このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

レトロ琺瑯看板京都市内編(3)
放浪探索日H15,1,13
・今回も探索・撮影は同志M,N氏によるものです。
伏見区中心部にて
なんという。レア看板!!伏見市となっています!!
明治以降京都市の中の伏見区であったが、伏見区民は市制を望んでいた。そして昭和4年(1929)念願の伏見市が誕生した。その後、京阪電車の開通・酒造り等の産業が急速に盛んとなっていく。しかし政治的背景の中、わずか2年後に再び京都市に編入され伏見区となる。しかし、その時の伏見区は近辺町・村を合併された大伏見となっていたので、京都市の中で、最大の行政区となった訳である。ある意味当初から望んだ市制の意味がそこにあった訳である。
昭和4年から、僅か2年間の伏見市。よく現存していた!!感心させられる。
昔からある仁丹広告。
やや絵柄が繊細か?
伏見区中心部にて
伏見区の町名には秀吉時代の城下町ゆかりの地名が今も残る。
例えば、左写真の魚屋町。他に鍛冶屋町・銀座町・等。また、大名屋敷跡なども町名として残っている。大島屋敷町・加賀屋敷町・柴田屋敷町など他にも沢山現存している。
蔵の造りなど伏見独特の面影が残る町屋風景。
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伏見桃山城
桃山御陵
この階段を登り切った所が明治天皇陵。
豊臣秀吉が最期を遂げた所はどこ?と聞かれたら皆さん。わかりますか?答えはここ、伏見城なのですよ。現在ある城は桃山城と云われ、附近は遊園地ですが、ここも不況の折H15年1月をもって閉園となります。この城は模擬城ですが保存される事がほぼ決定したようです。本当の天守閣は明治天皇陵の位置にあったそうです。
伏見区中心部にて
町屋の玄関先に残る番地表示板
左写真の銀座町という地名は今でいう造幣局の跡地の意味。
上右の両替町は今でいう銀行の事。当時の秀吉の権力がうかがえます。
伏見酒の銘柄のひとつ神聖
今回は伏見区中心の放浪取材でした。もっと探せば、いろいろ趣きのある看板が見つかるかもしれません。しかし一枚の看板からでも歴史を彷彿させる新たなる発見が!!よく観察しないと見落としてしまいそうな看板・・時の流れをシビアに見つめてきたのですね。
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伏見中心部名所
大倉記念館
酒倉のある風景(月桂冠)
寺田屋
看板のある町屋
大倉記念館は有名な月桂冠の蔵元、大倉酒造が公開している、お酒の展示館です。お酒の仕込みから醸造に至る工程を詳しく知る事が出来ます。おみやげも貰えます。
寺田屋は坂本竜馬が遭難した所としてあまりにも有名です。建物はその当時のまま保存され現代に至っています。内部は見学も出来、その当時の刀疵も鮮明に柱にきざまれています。

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