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◆ 堅田から草津へ ◆

■湖西へ 大阪からJRの新快速に乗って京都で下車する。湖西線の堅田まで行くつもりなのだが、大阪−京都間が特定運賃になっているので、大阪−堅田間の運賃1110円より、京都で切符を買い直すと、大阪−京都540円、京都−堅田400円の合計940円と、170円も安いのだ。乗り換えの時間が10分ほどあって、切符を買い直すのにちょうど都合がいい。

湖西線の永原行各停電車は117系のトップナンバー編成だった。117系が福知山線などで走るようになったとき、乗降口付近の座席をロングシートに改造され、車体の塗色も塗り替えられた。しかし、トップナンバー編成だけは、改造もされず、塗色も登場当時のままで走っている。記念車両という位置付けなのだろう。

新快速に使われていた153系の後継車両して117系が登場したのは、1979年の秋からではなかったかと思うのだが、この新型車両の初乗りということで、堅田−西明石間を往復したことがある。「シティライナー」という愛称がついていた。この当時、運転区間は今より短く、湖西線では堅田で折り返していた。

京都から117系普通電車に乗ったものの、すぐあとに近江今津行の新快速があって、西大津で追い越される。混んでいれば乗り換えるつもりはなかったのだが、すいていたので乗り換えた。5分ほど早くなるだけなのだが。

■堅田 堅田駅には117系に初乗りで来たとき下車してはいるが、街歩きまでせず引き返しているので、堅田の街を歩くのは初めてだ。

駅前の観光案内所に「湖族の郷を歩く」という堅田駅周辺のイラストマップが置いてあったのでもらっておく。しかし、イラストマップは、見た目親切なようでいて、実際は距離感がつかめないので、実用的ではない。

堅田には、ヴォーリズが設計した堅田教会があって、この地図にも紹介されていたので、最初、そこに向かった。ところが、地図を見ながら行ったのだが、けっきょく行きすぎて、東洋紡総合研究所のあたりまできてしまった。

この研究所のある場所は、東洋紡が人絹生産のために設けた関係会社昭和レーヨンのあったところで、昭和6年操業だから、その当時の古い建物が残っているかもしれない。

琵琶湖岸の本町あたりがむかしからの町並みで、今の堅田駅はかなり町外れに設けられたようだ。もともと湖西線は琵琶湖西岸を走っていた江若鉄道の上に建設されたところが多いから、江若鉄道の堅田駅が街外れに設けられた、というところによっているのかもしれない。

堅田といえば、浮御堂、満月寺という寺らしいが、それを見にいってみる。お寺にはいらなくても、北隣の料理旅館との間に設けられた展望所のような湖岸から湖上に立てられたコンクリートの柱の上にあるお堂を拝むことができる。対岸には湖東の山並みなどなかなかの眺めだ。ただ対岸に建つホテルみたいな建物とかは、すこし興醒めだが。

この近くに湖岸に天然図画亭がある居初(いそめ)氏庭園が史跡になっている(この庭園の見学には予約が必要らしい)。琵琶湖や湖東の山々などを見てゆったりした時間を過ごすのもいいかもしれない。

この界隈には、お寺とか多く、古い町屋があったり、古い建物の医院があったりもする。堅田は琵琶湖の水運などで栄えたところらしく、湖族というのはそういう湖上交通を支配した豪族にちなむらしい。「湖族の郷資料館」というのがあった。

駅に戻る道中に堅田教会(写真)にも寄る。昭和5年に建てられた教会で、登録文化財になっている。尖塔をもつ、こじんまりとした教会だ。近江八幡で暮らしたヴォーリズは多くの教会を設計しているが、これもそのひとつ。
堅田駅に戻り、駅前のいつもの豚丼屋で少し早めの昼食。

■佐川美術館 堅田駅前から江若交通のバスで佐川美術館に向かう。バスは駅前を出るといつも渋滞傾向の国道161号線を避けて、それより東側の道を走る。堅田内湖のそばを通って、琵琶湖大橋たもとの「道の駅」を経由して大橋を渡る。

有料道路だが、歩道もあって歩いて渡れるようだ。さすがに歩いている人は見かけなかったが、自転車で走っている人は見かけた。対岸から堅田駅前のスーパーなどに買い出しに来ているのだろうか。琵琶湖大橋を渡ったあたりは美崎レークタウンという住宅街ができている。
堅田駅前から15分あまりで佐川美術館に着いた。

この美術館は飛脚の宅配便会社が創業40周年事業とかで作ったものだ。1998年3月に開館した美術館で設計は竹中工務店。2000年日本建築学会作品選奨に選ばれた建物だ。

大きな切妻屋根の建物が二棟平行に、ずらして並んでいる。入口のゲートをくぐると広い水盤の向こう側に建物があって、湖上に浮かぶような感じというか、湖国らしい雰囲気になっている。

大きな屋根のもつ雰囲気は、高床ではないけれど、高床式の米蔵のようなものを感じた。回廊の柱列がそう思わせるのかもしれない。それに、ふたつの並びが絶妙なのだ。そういう見せ場に入口ゲートを配したのだろう。

建物への入口は水盤をゆるいアーチの橋で渡って、建物に添う回廊を右手に水盤を見ながらかなり、建物の4分の3くらい歩く。美術館への期待を高めるアプローチ、なわけですね。

外壁はコンクリート打放しだが、木目がきれいに残るような特製の型枠が用いられている。安藤さんの打放しのようなつるっとした平面ではなくて、木目が残っているとコンクリート壁といってもまた違った感じになる。

手前の棟には平山郁夫の絵画が展示されている。大部屋、小部屋が配され、シルクロードを題材にした絵画など、独特のタッチの作品が並んでいる。
一巡して次は、隣の棟へ。両側に水盤が見える明るいガラス張りの廊下でつながっている。

こちらの棟には広い企画展示室と佐藤忠良の展示室がある。企画展は生誕100年という「黒田辰秋展」をやっていた。京都の塗師の家に生まれた人で、単なる塗師としての漆工芸だけではなく、造形までやったようだ。モダンな造形も見られる。

佐藤忠良は彫刻家。じつに写実的な像が並ぶ。
バスの時間までミュージアムシアターで、平山、佐藤の紹介ビデオを見て過ごす。

■守山 佐川美術館へのバスの便は堅田駅からと守山駅からとある。今度は近江鉄道バスで守山駅へ向かう。美崎レイクタウンの住宅街を抜けると田んぼが広がる。田植えの終わったところもあるが、麦刈が進められている。守山に近付くにつれて道筋はクルマ屋などを中心にロードサイドショップが並ぶ。30分ほどで守山駅前に着いた。

守山は中山道の宿場町である。駅前付近は高層住宅やスーパーなどがあって、再開発されつくしている。昔の中山道は駅前通りを数百mほど行ったところを横切っている。

少し草津よりのところに一里塚が残っているというので行ってみる。塚に大きな木が植わっていて、案内板が設置されているだけなのだが。すこし街道らしい町並みを感じさせる町屋も残っている。

一里塚から引き返して、反対のほうに行くと宿場の中心があったあたりになる。すこし古い町屋も見られ、大きな酒屋があったりする。といって、宿場の雰囲気が残っているわけではない。

街なかには小川が流れ、そこには蛍がいるらしい。駅前で蛍に関したイベントの案内をしていた。守山は蛍の町というのがキャッチフレーズらしく、けったいなオブジェがある。もともとは蛍のオブジェらしいが、悪戯されて足がもぎ取られ、設置本来の主旨を全く示していない。

■草津 守山からJRの電車で草津に移動する。草津駅前もデパートがあったり、いろいろな商業施設が並び、賑やか。駅のそばで超高層住宅の工事が進められていたりする。

駅から京都寄りにある草津川は天井川。JR線もトンネルで抜けている川だ。その川をトンネルで抜けたところが追分、東海道と中山道の分岐である。ここの角地には、かつてレンガ造りの建物があったらしい。それを意識した色合いのタイルを外壁に使った公民館が建ってる。

その先が草津宿だったところで、ところどころ古い町屋が残っている。本陣が残っている。国指定史跡だ。大きな建物で、東海道を行き来した大名などが泊まったところ。新撰組も泊まったとか。奥の間は床が一段高くなっていて、大名が使った部屋。真ん中に畳敷きの廊下が通っていてで、多客時には、仕切って部屋にもなるようなしつらえ。

本陣からさらに行ったところに草津宿街道交流館という施設がある。二階が展示室になっていて、草津宿のことなどいろいろ資料を展示している。

今年(2004年)のNHK大河ドラマは新撰組の志士たちを主人公としたものだが、新撰組に関した企画展をやっていた。幕末ここを行き来した志士たちの痕跡というか、宿帳などそういった資料の展示をしている。

いまのドラマをはじめ、おもな表記は「新選組」が使われているが、もうひとつ「新撰組」という表記もあって、手元の歴史小辞典には後者の表記が使われている(それで、いつも「新撰組」の表記を使っているだが)。

どう違うのか知らなかったのだが、宿帳の表記をもとにここでそのことが紹介されていた。その違いとは、会津藩の公文書で使われていたのが「新撰組」なのだそうだ。壬生にいた志士たちは「新選組」を使ったらしい。

近藤の場合、宿帳には両方の表記を残している。彼にとっては、どっちでもよかったのだろうか。ここらへんのこと、ドラマで、コミカルに紹介したらおもしろいだろうね。

■帰路 草津から新快速に乗る。そのまま大阪に向かってもよいのだが、今回も京都で途中下車。今回も運賃が安くなるからだ。

湖西線からの新快速は西大津駅の人身事故のせいで25分ほど遅れてやってきて、あまり待たずにそれに乗り継ぐことができた。(2004.6.5)



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