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寝台特急はやぶさ号と熊本・鹿児島の旅

2007(平成19)年1月7日(日) -その1-
熊本〜八代〜人吉
6325M (普通)→1225D (普通)
普通列車(八代方)

この日は5時半に起床し、6時半頃にホテルをチェックアウト、その1分後には熊本駅に到着しました。
まだ暗い中、しばらく3番線ホームで待っていると、八代からの普通列車が到着し、折り返しの八代行き普通列車に乗り込みました。

6時58分、列車は熊本駅を発車、宇土駅までは昨日の三角行きの列車で通っていますが、外はまだ暗く、景色もよく見えません。
ようやく空も白み始めた頃、朝練でしょうか、ジャージを着た女子高校生が何人も乗ってきて、車内は少し賑やかになりました。
列車は新八代駅に到着、わずかな停車で発車しました。
新幹線の駅舎と、そこから続く高架橋が遠ざかっていきました。

八代駅からは、肥薩線に乗り換え、人吉駅に向かいます。
冷え込むホームで待っていると、しばらくして、折り返し人吉行きとなる普通列車が到着し、列車に乗り込みました。

左上:普通列車(八代方)
(熊本駅にて)
左下:普通列車(人吉方)
右下:「人吉−八代」のサボ
(以上、八代駅にて)

普通列車(人吉方)
「人吉−八代」のサボ
球磨川の左岸を走る
球磨川を渡る

八代駅を発車してしばらくすると、車窓右手に、日本三大急流の一つである球磨川も見えてきました。
並行する鹿児島本線である肥薩オレンジ鉄道の線路が左に逸れながら高架に上がり、その後、大きな右カーブを描いて、オーバーパスしていきました。
対岸には国道219号線が走っており、普通車や観光バス、トラックが走っているのが見えました。
球磨川の作り出したわずかな土地が、八代と人吉を結ぶ重要なルートであることが伺えます。

鎌瀬駅を発車した列車が、程なくして、第一球磨川橋梁を渡り、右岸へと移ると、今度は国道が橋を渡り、左岸へと移っていきました。
列車は、球磨川の流れに沿って右へ左へと向きを変えながら進んでいきます。

渡駅手前でもう一度球磨川を渡ると、少しずつ視界が開け、人吉盆地へと入りました。
田圃が広がる中を進むと、しばらくして、終点の人吉駅に到着しました。

左上:球磨川の左岸を走る
(段〜坂本間にて)
右上:球磨川を渡る
(鎌瀬〜瀬戸石間にて)
左下:球泉洞付近
(白石〜球泉洞間にて)
右下:穏やかな流れ
(一勝地〜那良口間にて)

球泉洞付近
穏やかな流れ
人吉〜免田
7D (普通)
普通列車(湯前方)
4,5番線にて

人吉駅では、8分の連絡で、くま川鉄道に乗り換えました。
くま川鉄道は、1989(平成元)年10月、JR湯前線を引き継いで開業した、第三セクターの路線です。

跨線橋を渡り、くまがわ鉄道のホームにある専用の自動券売機で免田駅までの切符を買い、列車に乗り込みました。
乗り継ぎがよいためでしょうか、それとも、時間がよいためでしょうか、2両編成の車内はそこそこ座席が埋まっていました。

9時18分、人吉駅を発車した列車は、しばらくJR肥薩線と並走した後、分かれてすぐに相良藩願成寺駅に停車しました。
次の川村駅を発車すると、列車は球磨川を渡りました。
列車は、田圃の広がる中を走っていきます。

おかどめ幸福駅で、多くの乗客を下ろした列車は、免田駅に到着しました。

左上:湯前行き普通列車
右上:4,5番線にて
(以上、人吉駅にて)
左下:第四球磨川橋梁を渡る
(川村〜肥後西村間にて)
右下:田圃が広がる
(一武〜木上間にて)

第四球磨川橋梁を渡る
田圃が広がる
免田
免田駅

近くにある焼酎の酒蔵を訪れるために、免田駅で下車しました。
免田駅近くには、あさぎり町役場もあり、この周辺地域の中心といった感じでしょうか。
駅舎も色々な施設が併設されており、比較的大きなたたずまいでした。

歩くこと数分、松の泉酒造合資会社に着きました。
まだ早い時間だったためでしょうか、酒蔵も見学させて頂こうと思っていたのですが、他の観光客の姿はなく、「まあとりあえず買うだけでもいいか」と、売店とレストランがある建物へと入りました。
しばらくあれこれ品定めをして、「水鏡無私」と「精選 水鏡無私」、そして、「ウッチャンボトル」を買い求めました。
ちなみに、「ウッチャンボトル」とは、ここ松の泉酒造が「ウッチャンナンチャン」のウッチャン(内村光良さん)の母方の実家であることから、ウッチャンのイラスト入りのラベルが貼られたボトルのことです。
お店の方にどうやってここを知ったかを尋ねられ、ウッチャンナンチャンのファンサイトから知ったと答えると、「昨日、ちょうど、ウッチャン来たんですよ」とのこと、なんともビックリしてしまいました。

その後、蔵の中を見学させて頂けることになり、製造行程を説明して頂いたり、また、戻ってから、焼酎の試飲をさせて頂きました。
そのとき、九州で焼酎が盛んになった理由(温暖な気候のため、どぶろくを蒸留させ、日保ちさせる文化が広がった)や、人吉より上流の球磨川沿いで米焼酎が受け継がれてきた理由(球磨川を上るだけで疲れてしまった大名がこの先に田圃などないだろうと人吉で引き返してしまったために更に上流地域では酒造りに米が使えた)など、色々な話を聞かせて頂きました。

左上:免田駅
左下:松の泉酒造合資会社
右下:酒蔵の中

松の泉酒造合資会社
酒蔵の中


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