このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




池島〜1999-7-17〜


池島とは

 池島は、長崎県西彼杵半島にある外海町の西7キロの海上、角力灘に浮かぶ、東西1.5キ
ロ、南北1キロ、周囲4キロ、面積が約0.9平方キロの小さな島です。

 この小さな島には、九州で最後まで残った炭鉱がありました。 そしてそれは、釧路の太平洋
炭鉱とともに、国内でただ二つ残った炭鉱なのでした。

 池島炭鉱の営業出炭開始は昭和34年と、国内では最も新しい炭鉱といえるでしょう。石炭
産業が、エネルギー革命の波にのまれ斜陽になっていくなか、池島炭鉱はその流れに逆らうよ
うに急速に成長しました。人口も、炭鉱ができる以前の昭和26年頃には350人程度でした
が、昭和46年には人口が7,500名以上に膨れ上がりました。

しかしながら、低価格の外国炭におされ、合理化による人員削減や、賃金カットなどで耐え忍
びましたが、平成13年11月29日おしまれつつ閉山しました。

閉山にともない、島は人口の流出がおきて現在の人口は1,000名をきりました。

 池島炭鉱の開発は、戦前の昭和9,10年頃に、松島炭鉱(株)によって鉱脈の調査などが始
められました。しかし、当時の松島炭鉱(株)が操業を行っていた松島坑では、大正6年、昭和4
年、昭和9年と人命を奪う坑内事故が続き、昭和10年に松島での事業を中止せざるをえなく
なりました。そのため、松島炭鉱(株)は拠点を大島(長崎県西彼杵郡)に移すことになり、くわ
えて戦争という混乱もあり、池島の開発は持ち越されていました。

 池島炭鉱の開発が再開されたのは、戦後になってからで、昭和27年5月には島の用地買収
の契約が成立し、池島住民の生活保証・完全雇用・電気・診療所・社船利用などの協定も合意
がされました。さらに、同年十月の鍬入れ式が行われ、昭和34年に営業出炭を開始しまし
た。

その後、池島炭鉱は、幾度かの存続の危機を乗り越えましたが、平成13年に閉山、現在炭
坑は五カ年計画に基づき研修センターに生まれ変わっています。

(長崎県池島のHPより引用しました。)



池島へ〜1999年7月17日〜

 我々が池島を訪れたのは、1999年7月17日のことです。

 当時CPCメーリングリストで、私達は、「廃墟」や「炭鉱」、「高度成長」について盛り上がって
いました。そのうちに、「もう日本の石炭産業は長くないかもしれない。そうだ、池島に行こう。」
ということになってしまいました。

 「池島探検隊」に参加したのは、
   ・北海アザラシさん
   ・克美しげる模型さん
   ・大雪丸さん
   ・いのこう
 の4人でした。偶然にも、4人とも昭和40年生まれでした。(池島訪問のあとの飲み会で判明
しました。)

 連絡は全て電話線を使ったメールで行われ、当日佐世保駅に集合することになりました。本
当は、こういうテーマについては権威・教祖と言われる、パンダの積荷様も案内役として参加さ
れる予定でしたが、突然「俺は屋久島に行く!」と言い出して、不参加となりました。しかしその
代わりに、詳細な「池島ガイド」がいのこうのもとへ送られてきました。

 私は前日の飛行機で博多に入り、一泊したあと、「みどり」で佐世保駅に着きました。駅には
既に3人が集合していました。「池島ガイド」に従い、雨の中佐世保港へと向かいました。

 佐世保港から、西海沿岸商船という会社の高速船に乗り、1時間あまりで目指す池島に到着
しました。

 船を下りると、目の前に一台の長崎バスが止まっていました。島内唯一の路線バスです。
我々はバスに乗り込み、とりあえず終点を目指しました。バスは曲がりくねった坂道を上ってい
き、途中で少ない乗客を数人ずつ降ろしていきました。バス停の数は非常に多く、走り出したと
思うとすぐ止まる、という感じでした。10分ほどで終点に到着しました。



 バスの終点付近にあった鉱山職員用の住宅です。ユニークな形ですね。




 鉱業所全景です。




 鉱業所の横に山と積まれた坑木です。閉山までに全部使い切ることが出来たのでしょうか?




 目指すトロッコの線路が見えてきました。




 鉱業所を記録する探検隊員。




 港からの道にはスローガンが…。




 隣の松島が雨に煙っています。




 裏側?から見た鉱業所。




 海岸付近には、ズリを捨てるトロッコの姿が…。




 バテロコに牽かれて空車のナベトロが戻ってきました。追跡します。




 交換設備なのか、引き上げ線なのか…?二列車が並びました。




 作業は一休み…。職員の方も休憩です。




 道路をアンダークロスして鉱口へ向かうトロッコ列車。




 列車は鉱口に消えていきました。




 この船で石炭を運搬しているのでしょうか…?




 島内唯一と思われる踏切。遮断竿はなんと物干し竿でした。




 鉱口から列車が出てきました。




 ナベトロにはズリが満載!




 ズリを積んだ列車は海岸へと向かって行きました。

 トロッコの活躍を見ることが出来て、我々探検隊は満足し、帰りの船の時間も迫ってきたの
で、港へと戻りました。港の船の切符売り場は良い味を出していて、大雪丸さんと二人で感動
しましたが、地元の人が何人かいたので、写真を撮るのは控えました。

 しかし、いま考えると、もっと写真を撮っておくんだったなあ…。



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