このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

北辺のパシフィック・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・宗谷本線

昭和47年現在、北の看板列車「利尻」は既にDL化されていたが、旭川区のC55は稚内までの321レ・322レ、名寄までの区間列車331レ・330レの2運用についていた。南九州のオリジナルに近いC55に比べて、キャブの密閉化・シールドビーム補助灯取り付けなどの改造はあるものの、水かき付スポーク動輪は繊細なシルエットをかもし出して何度と無く足を運ばす事になる。最北端に向かう路線は、三浦綾子の小説で有名な塩狩峠、手塩川沿いの智東周辺、日本海にぽっかりと浮かぶ利尻岳を背にする抜海〜南稚内、など変化に飛んだ撮影場所に事欠かなかった。なお、C55晩年にはC57も入線していた。

 

夜汽車

今では考えられないが、撮影者どころか乗客の姿すら見当たらずしばしC55を占有する一時。

雪晴れの朝

以前から車窓でチェックしていた丘に、腰までのラッセルに汗をかきながらながら登ると、4両の客車を牽引したC55が軽やかに目前を通過した。

雪の交換

名寄駅ではC55同士の交換風景を見る事が出来た。

同じく名寄駅の交換

今では大変贅沢な話だが、C57が運用に入っていると撮影に拍子抜けしてしまった思い出がある。

  
ホームに戻る  

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください