵩の大きいものばかり当ててきて…。」と怒られたのを覚えています。



きしめん



 名古屋特有の平べったいうどんのこと。昔は団子状で「碁石」に似ていたので、「きしめん」と呼ばれるようになったという説が有力ですが、よく分かりません。基本的に、普通のきしめんは関東風の出汁、天ぷらきしめんは関西風の出汁です。夏に食べる冷たいきしめんは、「きしころ」と言います。昔は名古屋駅在来線の立ち食いが美味しくて安かったですが、民営化後業者が変わってしまい、不味くなりました。東京で食べるなら、銀座・数寄屋橋の塚本素山ビルの地下にあるきしめん屋が美味しいです。(いのこう調べ)



きんじょうがくいん(金城学院)



 名古屋ではトップクラスのお嬢さん学校。竹下景子などが金城出身。一応カソリックで土曜日は礼拝で授業はありません。(同じカソリックでも南山はその辺いい加減で土曜日もお勉強。)中学から大学までの一貫教育ですが、途中からの編入も可能です。そのため、年少のうちから入学している方がステータスは高く、名古屋では、中学から金城だと「純金」、高校からだと「18金」、大学からだと「金メッキ」と呼ばれています。



きんてつ(近鉄)



 近畿日本鉄道株式会社。名古屋駅に乗り入れていますが、なんか名古屋では影の薄い会社ではあります。名古屋なのに職員は何故か皆関西弁で、未だに切符売り場はオープンカウンターではなく、『窓口』で、マイクを通して話します。名鉄のビル群に包囲されるように建っている「近鉄名古屋ビル」はなんか異様です。名鉄の新名古屋駅の地下を南に歩いていくとと、突然近鉄ビルに入り、そこを抜けるとまた名鉄メルサという変な構造になっています。(名鉄が、名鉄バスセンターを建設するときに、「共同でビルを建てよう。」と近鉄に提案したらしいのですが、近鉄は拒否して自社ビルを建ててしまい、怒った名鉄は近鉄ビルを包囲するようにビルを建ててしまいました。)



くりすたるひろば(クリスタル広場)



 名古屋の中心部、栄の地下街、「サカエチカ」の中心(栄交差点の真下)にある待ち合わせ場所。分かりやすい場所ですが、ただガラスの氷柱のようなオブジェが数本建っているだけの広場です。しかし、この場所、開業して35年くらい経つのですが、見た感じ一度も改装されていない割に、そんなに古さを感じさせません。なんでだろう…?



こんぱる(コンパル)



 名古屋と言えば喫茶店のサービスが有名で、最近は「コメダ珈琲店」などが雨後の筍のようにそこら中に出来ていますが、地元民に密かに人気があるのが「コンパル」です。名古屋名物と言われる「モーニング」とかはやっていませんが、コーヒーが濃いめで非常に美味しく、人気があります。 特に人気があるのが、「アイスコーヒー」と「カツサンド」です。「アイスコーヒー」は、氷の入った空のグラスと、小さめのコーヒーカップに入ったホットコーヒーが出てきて、自分で作ります。濃いめで美味しいです。先日相席になった清洲から来た80過ぎのおばあさんは、「私は名古屋に出てくるとここのアイスコーヒー飲んで帰るのが楽しみでねえ…。濃いめだけど美味しいでしょう。」と言われていました。「カツサンド」は、注文してからカツを揚げて、独特のソースと大量のキャベツを挟んで仕上げます。「まい泉」とかのカツサンドなんて、「コンパル」のカツサンドを食べたらもう食べられません。 本店は大須にあります。旅行の時に行かれるのなら、名古屋駅と栄の地下街に一店ずつあります。いまどき相席で詰め込みですが、味は保証します。(いままでに連れて行った友人で、「美味しい」と言わなかった人は一人もいません。)意外と地元民には知られていませんが、固定客が付いていて繁盛しています。私も高校時代に先生に教えてもらいました。



さかえ(栄)



 名古屋市の中心部・都心。ビジネス・ショッピング街ですが、不思議なのは、中心に位置する栄交差点の北東の一区画には建物が建っていないことです。なんかいい加減な公園と、いかにも仮設の建物みたいなジェトロの輸入車のショールームが建っています。あのブロックの権利関係はどうなっているのだろう?超一等地なのに…?といつも思ってしまいます。人々は皆地下街を歩いているので、地上の歩道は異常に閑散としています。この辺りの雰囲気は札幌の大通駅周辺と異常に似ています。



さかえちか(サカエチカ)



 名古屋市の都心・栄にある大規模地下街です。東京人の「謎」として、「『サカエチカ』を歩いている人は、暗黙のうちに左側通行で歩いていて、不気味だ。」という記述がよくありますが、新宿の「メトロプロムナード」や、大阪の「阪急梅田駅連絡通路」も、暗黙のうちにみなさん左側通行で歩いています。(いのこう調べ)ただ、なんとなく自動車に乗っているときの習性でみなさん左側通行になるのではないでしょうか?いのこうが東京に出てきたときに驚いたのは、東京の駅の通路には、必ず、「ここは右側通行」などという看板が出ていることでした。明らかに動線に合っていなくて、無視されているところもよく見かけます。どこを歩こうが、放っておけばみなさん歩きやすいように歩くのではないでしょうか?



ざせきとっきゅう(座席特急)



 名鉄に、「高速」という種別が出来る前の「座席指定特急電車」の略称。乗車券だけで乗れるのが「特急」、座席指定券が必要なのが「座席特急」でした。電車には両方とも「特急」と表示され、前面の行き先板が黄色で、側面に「座席指定」または「座席特急」と表示されているのが座席特急で、よくばあさんとかが乗り間違えて250円取られていました。 圧巻だったのが、ラッシュ時のゴールデン・タイムに新名古屋に到着する「座席特急」が各線から多数運行され、「特急」や「急行」の混雑にたまりかねた乗客が座席指定権を持たずに多数乗り込み、名鉄側は各車両に1名ずつ車掌を乗り込ませて、座れないのに「座席指定券」を買わせる、というあこぎな商売がつい最近まで行われていました。 名鉄の場合、「特急券」ではなく、あくまでも「座席指定券」であるところがミソで(「北アルプス」だけは、別の扱いで、名鉄線内だけ乗車でも「特別急行券」と書いてありました。)、このため乗客から、「『座席指定券』と書いてあるのに座れないのはおかしい。」と非難の声が挙がり、中部運輸局が名鉄に行政指導するということもありました。 80年代半ばからようやくコンピュータによる座席管理が行われましたが、それまでは各駅出札口とホームでの「立ち売り」で、「座席指定券」には、列車番号と区間が書いてあるだけで、号車番号と席番は空欄になっていて、JRの「ホームライナー」のように定員制でした。どういう座席管理が行われていたのか不明ですが、まあセコい名古屋人のことで利用客も少なかったので、トラブルが起きたことは見たことはありません。買うときに「展望席」と言うと、その場で何の確認もせずに、「はいはい。」と言って、「1号車1番A・B」などと記入して発売していました。(ホームの立ち売りでも同様) その後、「特急」を「高速」に変更→「高速」を廃止し、「特急」は原則全車座席指定→一部座席指定の「特急」登場、と営業政策はころころと変わっていったのでした。



しきしまぱん(シキシマパン)



 中部地方で最大手のパン製造会社。最近は東京でも売っている、「小倉マーガリン」などはこの会社から出たものと思われます。この会社も東京では「にゃごやブランド」であることをひたすら隠していて、「Pasco」というブランドで展開しています。CMソングは、「ふっくらふくらむ、シキシマ〜パ〜ン〜。」です。



しばす(市バス)



 名古屋市交通局の運営するバス事業のこと。 特色としては、 「前乗り後降り」の西限(と思われる。区間制の時も前乗り後降りで申告制だった。)。 運転が荒い。(50メートル道路(片側5車線)で左端車線の停留所に停車した後、次の信号で右折したりするので、5車線一気に車線変更したりする。) 速い。(いのこうの最高速度経験80km/h(もちろん都市部の一般道路)) 一時期色が変だった。(いまは「市内循環バス」で使われ好評だった白と青のツートンカラーだが、そのまえは、黄色っぽいクリームと緑のツートンカラーというおぞましい色だった。) 乗客の半数以上は敬老パス所持者。(都電荒川線より比率が高い。) などです。



しんなごや(新名古屋)



 名鉄の各線が集まる最重要駅。にもかかわらず3面2線という貧弱な施設です。(戦前は2面3線だったらしい。)岐阜方面から帰ってくると、枇杷島分岐点を過ぎ、庄内川を渡って名古屋市内に入ると、「ただいま犬山ラインパークでは…。」と宣伝の放送があった後、悲しげなオルゴールが流れ(パノラマカーの場合)、「まもなく新名古屋、名古屋です。栄町からの名鉄瀬戸線と、伏見からの豊田新線、飯田・伊那方面の中央道特急バス、京都方面の日急バス、地下鉄、近鉄、国鉄線はお乗り換えです。」というあくまでも自社中心の放送が流れたものでした。 外側の対向ホームが一般列車乗車ホームで、真ん中の島式ホームが降車と座席指定特急乗車ホームです。私の高校時代の友人で、「今日は混んどるなあ…、特急で帰ろか…。」と乗車ホームから特急ホームへ飛び移った奴がいました。まあ3メートル弱ですから出来るんでしょうが…? 現在は中央口・北口・近鉄連絡口の3つの改札ですが、昔は「メルサ口」という普通の人には絶対分からない場所に改札口があり、全て硬券だったので、一部マニアには重宝がられていましたが、その後廃止されました。 昔は混雑時に名鉄観光の手売りがあったのですが、これがすごくて、運賃表を見ながら、名鉄観光の「クーポン券」に一枚一枚女の子二人がかりで書き込むというひどく非効率的な方法でした。2〜3回やっただけでなくなりました。 いまでも中央口の名鉄観光では、普通の「名鉄グッズ」に並んで、ときどき「振替乗車証」(こんなもの売っていいのか?)とか「手書きの生ダイヤ」とかを売っていて、目が離せません。



すいどう(水道)



 名古屋市は何故か木曽川上流の水利権を持っているので、水道の水でも十分に美味しく、水不足になったこともありません。それに対し知多半島の各都市は、下流の水利権しか持っていないので、水は不味く、地下水もないので、時々水不足になります。10年ほど前に知多半島の各都市が危機的な水不足に陥ったときには、各都市が名古屋市に助けを求めましたが、名古屋市は「うちは上流の水利権を持っているから困っとらんもんね。」と、有り余る水を一滴も融通することもなく、節水もせず、「非情な名古屋市」と言われました。過去に遡ると、愛知用水を作ったときに横やりを入れて因縁を付けたのは名古屋市です。なんだかなあ…?



すがきや(寿がき屋)



 地元資本のラーメンチェーン。「安くてまずい」という昔の「吉野家」のような印象がありますが、女子高生には人気があります。男子禁制の店舗もあるとか…?たまに東京でも、「すがきや」のインスタントラーメンを見かけますが、安くても絶対に買ってはいけません。不味いことだけは自信を持って保証します。



ずる(動詞)



 学校の教室の掃除などで、机を持ち上げずに引きずって移動させることを言います。先生に、「○○君、机をずったらいかんがね。」なとというように使われます。これは転校当時非常に違和感があり、とまどいました。



せいゆう(西友)



 言わずと知れた西武流通グループのスーパー。名古屋には店舗は少なく、茶屋が坂・御器所などに数店ある程度です。(春日井に西友系の「春日井西武」があります。)名古屋では進出が遅かったこともあり、比較的ブランドイメージは高いです。この会社が存亡の危機に瀕したのは、日本シリーズが「中日−西武」になった1988年。西武がリーグ優勝したときは、大々的に「優勝記念セール」を開催したものの、日本シリーズの相手が、「中日ドラゴンズ」になってしまい、大問題になりました。ほとんど「踏み絵」状態になってしまい、結局苦渋の決断をしたようで、名古屋地区の西友だけは、中日が日本一になったら、「優勝記念セール」をやる、西武が日本一になったら、「ご声援感謝セール」をやる、という前代未聞の珍事が発生しました。



たわけ(田分け)



 東京で言う「馬鹿」、大阪で言う「アホ」のこと。昔大阪の「探偵ナイトスクープ」という番組で、「バカとアホの境界線はどこか?」という調査をしたときに、中間の中部地方では「たわけ」と言う言葉が使われているということが判明して驚いていましたが、そんなにマイナーなのでしょうか?もともとの語源は、「地主は頭の悪い息子にも田んぼを分けてやらなければならない。」というところから来たそうです。略して、「たーけ」とか言う人もいます。



ちかがい(地下街)



 よく、「名古屋ほど地下街が発達している街はない。」と言われますが、たしかにその通りです。地下鉄東山線開業(1957年)と同時に、名古屋駅・栄町駅に地下街が併設されました。名駅・栄は特に大規模で有名ですが、名古屋の変なところは、中規模駅(金山・上前津)や小規模駅(千種・今池)にも地下街があるということです。これらの駅は、共通設計のように、地下2階がホームで地下1階の両端に改札口があり、改札口間を結ぶ線路の真上の通路の両側が地下街になっています。雰囲気的には、営団銀座線神田駅の地下街に似た感じです。 いまはありませんが、70〜80年代には、地下街のCM(ユニモールやセントラルパークなど)や、地下街提供の番組(「サンロード提供マンガ劇場」など)がありました。当時は、それが当たり前だと思っていましたが、東京に出てきて、「八重洲地下街のCM」などはないなあ…、と気づいてようやく「変な街」だと思いました。



ちかてつ(地下鉄)



 名古屋市交通局高速電車部(いまは何と言うのだろう…)が運営する軌道事業の総称。東山線・名城線・4号線・鶴舞線・桜通線の5路線があります。バブル全盛期に作られた桜通線名古屋〜高岳間各駅の異常に広い島式ホームは必見。(交通局の資料でもこの区間だけ異常に建設費が嵩んでいます。)全車冷房車。 かつては網棚がなく、東京や大阪から引っ越してきた人たちが戸惑ったりしたようですが、現在の車両は全車網棚が付いています。また、ドアを閉めるときに車掌が手笛に代わり、「発車予告ベル」を鳴らすのも独特で、最初に導入された鶴舞線では、開業当初その説明が案内放送で流されていました。 開業以来の第一世代の車両は全廃されました。全廃の時に、鉄道雑誌等で、「市民からは『黄電』として親しまれた。」などと書かれていましたが、そのようなことは絶対になく、冷房車が入り始めた頃には、黄色い電車が入ってくると、乗客は皆天を仰いでため息をついたり、「もう一本待ってみるかね。」などと言って次の電車を待ったりしたものでした。桜通線のない当時、名古屋〜栄間は全国で最も混雑する区間で、トンネル冷房もなく、伏見〜栄間を利用していたいのこうは特に夏場は筆舌に尽くしがたい苦労をしました。(その後耐えられなくなり、バス通学に切り替えたりしました。)



ちゅうにちどらごんず(中日ドラゴンズ)



 名古屋に転校してきて、初めに戸惑ったのは、いきなりクラスのみんなから、「プロ野球はどこのファンなの?」と質問されたことです。それまでプロ野球と言えば、西宮球場(カード覚えなし)と後楽園球場の「日拓ホームフライヤーズ対ロッテ戦」(兄が何を考えたのか、「日拓ホームフライヤーズファンクラブ」に入っていました。)しか見たことがなく、東京の小学校ではプロ野球の話題なんて全く出ていなかったので、非常に戸惑いました。また、学級文庫には、野球関係の本がずらりと並んでいました。 とりあえず「好きな球団はない。」と答えると、「そんなのいかんがね。」と言われ、仕方なく「阪急」と答えると、「パ・リーグのことは聞いとらんがね。セ・リーグだがね。」と言われ、「可及的速やかににセ・リーグの好きな球団を決めるように。我々としては結果が、『中日ドラゴンズ』であることを期待している。」と通告されました。 悩んだ挙げ句、少し親しくなって、近所に住んでいる「かに道楽」の社長の息子に相談すると、「俺は巨人が好きだがね。巨人を好きになってくれたら友達になったるがね。」と言われ、何も考えずに、一週間後に、「僕は読売ジャイアンツのファンになる。」と言ってしまいました。 これが落とし穴でした。そのクラスで、「巨人ファン」だと明言しているのは、その友人と私の二人だけだったのです。それ以後、いじめには至りませんでしたが、ことあるごとに迫害を受けました。運の悪いことに、私が転校した1974年はドラゴンズが優勝。翌年には長島巨人が最下位という逆風にも見舞われました。 そうは言うものの、いのこうは松坂屋本店で行われていた「中日ドラゴンズの選手とのふれあい」とかいう生番組にたまたま兄と居合わせて、鈴木孝正投手に質問したり(いのこうのただ一度のテレビ出演)、ドラゴンズ優勝の記念パレードを見に行って、星野仙一や高木守道と握手したりしていました。 おとなの社会でもひそかに困っている人はいるようで、先日名古屋でタクシーに乗ったところ、「私は別にプロ野球なんて興味がないのに、夜お客さんを拾うと、すぐに「今日は勝っとる?誰が投げとる?(当然中日戦のこと)なんて聞かれて、ラジオで野球中継聴いとる訳でもないんで、「わかりません。」と答えるとどえりゃあ怒られるがね。」と嘆いていたので、「そう言うときは、「私は近鉄ファンなので分かりません。」と答えてみたらどうですか?とアドバイスすると、「そりゃあ良いこと聞いた。これからはそうさせてもらうわ。」と非常に喜んで、タクシー代をおまけしてくれました。 しかし、「中日」なしでは夜も明けない名古屋ではあります。



ちょうせいきゅうしょく(調整給食)



 年度末に給食の予算が余ったときに、返金するのが面倒なので、土曜日に無理矢理給食を出してしまうという荒技。大体、パンと牛乳と果物というのが多かったです。



つる(吊る・動詞)



 前述の「ずる」とペアで使われる言葉で、教室で机などを移動するときに、「(机などを)持ち上げて移動する」という意味です。先程の用例で言えば、「○○君、机をずったらゴミが脚に付くでいかんがね。ちゃんとつりゃあ。」などという風に使います。「ずる」でも書きましたが、これは転校当日から毎日のように耳にする言葉なので、本当にとまどいました。



とうかいがくえん(東海学園)



 昔は進学校と言われた男子制中学・高校と、女子短大を運営している浄土宗系の学校法人のこと。東京などでは、よく「東海大学」と混同されますが、両者には全く関係ありません。 東海出身者で有名なのは、男子制中学・高校では、海部俊樹・サンダー杉山など、女子短大では伊藤みどりです。 男子制中学・高校は原則中高一貫教育ですが、一部高校からの編入も認められており、「外来」と呼ばれています。中学のカリキュラムが公立とは異なるので、「外来」は高校一年は別クラスで東海のカリキュラムに追いつくように教育されます。 この学校法人にはいくつかの特徴があります。 学校の正門を入ると、「明照殿」というお堂があります。 まず中学ですが、ガバンが帆布で出来たショルダーバッグ(関東でも時々見かけます。)で、靴も指定のもの以外不可で学年ごとに靴ひもの色を変えて学年がすぐ分かるようになっています。体操用のジャージも学年ごとに色が違います。どちらも3年周期なので、兄と4学年離れていたいのこうは兄のおさがりは使えませんでした。 夏は水泳がありますが、海水パンツではなく、「褌」です。(これも学年ごとに色分けされています。)夏休みにはいると、一年生は一週間くらい三重県の二見浦に、「水練会」という合宿に行きます。兄から、「近鉄の『あおぞら号』に乗れる。」と聞いてそれだけを楽しみにしていたのですが、私の年だけは2600系(4扉クロスシート)でがっくりしました。 また毎年秋の遠足は「祖山参拝」といって、京都に行き、知恩院を参拝します。また中学では、「宗教」という科目があり、浄土宗の基礎をたたき込まれます。 高校2年になるときに、学力別に二群に分けられ、それぞれ「A群」・「B群」と呼ばれています。さらに3年になるときに、「理系」・「文系」に分けられ、都合4群に分かれます。いのこうは物理と数学Ⅲ(この学校では2年で学習する)で玉砕し、あっさり理系の夢を捨てて、文系に転向しました。いちばん蔑まれるのは、当然「文系B群」(いのこうは当然ここに入りました。) 教師も変わり者揃いでしたが、いちばんインパクトが強かったのは高校3年の担任でした。「金田一春彦のノートを借りて大学を卒業した。」と豪語するこの先生は、「わしは通知票は面倒くさいから作らん。」と言い、「通知票がないと親に怒られる。」という生徒に対して、職員室で成績表と白紙の通知票を渡し、平然と「自分で書け。」と言い放ちました。しかし、いのこうはこの先生がいなかったら中央大学の推薦は通らなかったのです。(「推薦候補は希望者の成績順」という決まりを何故か乗り越えて、いのこうに中大の推薦を取ってきてくれました。) また3年の「数学Ⅰ」の授業で、「平成教育委員会」のような問題がいっぱい出てきて急に数学が面白くなったいのこうは、大学の合格が決まっていたのにまじめに授業を受け、多角形の面積の算出にベクトルの手法を使ったりして、先生とやり合いました。最後に先生に、「お前それだけ出来るなら早稲田の工学部でも受けてみたらいいがね。」と言われ、黙って数学以外の成績を見せたら、「こりゃダメだ。」と言われました。 保守的なように思えますが、比較的リベラルというか放任主義で、「君が代」も「日の丸」もなし、先生も授業ではそれぞれのイデオロギーむき出しで、いまになって考えるとなかなか面白い学校でした。



とうかいぎんこう(東海銀行)



 名古屋を拠点とする都市銀行(現UFJ銀行)です。いのこうは昔地銀だと思っていたのですが、都銀なのですね。本店を新築したときに、本店を模したプラモデルの貯金箱を配っていました。いまそんなことやったら袋叩きに遭うでしょうね。「ミリオンカード」というのは、東海銀行系のクレジットカードです。東京に来て、何故か東逗子駅前に支店があるのを見て驚きました。



としけいかく(都市計画)



 名古屋市の特徴に、「地下鉄と道路を同時に造ってしまう。」というものがあります。過去の地下鉄の建設方法を調べてみると、東山線(名古屋〜今池間)・名城線(栄〜東別院間)・鶴舞線(八事〜赤池間)の建設方法に、「開削工法」ではなく、「露天掘り」と書かれています。道路の予定地に地下鉄を造って、その上に道路を被せているので、「開削工法」ではないのです。従って、錦通りなどは地下鉄の延伸と同時に道路も開通していく、という他の都市では考えられないようなことが起こっています。



なかこうせつ(中公設)



 いのこうが転向して初めての遠足の時、友人とおやつをどこに買いに行くか?という話になったら、友人達は、「俺らは『なかこうせつ』に買いに行く。」と言われ、『なかこうせつ』…?、となりました。行ってみると、「中区の運営する公設市場=中公設」であることが分かりました。名古屋人はこのようになんでも略すことが多く、「錦三丁目(にしきさんちょうめ)=錦三(きんさん)」などが有名です。



なごやおりんぴっく(名古屋オリンピック)



 1988年のオリンピックに名古屋は立候補しました。一体何を考えているのだろう…?他にやることいっぱいあるじゃん…?などと思っていたら、なんと最有力候補になってしまいました。候補地の決定は深夜。翌朝、「どうせ名古屋になっちゃったんだろうなあ…。」と暗い気持ちで新聞を開くと、そこには「ソウル」の三文字が…。オリンピックなんて来て欲しくなかったいのこうは心から喜んだのでした。しかし、愛知県や名古屋市の幹部はあきらめが悪く、その後1985年の「ワールド・インポート・フェア」、1991年の「世界デザイン博」、そして2005年の「愛知万博」と税金の無駄遣いを性懲りもなく続けていくのでした。「世界デザイン博」では、赤字を市が補填して黒字だと粉飾決算をしていたとして、当時の市長などに損害賠償を求める訴訟が起こされ、市長側は敗訴しました。



なごやとしこうそくどうろ(名古屋都市高速道路)



 名古屋市の都市高速道路。もともと広い道が自慢で、渋滞のほとんどない名古屋なのに、そんなものを作ってどうするんだ?大体ケチな名古屋人なのに…?と思っていたら、案の定利用者は異常に少なく、いまでも比較的利用されているのは東名阪〜東名を繋いでいる路線くらいです。(東名阪から名古屋市内に入ってくると、ごきぶりホイホイのように自動的に都市高速には行ってしまうので、みんな仕方なくお金を払っています。)それなのに、さらに栄から東名名古屋インターに直結する路線を造っています。どう見てもほとんどの区間が住宅密集地なのですが、2年くらい見ないうちにあっという間に民家が移転していたのには驚きました。やはり『お上』には弱い名古屋人ではあります。(でも一箇所だけ「天理教名古屋支部」だけは立ち退かなかったので、そこだけ道路が曲がっています。)



ななちゃん(ナナちゃん)



 名駅の南側に続く、名鉄グループの建物群の中にそびえる、「名鉄セブン」のキャラクター(というか巨大人形)。「セブン」だから「ナナ」ちゃんなのでしょう。写真はセール中で服を着せられていますが、普段は裸(というか真っ白)です。「春の交通安全運動」の時などはたすきを掛けられたりしています。しかし、「ハチ公」などと違い、あまり待ち合わせ場所には使われていません。 ちなみに銀座にある、「メルサ」というテナントビルは皆さん東京資本だと思われていますが、あれは「名鉄系」を意識的に隠していて、名鉄資本のれっきとした「にゃごや系」です。その証拠に、名古屋では「名鉄メルサ」と言っていますが、銀座では、絶対に「名鉄」を隠して「メルサ」と言っています。



ぱろぱろえぶりでぃ(ぱろぱろエブリディ)



 CBC(中部日本放送)で、80年代に月〜金の17時台に局の1階のスタジオから生放送していたバラエティ番組です。局アナ(久野 誠氏、その後「燃えよドラゴンズ」で歌手デビューしたほか、いまも時々中日戦の実況中継をやっている。)が、忌野清志郎の格好をして歌ったりしてなんだかよく分からない番組でした。雰囲気的には、後の「夕焼けにゃんにゃん」に似ていました。 いまでも時々話題に上るのが、「ドッチャー」というコーナーです。応募してきた中学生や高校生のチームが校庭や河原でドッチボールをやります。当然どちらかが負け始めて、内野が一人になったら、「ドッチャー」と叫ぶと、「ドッチャー」がそのチームに入って次々に相手チームを倒していくという趣向でした。そして負けていたチームが逆転して勝ち、「ありがとう。ドッチャー。」と言うと、手を振りながら去っていくのです。でも、たまには相手が強すぎて負けることもあり、その時は肩を落として去っていきました。



ひゃくめーとるどうろ(100メートル道路)



 全国的に知られている、「100メートル道路」ですが、南北に走る「久屋大通」と、東西に走る「若宮大通」の二本があります。「先見の明があった」などと言われていますが、戦後の焼け跡にどさくさ紛れに作られた道路で、私の親戚はろくなお金ももらえずに強制収用され、土地を失いました。 「100メートル道路」と言っても、100メートル全て車道になっているわけではなく、歩道と緑地の分離帯を含めて「100メートル」なのであって、車道は片側4車線です。車道としては、片側5車線の「50メートル道路」(これはそこらじゅうにある)の方が広いです。 よく「本当に100メートルもあるの?」と聞かれますが、地元民も分からないので、テレビ等で実測するシーンを時々見かけます。いま「めざましテレビ」の司会をしている大塚範一氏がまだNHKのアナウンサーで名古屋局に勤務中に、「北陸東海・大塚アナの行って来ます。」という番組があり、少なくともその番組だけで2回測っています。(一回目は巻き尺、二回目はレーザー測定器)たしか99.7メートルくらいしかなかったと思います。 東京に出てきて戸惑ったのは、道を尋ねたときなどに、東京の人が「この先に広い道があるから…」などと言われて言ってみると、片側2車線の道路だったり、ひどいときには片側1車線の道路だったりしたことです。名古屋で「広い道」と言えば、ふつう50メートル以上の道路を指しますから、上京して1年くらいはよく道を聞いても間違えました。



びーし(B紙)



 模造紙のこと。名古屋では、「B紙」(「B全判の紙」という意味?)と言います。いのこうはいまでも「模造紙」と言われると何となく「藁半紙」を思い出してしまいます。逆に教えて欲しいのですが、あの上質紙をなんで「模造紙」などと呼ぶのでしょうか?いのこうにとっては、「B紙」の方が雰囲気が出ていると思っているので、東京に引っ越してきて19年経ちますが、未だに「模造紙」という言葉には違和感があります。



ふゆ(冬)



 名古屋の夏が暑いのは有名ですが、冬も寒いです。「伊吹おろし」という北風が吹いてひどく寒く、一冬に3〜4回くらいは積雪があります。いのこうが小学生の頃は、雪の朝学校に行くのにバスを待っていると、バスがスリップしながらバス停に滑り込んできて、びびった覚えがあります。高校の頃は、30センチくらい積もったことがありました。当然交通機関は大混乱。市バスがそこら中でスリップ事故を起こした名古屋市交通局はバス用のタイヤチェーンを7台分しか持っていなかったことが発覚して大問題になりました。交通局は、「バスのタイヤの溝は乗用車より深いからチェーンは要らない。」などと答えて批判を浴びました。そして何故か地下鉄鶴舞線も不通になりました。耐雪構造になっていない交通局の車両が名鉄線内を走行中に機器の中に雪が入り込み、地下鉄線内でその雪が解けて機器がショートしてしまったのでした。名鉄から乗り入れてくる電車が次々とストップして、大混乱になりました。どちらもなんとも情けない話ではあります。



ぶんだん(分団)



 「分団」と言っても消防団とかではありません。集団登下校時のグループ分けのことです。(東京では何と呼んでいるのですか?) 当時集団登下校など、年に一回「防災の日」に集団下校するだけだった杉並区立のヤクザな小学校から転校してきたいのこうには、最大のカルチャーショックでした。 いのこうの転入した名古屋市立栄小学校には、地域別・男女別の分団が組織され、登校時は毎日集団登校、下校時は木・土は集団下校というまるで戦前の国民学校のような制度があったのです。 さらに運の悪いことに、いのこうが住民票を置いていた(ちょうど丸栄スカイルの裏側)栄三丁目北半分には、当時小学生が一人も住んでいなかったため、「分団」もなかったのです。仕方なくいのこうは、栄四・五丁目(中日ビルの裏側の女子大小路辺り)の生徒で組織する、「14・16A分団」に編入されました。 「14・16A」と言う割には、「15分団」も「B分団」もないというよく分からない番号の振り方でしたが、それ以上にこの「分団登校」というのは苦痛でした。 栄小学校というのは、栄一〜五丁目を学区としていましたが、学校は学区の西端の栄一丁目にありました。そのために通学距離は1.2kmほどもありました。 「1.2kmなんて大したことないじゃん。」と思われるかもしれませんが、これが大変なのです。登校経路は広小路通〜伏見通(国道19号線)なのですが、全ての交差点に信号機が付いています。そして、信号が青になって歩き出すと必ず次の信号の直前で赤になるという悪循環に陥るのです。ちょっとだけ走れば一回に二つ信号が渡れて(これを「二重渡り」と呼んでいました。)、赤の間に一区画歩くとすぐ次の信号が青に〜、という好循環を繰り返して、所要時間は半分になるのですが、「分団登校」の規定では、「絶対に走ってはいけない。」となっていたので、恐ろしく時間がかかりました。たしか「分団登校」では、1.2kmに45分ほどかかっていました。 この他にも、「分団登校」には細かい規定が設けられていて、経路は完全に指定されていました。表通りではなくて一本裏道を通れば一つも信号がないのに、あえて表通りが経路に指定されていました。その通りのどちら側の歩道を歩くかまで規定されていました。「名古屋祭りの時は、歩道が混雑するので、特例として地下街を通っても良い。」という規則までありました。 木・土以外の下校は「分団下校」ではなかったので、帰りは「二重渡り」、急いでいれば「三重渡り」をして帰りました。所要時間は登校時の半分以下になりました。 いのこうは転校生の常で、3年生の途中で転校したので、当時の五年生に二年間みっちりいじめられました。彼らが卒業したら、いのこうは何故か副班長に「昇格」しました。副班長と言っても、分団の最後尾にいて、信号を渡るときに「手〜挙げて〜。」と叫んで全員に手を挙げさせ、止まってくれた左折車に、「ありがとう。」と声をかけるという情けない役でした。班長が休むと、班長代行として、分団旗を持って先頭を歩くことが出来ました。しかし、「『愛』の付く県は管理教育」とはよく言ったものです。皆さんの中には経験されていない人も多い、「国旗掲揚」も「君が代斉唱」も当然のようにやっていました。



ぷりんせすおおどおり(プリンセス大通り)



 栄三丁目の丸栄とダイエー栄店の間を南北に貫く一方通行の狭い道の名称。ある日突然、ゲートが建てられ、大きく「プリンセス大通り」と書かれていました。何故「プリンセス」なのか?いまだに分かりません。 名古屋には他にも大げさな名称の施設が多く、久屋大通の野外ライブが出来る広場は、「エンゼルパーク」。テレビ塔の直下にある地下街は、「セントラルパーク」と言い、「ロサンゼルス広場」(姉妹都市らしい)という広場があります。



まわし



 「準備」・「用意」の名古屋弁。「そろそろ出かけるで、まわしはできたかね。」とか、「夕ご飯のまわしは出来たかね。」などというように使います。



みそおでん(味噌おでん)



 関東で、「味噌おでん」というと、普通のおでんに味噌をかけたものを指しますが、名古屋で言う「味噌おでん」とは、「味噌で煮込んだおでん」です。雰囲気的には「ドテ煮」・「味噌煮込みうどんのおでん版」に似ています。関東で言うおでんは、「関東煮」と言います。この味噌おでんは一回ハマると病み付きになって、関東風のおでんは味付けが薄すぎて食べる気にならなくなります。いのこうは東京ではほとんどおでんは食べません。



めいだい(名大)



 名古屋以外の街で、「めいだい」と言えば当然「明治大学」のことを表しますが、名古屋で「めいだい」と言えば「名古屋大学」のことを表します。でもなんとなく存在感の薄い大学です。堅実な名古屋人にとって、「名大」を出て、「名古屋市役所」に勤める、というのは、一種のステータスではありますが、あまりにも情けない気がします。



めいてつでんしゃ(名鉄電車)



 皆様ご承知の名古屋鉄道株式会社が運営する鉄道事業の総称。路線規模・車両数が多い割に採算路線が少なく、新性能化・冷房化が遅れ、「もさい電車」と呼ばれていました。 この会社にまつわるエピソードはいろいろあります。 まず1974年、石油ショックでマイカー通勤をしていた人たちが一気に電車通勤に変更したため、朝のラッシュ時に殺人的なラッシュが起こり大問題に、それに対して名鉄が取った対策はパノラマカーの中間車12両の増備のみ、乗客からは批判の声が挙がり、ついには中部運輸局まで乗り出して、結局東急から廃車になる電車を購入することで急場をしのぎました。電車を売りに出していた東急は、「まさか大手私鉄から引き合いが来るとは…。」と驚いたとか…。 1980年頃までは冷房車も少なく、いつもはパノラマカーで運用されている名古屋本線の高速・急行も、7月20日頃に海水浴ダイヤに変更され、特急が大増発されると突然全て非冷房の5000系や5200系が運用されるという、あからさまな儲け主義には頭が下がりました。新名古屋駅で、「今度の新岐阜行き座席特急、座席券はあと5枚です!お急ぎ下さい!」などと八百屋の売り込みみたいなことをやっていたのもこの時期です。 運賃改定も多く、そのたびに公聴会では地域エゴ丸出しの陳述人が、「名古屋本線の普通電車を増発しろ(当時名古屋市内でも30分間隔だった。)、「犬山線の混雑をなんとかしろ。」とか、「津島線は、値上げの度に「サービス向上する」と言われ続けてきたが、一度も約束が守られたことがない。」など、まあ、もっともだなあ…、と思われる証言がたくさん出てきました。 次は地下鉄鶴舞線と豊田新線の相互乗り入れの時、乗り入れ車両の基準を巡り、当然「20m4扉車」を主張する名古屋市交通局に対し、名鉄は、「それではトヨタの城下町の人は乗ってくれない。パノラマカーで乗り入れる。」と譲らず、1年以上揉め続けました。 他にも時速100km/hの特急が夏の暑さで曲がった線路に突っ込み、運転士が気が付かないまま2km以上も後部車両を脱線させたまま走り続けたり、4両分しかホームがない高架線で6両編成を止めて平気でそのままドアを開けたり、と情けない事故は後を絶ちませんでした。 あといまだに分からないのが、金山橋(現金山)駅の到着アナウンス。いつもどう聞いても同一人物の声なので、自動放送かと思うのですが、「まいります電車は津島方面佐屋行き急行です。この電車は栄生にも止まり、津島から普通になります。」とかいうように複雑怪奇なダイヤの説明をちゃんとこなしていました。まだ1980年代。技術的にとてもプログラム式の自動放送とは思えないのですが、いつ言っても同じ声・調子でアナウンスしていました。謎です。



もさい(もっさい)・ぼさい



 ダサい・古い・ぼろぼろのことを、「もさい」とか「ぼさい」と言います。例えば名鉄電車のことを、「もさい電車」などと言います。ただ、最近は名古屋の街中を歩いていても、あまり聞かない言葉になりつつあります。



やっとかめ



 「お久しぶり」の名古屋弁として有名ですが、いのこうはこの言葉を使っている人を見たことがありません。あの「金さん・銀さん」でも、「お久しぶりだねえ…。」と言っていました。死語だと思います。



やまもとやほんてん(山本屋本店)



 名古屋で味噌煮込みうどんではもっともメジャーな店です。確かに美味しいですが、最近慢心して高級志向に走り、漬け物を付けて料金を上げたり、「かしわ入り」を廃止して、高い「名古屋コーチン入り」だけにするなど、感心しません。昔は安くて詰め込みで愛想悪くて安かったのですが、最近は愛想は良くなって席も広くなりましたが、それに比例して(というかそれ以上に)値段が上がってしまい、残念です。 初代の社長が亡くなったときには、「ご愛顧御礼」と言って、行くと食事券をくれました。まだ使っていませんが、まだ使えるのかなあ…? メジャーなのは名駅新幹線口地下街「エスカ」の店ですが、ここは観光客で異常に混んでいて落ち着きません。名駅で食べるなら、ちょっと遠いですが、在来線側駅前堀内ビル(地下街「ユニモール」から直接入れます。)の店か、栄の中日ビルの地下の店(こちらも地下街「サカエチカ」から直接は入れます。)をお薦めします。 なおね三越などには、「山本屋総本家」という店が入っていますが、これは「本店」とは全く関係ありません。あまり美味しくないですし、なべの蓋に穴が空いていて、蓋を皿にして食べられないので食べにくいです。



ゆうべのひととき(夕べのひととき)



 NHK−FM名古屋の月〜木、18時〜19時に放送していた音楽番組。担当アナウンサーは決まっていなくて、その時手が空いている人が放送していたようで、しゃべりまくって7曲くらいしか流さない人から、事務的に「では誰々さんのリクエストで…です。」と言って曲をどんどんかけて1時間で10曲くらい流す人まで様々でした。基本的にフルコーラス流してくれるので、エアチェックには重宝しました。



ゆにー(ユニー)



 名古屋地元資本のスーパー。名古屋市内だとそこらじゅうにあります。東京に出てきて、金沢文庫や武蔵小杉でユニーを見たときはびっくりしました。最近は高級路線バージョンとして、「生活創庫アピタ」などという店舗も展開しています。



よんえむ(4M)



 名古屋のデパート戦争を表すのに、テレビや新聞でよく使われていた言葉です。名古屋市内の主要百貨店4店(松坂屋・三越・丸栄・名鉄)が全てイニシャルが「M」であることから作られた造語です。新聞の見出しで、「4Mデパートお歳暮対決」というように使われました。ジェイアール高島屋が出来てからはどう呼んでいるのでしょう?「4M1T」(電車の編成みたいだなあ…?)とでも呼んでいるのでしょうか?



わからん(分からん)



 「わからない」の名古屋弁。取り上げるほどのことはないのですが、「ATOK13」で、「わからん」と入力しても、絶対に「和下欄」とかに変換されてしまいます。東京でも使っている人多いのになあ…?





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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください