このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



寝台特急出雲号と出雲・鳥取の旅2006(平成18)年1月9日(月・祝) -その3-
浜坂〜大阪4D (特急はまかぜ4号)
特急はまかぜ4号(姫路方)
「特急はまかぜ 浜坂−大阪」の方向幕
次に、浜坂駅始発の特急「はまかぜ」4号に乗車しました。
山陰特急のイメージを残すキハ181系での運転で、ヘッドマークには鳥取砂丘が描かれていますが、実際に鳥取駅を発着するのは朝晩の一往復のみで、それ以外の列車は兵庫県の浜坂駅か、香住駅発着です。

数週間前から普通車指定席はすべて発売済みで、指定席を取ることができなかったため、早めに自由席車両の前に並びました。
扉が開くのを待っていると、この天気でホームの屋根の上の雪が融け、ポタポタとしずくが落ちていました。
自由席の乗車口には少し列ができていましたが、それほど長いというわけでもありませんでした。
扉が開いて乗車すると、7〜8割くらいの席が埋まりました。
そして、13時52分、浜坂駅を発車しました。
過ぎ行く浜坂の街並みと、広がる青空は、またいつか訪れたいと思うに十分でした。

左上:特急はまかぜ4号(姫路方)
右上:「特急はまかぜ 浜坂−大阪」の方向幕
左下:2,3番線ホームにて
(以上、浜坂駅にて)
2,3番線ホームにて

餘部鉄橋からの眺め
兄弟赤島
青空の下、すっかり寒さも緩んだ餘部橋梁を通過しました。
朝、鉄橋を見上げた余部公園には、同じように列車を見上げている方の姿が見えました。
香住駅に停車すると、隣りの席も含め、ほぼ座席が埋まりました。
列車は山間を走ったかと思うと、海が見えたりもします。
入江の周りには集落が広がり、海と密接に繋がった生活が営まれていることが伺えます。
竹野駅を発車し、長いトンネルを抜けると、城崎温泉駅に到着しました。
ホームにはたくさんの乗客の姿があり、あっという間に車内は通路もデッキも一杯になりました。
なかなか全員が乗り込めず、少し遅れて城崎温泉駅を発車しました。

左:餘部鉄橋からの眺め
(餘部〜鎧間にて)
右:兄弟赤島
(鎧〜香住間にて)
円山川と城崎大橋
円山川と金梨山
城崎温泉駅から先、列車は円山川沿いを進みます。
川底を深くするためでしょうか、重機で川底をすくっているところが何ヶ所かありました。
玄武洞駅で特急「北近畿」号の通過待ちを行い、豊岡駅、江原駅、八鹿駅と、停車するごとに乗客を増やしていく列車は、ディーゼルエンジンがかなり苦しそうに唸っているように感じました。
列車は播但線との分岐駅、和田山駅に到着しました。
ここでも列車の到着を待っている乗客の姿がありましたが、乗り換えでしょうか、下車される方もいらっしゃいました。
和田山駅を7分遅れで発車した列車は、山陰本線から播但線に入りました。

左:円山川と城崎大橋
(城崎温泉〜玄武洞間にて)
右:円山川と金梨山
(和田山〜竹田間にて)
播但道が並走
播但国境の山々
横を流れる円山川には、次第に大きな岩が目立つようになり、上流に近いことが伺えます。
右側頭上から播但道が横切り、しばらく並走すると、列車は生野駅に停車しました。
発車すると、線路沿いから列車を見送る2人の子供の姿がありました。
生野駅からは、播磨と但馬の国境に差し掛かり、急に山深くなりました。
列車は、山間を縫うように、川沿いを右へ左へ蛇行しながら進みます。
気付くと、沿線の雪の量はかなり少なくなってきていました。
山間を抜けると、急にスピードが上がりました。
寺前駅に停車、ここからは電化区間に入るため、隣りには103系の電車が停車していました。

左:播但道が並走
(新井〜生野間にて)
右:播但国境の山々
(生野〜長谷間にて)
姫路に到着
明石海峡大橋
福崎駅を発車して、次の停車駅が姫路駅であることが放送で告げられると、下車準備をされる方がたくさんいらっしゃいました。
山陽道をくぐり、列車は高架に上がると、周囲には家々が広がり、右手遠くに姫路城が見えました。
山陽新幹線の高架を6両編成の0系「こだま」号が新大阪へ向かっていく姿が見えると、再び地上へと下り、9分遅れで姫路駅に到着しました。
多くの方が下車され、通路に立つ人の姿はなくなりました。
列車は、姫路駅から進行方向を変わるので、発車してから座席の向きを変える音があちこちで聞こえました。
少し日が沈みかけ、次第に暗くなってきました。
明石駅に停車した列車は、しばらくして明石海峡大橋の下を通過しました。

左:姫路に到着
(京口〜姫路間にて)
右:明石海峡大橋
(明石〜舞子間にて)
特急はまかぜ4号(大阪方)
9,10番線ホームにて
列車は、神戸駅に停車、8分遅れで発車しました。
辺りはすっかり暗くなり、車窓には都市の夜景が広がります。
次の三ノ宮駅でもかなりの乗客が下車され、空席も目立つようになってきました。
隣りを追い越していく普通列車に着物を着た若い女性の姿があり、改めて成人の日であることを思い出しました。
尼崎駅を通過すると、いよいよ大阪駅到着の放送があり、しばらくして淀川を渡り、列車は終点の大阪駅に到着しました。

今回の旅を振り返り、「山陰」に対する「遠い」というイメージは全く以って覆されましたが、ほんの一部分を見たに過ぎません。
もうすでに「次はどこに行こうか」とプランを立てたくなるに十分な旅でした。
ただ、そのアクセスの一つである寝台特急「出雲」号が廃止されるという事、そして、一度しか乗車する機会がなかったことが残念でなりません。
相次ぐ寝台特急の廃止に、出雲号に対するファンの熱も高まっていると聞きます。
しかし何より、出雲号の歴史に敬意を払い、最後まで無事に走りきってくれることを心から願っています。

左:特急はまかぜ4号(大阪方)
右:9,10番線ホームにて
(以上、大阪駅にて)


寝台特急出雲号と出雲・鳥取の旅
2006(平成18)年1月9日 -その2-
旅の記憶 トップページ

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください