このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


2002.05.05日(日)

 端午の節供あんどゴールデンウィーク中とあって、普段単行が多い牛久以南に三両編成が入るので行ってきました。本来なら四月初旬に大久保の桜を撮りに行く予定でしたが今年は開花が早く、諦めていたら何時の間にか五月になってしまい久々の撮影です。

 九時に五井に到着、平日休みの身にとっては久々に休日に来ましたので跨線橋のお弁当屋さんがおり、おにぎりを買いこみ人込みのホームへ。切符を立ち売りしていたのでフリー切符を買い三両編成の車内を見るともう立ち客が数人いましいた。自分は取りあえず構内を撮影し乗るが前述した通り席があいてなく二十分に内房線が着くともっと混み二十二分に発車。

 本日は前回に引き続き大久保駅周辺と養老川をからめて撮るため、まず折り返しを川と撮るため里見へ十時六分到着、駅は三月に無人化されこれで里見駅の交換設備復活にまた遠くなりましたが、本日の人込みでは現在の本数がちょうど良いのでは?紅葉時には別の方法で乗客を分散させれば良いのだし、交換設備がなくても良いような気が、この話題は別の機会に譲るとし構内では近くの中学校が花壇を作っているようでこれからも頑張って欲しい限りである。

 寂しい感じの里見駅に別れを告げ飯給方面へ歩くが今日は天気予報通り暑く少し歩き上着を脱ぐが暑く汗だらになり撮影地へ十時三十分頃に着く。折り返しは三十分後なのでここにいても、車が行き交う大通りの橋の上と言うこともあり自殺志願者と間違われ警察を呼ばれる恐れもあるので近くで撮れる場所を探すことにするが、何年か前に歩いており本日は暑いのであまり気乗りがしないが前述のことが起こっても嫌なので行くことにし時間を潰す。

 列車通過十分前ぐらいに戻り、構図を考える。単行運転時ではもう少し離れた橋の上から一瞬切り通しを抜け川と列車が撮れる場所もあるが本日は三両でありここで十一時過ぎ川とからめ撮る。

 次に飯給駅へ向かうと途中、飯給地名発祥の由来が書いてある案内版を見つける。それによると「壬申の乱で瀬田川の戦いに敗れた大友皇子が東国へ逃れて来た時、周辺の村人が出迎え御馳走を出し皇子は大層喜んでお召し上がりその時皇子が、この地を飯(いい)を給(たま)うと言うことで飯給(いいたも)と名付けられ、それが代々移り変わる内にイタブと簡略され今は飯給(いたぶ)となっている」とのことで一つ勉強になり十一時三十分飯給駅へ着く。

 次の列車まで駅で顔を洗いさっぱりし十一時四十八分列車に乗る。次は大久保で撮影したいが時間があるので一駅のみ乗って月崎駅で下りる。少し歩き線路沿いへ本来ならトンネルを出て直線を走る下り列車の撮影地だがたしか直線を走る上がりも撮れるので来てみるが線路沿いの草が生い茂っており撮影しにくい。草を切り取るのは嫌なので迷うが少し草を曲げて(車の車内から見ると草を切り取っているしか見えないが)何とか撮れるようにし折り返してきた列車を十二時二十分過ぎ撮り大久保方面へ歩く。

 車道を歩くが歩道もなく又、こんな道一般人は絶対歩くはずもなく恥ずかしい気分で歩きトンネルに入ると今度は車の音が反射して聞こえ少々不気味であり足早にトンネルを抜け大久保のカーブの撮影地へ着く。この周辺で俯瞰ぎみや田園風景ぎみに上下の列車を撮影し十四時頃に一旦大久保駅へ行く。駅で顔を洗いやっと五井で買ったおにぎりを食べ休憩し次にカーブしてくる列車をまた俯瞰ぎみに十四時四十分過ぎに撮り折り返しに乗るためまた大久保駅へ戻ると同業者に出会い話しをし十五時二十分、上がり列車に乗り込む。

 その人は久保で撮影するようで別れ自分は川間駅で駅撮りするが完全な逆光であり、これからどうしようか迷うがまだ日は高くもう一度大久保へ向かうことにし久保十五時五十四分に乗る。車内は窓が全開で風が入ってきて気持ちが良く。十六時十九分大久保駅へ舞い戻る。

 ちょうど日が傾き柔らかい感じで田園風景を走る列車を十六時五十分頃撮影する。次の列車は一時間後ぐらいなので迷い太陽が落ちていると思うが月崎方面へ歩くと思った通り日があたってなく仕方なく十七時四十二分月崎で駅撮りし上がり列車を待ち十八時二十五分、観光客がまばらな列車に乗り込み帰る。

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