このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

横田備中守高松とは?

 横田高松(?〜1551)
伊勢国出身。信虎の時代に武田氏に仕え、数々の戦功をたてる。甘利虎泰の部隊に属して東信濃攻略に参加し、特に志賀城攻略の際には水源をおさえ、救援軍を敗走させるなどして活躍。先手必勝の将として積極的な行動をとった。上田原の合戦では、大敗した武田軍の殿となり、信玄の窮地を救うも自らは戦死。信玄はいつまでもその死を惜しんだと伝えられている。

 横田康景(1524〜1575)
足軽隊将騎馬三十騎・足軽百人持。十郎兵衛。
原虎胤の子で、横田高松の嗣子になる。
1575年、長篠の戦いで戦死。

 横田尹松(?〜1581)
横田康景の子。甚五郎。
高天神城に軍監として赴く。
1581年、徳川軍によって城が包囲されると、勝頼に後詰めは無用と進言。
徳川軍の攻撃を受けて落城、戦死。


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