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西宮界隈

JR西ノ宮駅で下車する。駅の南側には商業施設などがはいった高層住宅がある。北側はまだ低層の住宅街だ。駅南側のバス乗り場からマリナパークシティ行阪神電鉄バスに乗る。

バスは駅前から国道2号線を西に向かい、いったん阪神西宮駅に寄ったあと、札場筋を南に下っていく。阪神高速神戸線の下をくぐり、西宮大橋を渡ると人工島である。

バスは島の東側から回っていく。島の東側は工場などが並んでいる。阪神高速湾岸線の下をくぐり南側にまわると、新西宮ヨットハーバーがあって、からりと明るい。島の南西側がマリナパークシティという高層住宅が並ぶ区域だ。この住宅街は、できて、まだ10年もたってないだろう。新しい町だ。新しい集合住宅の建設も行われている。

この住宅街の真ん中あたりに西宮市貝類館がある。西宮浜公民館といっしょに建てられた施設で、設計は安藤さん。南北軸にアーケードがあって、その西側に建物が配置されている。北側が公民館で南側が貝類館。南側道路に面した資料館の外壁は、湾曲したガルバリウム鋼板で建物を覆った格好で、風をいっぱいにはらんだ帆のイメージなのだそうだ。

貝類館は小さな施設だ。それでも「世界の貝2000種」を展示してあるらしいからすごい。貝の標本が、ただずらっと並ぶのではなく、説明パネルやジオラマなど使って展示に工夫が見える。

貝といえば、ハマグリやシジミみたいなのをすぐ思い浮かべてしまうが、カタツムリも貝類だというのにすこし意外な感じがした。オオムガイが水槽でゆらゆら泳いでるのを見るだけでも価値があるだろう。
中庭の水盤には堀江謙一氏寄贈のヨット「マーメード号」が浮かんでいる。貝殻のお土産付き。

西宮マリナシティは高層住宅が並んでいる。ひと昔もふた昔の前の集合住宅街とちがって、建物がいろいろな向きに並んでいるから、その建物の間に形成されたスペースも変化に富んでいる。
街の北側に小学校がある。塀がなくて街に開かれた雰囲気を出す。いまは、どう評価されるだろう。

阪神高速湾岸線の北側には西宮市の清掃工場がある。外壁にはちょっとした装飾がある。機能一辺倒の建物から今風の感じを受ける。

バスが走る西宮大橋の西側に御前浜橋という小さな橋がある。西宮大橋はヨットなどの通行を考えて、かなり高さがあるが、こちらは海面に近い。そのため、時間を決めて橋げたが開閉する開閉橋になっている。

御前浜、またの名を香櫨園浜といい、かつては有名な海水浴場だったところだ。いまは御前浜公園となっており、浜辺でバーベキューなどしている人たちがいる。

ここには西宮砲台がある。円形の堡塁で幕末の1863年に着工、65年に竣工したものだ。1863年といえば、下関で長州藩が外国船に砲撃をしかけたり、京都では新撰組が御用改めをやっていたころだ。大阪湾岸部には、いくつか砲台が設けられているが、そのひとつがこれ。

この砲台、完成後、試射したら、内部に硝煙が充満、使用にたえなかったとか。けっきょく、実戦に使われることなく、いまは国の史跡になっている。

『兵庫県の歴史散歩(上)』(山川出版社 1975)に、明治時代、阪神電鉄がこの砲台の払い下げを受け、納涼台として使った、というエピソードが紹介されていた。

西宮ヨットハーバーのそばを通って北に向かうと白鹿館がある。辰馬本家酒造のびん詰め工場だ。昭和5年に建てられたRC造の建物である。関西の近代建築の代表例として選ばれた。

白鹿記念酒造博物館のそばに洋館がある。旧辰馬喜十郎邸である。明治22年頃建てられたもの。この界隈には「白鹿」の酒蔵が並んでいて、それらの建物を活かした博物館としていろいろな資料を公開していた。

この前の地震で古い酒蔵は壊滅的な被害を受けた。新しい建物の白鹿記念酒造博物館が残ったのは当然としても、洋館が残ったのは奇跡的だ。以前、この界隈を歩いたのは震災前であった。酒蔵の跡地にマンションが建ったり、衣料量販店ができたり、すっかり様変わりしてしまった。

いまも倒壊をまぬがれた酒蔵をきっちり補強して酒造りの工程を紹介する施設がある。これは震災後に再整備されたもの。前回、歩いたとき、見学を見合わせたのだが、いま思えば、入っておけばよかったと思う。

まず、博物館にはいる。ここの特色は何かよく知らないのだが、春の時期にあわせて桜守のコレクションを並べていた。桜にちなむものをよく集めたな、というものがコレクションになっている。床の間の光があたると桜が浮かび上がる漆塗りは珍しいものらしい。

そのあと、復元された酒蔵を使った資料館にまわる。入口でお酒の小瓶をもらう。博物館とあわせて入場料は500円だが、こんなお土産がつくと、安いくらいですね。

こちらのほうでは、お酒の製造工程を順を追って、大きな樽に人形を配したりしながら紹介するもの。また、一角では、この前の震災で大きな被害がでたときの写真やその当時の様子が再現されていた。

近くの喫茶店で不味いカツ定食を喰ってから、西に向かい夙川を渡る。渡って海岸のほうに行ったところにあるのが西宮回生病院である。玄関部分だけだが古い建物が残されている。南側の病棟は海岸べりにあってリゾートホテルのような感じ。この病院の西側に菊地貝類館がある。

菊地貝類研究所が運営している資料館である。たぶん、研究者の住居の一部を資料館として使っているのだと思うけれど、施設としてはあまり誉められたものではない。まあ、先に西宮市貝類館の整った展示を見たのでよけいそう思えるところもある。

地味な貝類標本がそれなりに分類されて所狭しと並べられているが、海外調査のついでに入手したような昆虫標本とか民俗資料的お土産とか、雑多なものがいっしょに並べならべられており、何をみてもらいたいのか、見せる側の思いというか、そういうものが伝わってこない。由緒ある研究機関がやっているだけに少し残念な気がする。ここでも貝殻のお土産をくれた。

菊地貝類館から北に向かって、酒蔵通りを東にとると、夙川を渡ったところに西宮市教育文化センターがある。市民ギャラリーとか中央図書館がはいった施設で、その一角には郷土資料館がある。戦争資料館も新たに設けられている。この前の戦争では、西宮市も大きな被害を受けた都市のひとつだから、そういったことを伝えていくためにも、必要な施設だろう。

酒蔵通りを東に向かい、札場筋との交差点をすぎて少し北側に宮水発祥の地碑があって、そのあたりは各酒造メーカーの地下水取水場となっている。その近くに多聞ビルが残っている。もう使われてないようだが、古典様式の外観をもつ近代建築だ。

さらに酒蔵通りを東に行くと<バンバン、シャクシャク>で有名な「日本盛」がある。ここは予約制で見学できるらしい。見学者の土産物売場をかねたようなショップとレストランがはいった施設ができている。けっこう賑わっている。

今津港に向かおうと、南に歩をとると、長五郎橋のそばには大きな商業施設ができている。工場跡地のような更地があって、さらに商業施設ができるようだ。震災があったせいかもしれないが、工場などがなくなってた跡地に高層マンションができ、住民が増えてくることで、駐車スペースの大きくとった郊外のロードサイドショップのような施設が、こんなところにもできるようになったのだろう。

大阪ガスのグランドをまわって今津港にいく。ここは、江戸時代からお酒の積出に使われた港である。江戸時代に建てられた灯台が復元され、現役の航路灯として使われている。

今津港から名神と阪神高速が合流する西宮インターのほうに向かう。二葉町には今津小学校がある。震災にも壊れなかった古い木造の校舎が残っている。震災前にいちど見にきたことがあるのだが、お色直しが施されているようだ。

今津小学校からは阪神久寿川駅が近いのだが、各停電車しか止まらない駅なので、ひつと梅田寄りの甲子園駅に行くことにした。駅間距離でいえば1キロないのだ。

ところが、きょうは甲子園球場でデーゲームが行われており、ちょうど試合が終わったあとで、球場から吐き出される人と行き違う。球場前から甲子園駅にかけては人でごった返し、阪神高速の高架下では、阪神各選手の応援歌をがなりたてる集団やそれに同調する人たちが球場を離れても応援の続きをやっている。えらい時間帯にやってきてしまった。

この混雑の状況下で甲子園駅に行っても、すんなり電車に乗れるわけはなく、仕方ないのでもうひと駅先の鳴尾駅まで歩くことにした。こんなことならおとなしく久寿川駅から電車に乗るべきだった、と悔やまれた。各停電車は、満員の特急や急行に追い抜かれ、ようよう梅田に着いたのであった。(04.05.01)



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