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六甲有馬ロープウェーを訪ねて

[有馬・六甲周遊1dayパス]六甲摩耶鉄道のケーブル線六甲山上駅に隣接している六甲有馬ロープウェーの表六甲駅から六甲山頂駅を経て有馬まで伸びるロープウェイ線のうち表六甲−六甲山頂間が今年(2004年)12月18日限りで廃止されるというので乗っておこうと思う。

秋の観光シーズンにお得な「有馬・六甲周遊1dayパス」というのを発売していたのでそれを利用する。阪急六甲駅→(神戸市バス)→六甲ケーブル下→(六甲ケーブル)→六甲ケーブル山上・表六甲→(六甲有馬ロープウェー)→有馬間が一度乗れる(逆ルート可)ほか、神戸電鉄の有馬温泉−谷上間、神戸市地下鉄・北神急行電鉄の三宮−谷上間が乗り降り自由という切符で料金は2300円。

阪急沿線からだと+200円で阪急全線が乗り放題というたいへんお値打ちなきっぷで、さらに有馬温泉の「金の湯」か「銀の湯」のどちらかにはいれるというおまけまでついている(ほかにも割引優待券がついている)。

阪急六甲駅で下車して、線路の南側にあるバス停から六甲ケーブル下行の市バスに乗る。このバスは阪神御影始発なのだが、好天に恵まれ、六甲に向かう人がけっこう多くて座れなかった。線路沿いを少し東に向かい、表六甲ドライブウェイに通じる坂道を登っていく。

バスから、次は六甲摩耶鉄道のケーブル線に乗り換える。ケーブル下駅はログハウス調、山上駅はモダンなRC造の建物。昭和7年の開業。戦時中一時休止させられたとはいえ70年からの歴史がある。1.7kmを約10分で結ぶ。山上駅には展望台もあって 、南側に広がる神戸の町並みや人工島などが見渡せる。

六甲有馬ロープウェーはケーブル駅に隣接している。すぐに接続する便を見送って写真を撮ったりしたあと次の便に乗り継ぐ。

このロープウェイは神戸市都市整備公社が運営している。開業は表六甲線が1970年8月、裏六甲線が同7月、両線あわせた営業キロ数5.0kmは日本一長い路線ということになっている。

この最長というのは、ゴンドラに乗ったら降りるまでの距離のことかと思っていたら、ちがうらしい。表六甲駅から5分ほどで次の天狗岩駅に着いた。ここで乗り換えとなるという案内に、えっ、と思ってしまった。

まあ、ひとつの会社の営業キロとして日本一というのも、確かに日本一だが、ロープウェイとしてはゴンドラの動く距離とか高低差とかのほうが日本一というにふさわしいと思う。12月に表六甲線が廃止されると、距離が半減するわけで、日本一は返上となってしまうのだが。

このロープウェイには表六甲駅と有馬駅の途中に、天狗岩と六甲山頂カンツリーの2駅がある。途中下車できるので、天狗岩で下車する。山頂に向かうのが当たり前と思っているのか、ここで下車するというと、係員に、ここで降りても何もありませんよ、と言われてしまった。

ロープウェイの走行写真を撮ったりしながら、少し歩いたところにある六甲オリエンタルホテルに行く。天狗岩が最寄り駅であるが、ホテルに用がある人は送迎バスとかを利用するからここで乗り降りすることはないのだろう。

このホテルには、安藤さんの「風の教会」がある。ホテルで行う結婚式のためのものだ。自由に見学できるようだが、独り、見学をお願いする気になれず、外観だけちらりと見て駅に引き返す。

駅に戻って天狗岩から六甲山頂カンツリーに向かう。時刻も11時を過ぎ、山頂をめざす人が多くてゴンドラは乗り継いだ客でいっぱいになった。5分ほどで山頂に着いた。有馬に向かうにはここでも乗り換えとなる。

このあたりには展望台やレストラン、公園など施設がいろいろある。山頂駅は表六甲線廃止後に向けたお色直しの工事が進められていた。ケーブル山上駅から循環バスが発着するようになるようだ。途中下車して、少し散策する。

この駅の近くに「回る十国展望台」というのがある。いや、あったのだが2002年11月に営業を休止し、解体されたようだ。その跡地には、その建物があったことを紹介する灘区が立てた案内板が設置されていた。昭和32年5月に建てられたそうだからけっこう歴史ある施設だったわけだ。

ところで、今の六甲有馬ロープウェーとは別に、戦前、六甲ロープウェーというのがあった。正式には「六甲登山架空索道」といい、昭和6年に開業したもので、阪急の系列会社が運営していた。戦時中の昭和19年に撤去されている。

当時のガイドブック『日本案内記 近畿篇下』(昭和8年 鉄道省)によると、六甲山登り口−六甲山上間を7〜10分で結んでいたようだ。

この本には、六甲山付近の地図が掲載されていて、それによると、登り口駅はケーブル下駅から表六甲道路を1.5kmほど登ったところにあった。六甲ケーブルは標高482mの天望山の東側を登っているけれど、ロープウェイはそれとは反対の西側、前ヶ辻谷を上がっていて、六甲山ホテルのそばに駅があった。

六甲摩耶鉄道は阪神電鉄系列で、六甲オリエンタルホテルもそうなのだが、それに対して阪急がロープウェイと六甲山ホテルを系列下においていたのだ。箱根山の東急と西武みたいですね。

戦後は、ケーブルは復活したものの、ロープウェイは復活することなく、阪急はふもとからのバス路線で対応している。

さて、駅に戻って有馬へ下る。綺麗に色付いた木々も見られる。時期が少し早いせいもあるのかもしれないが、表側はあまりぱっとしなかった。これは台風の塩害の影響もあるのかもしれない。12分で有馬に着いた。

街外れのロープウェイ駅から温泉街に下っていく。フリーきっぷの特典をいかし「金の湯」にはいる。浴場のある場所は、かつて有馬温泉会館という温泉浴場があったはずだ。建て替えられて「金の湯」になったようだ。

有馬には鉄分が多くて赤褐色の湯の「金泉」と炭酸とラジウムを含む透明の「銀泉」の2種の源泉があるのだが、こちらは金泉なわけで、別に「銀の湯」という施設も設けられている。

町なかにあるせいかけっこう賑わっている。ただ、湯に関してだが、鉄分の凝集著しく、むかしの金泉の感じとは別物のような気がした。むかしは、タオルを湯につけると赤褐色に染まったものだが、今の湯も確かにそんな色をしているものの、染まりかたはゆるいように思える。

殺菌などを施していることにより鉄分の凝集があってそうなるのではないか。いまどき、細工してない温泉施設のほうが少ないご時勢だから仕方がないといえばそうなのだが・・。

出る頃には入場制限するくらいに混雑していた。山から下りてきた人たちが立ち寄るからだろう。ここから町なかをすこし登ったところに「銀の湯」がある。

そのあと、「太閤の湯殿館」を訪れる。この施設は極楽寺にあるのだが、この前の震災で壊れた寺の庫裏の下から湯ぶねの遺構などが発見され、秀吉が造らせた「湯山御殿」だろうということで、その遺構や出土品などを展示する。

六甲有馬ロープウェイの乗り納めと温泉を楽しんだ一日であった。(2004.11.3.)





裏六甲・山田川に沿って


[箕谷から緑が丘へ]神戸電鉄の箕谷駅で下車する。駅から少し下ったところに市バスの乗り場があって、新神戸トンネルを抜けて三宮に至るバスが多い。神鉄より便利なのかもしれない。衝原行のバスも出ているが歩いて向かう。

手元に国土地理院の地形図 1/25000『有馬』があるのだが、昭和44(1969)年発行で、35年も前のものだ。新しいのを買っておくべきだった。これには新神戸トンネルも阪神高速北神戸線も載っていない。

箕谷交差点付近は新神戸トンネルへの高架入口があって交通量も多い。この付近、三木方面から三宮行の神姫バスが走っているのだが神姫のバス停がない。やっと見つけたと思ったら最近走りはじめた、吉川から三宮に出る神姫バスのバス停だった。

神戸から裏六甲に通じる道は有馬街道といわれるが神戸からここまでは国道428号線になっている。この国道は箕谷から西にそれ、山を越えて吉川に通じている。昔の地形図を見ると帝釈山系を抜ける荷車道だったところだ。そこをバスが走っているらしい。

山田中学校そばの天彦根神社に立ち寄る。ここの境内に下谷上農村歌舞伎の舞台があって、国の有形民俗文化財に指定されている。わら葺きの建物で、戸締まりされていると舞台には見えず、まるで物置のようだ。昭和52(1977)年に不審火で火災にあったそうだが修復されている。

国道に戻って西に向かう。山田川の両岸は急に狭まって崖がしばらく続く。餓鬼ノのど、というところらしい。そこを過ぎると山間の農地が広がっている。かつてはわら葺きだったと思われる農家も見られる。バイパスができているところもあるが、旧道をたどる。

無動寺、若王子神社、八幡神社、丹生神社など文化財が多い。それらを順に巡る自然歩道が整備されている。

山田小学校はRC造の建物だが、そんな校舎に木造の玄関がついていた。なにかいわれがあって残されているようなので立ち寄った。案内板によるとそれは、山田小学校の前身、明治13年に建てられた又新(ゆうしん)小学校の玄関部分とのことだった。校舎を取り壊さず使い続けていれば貴重な文化財になっただろう。

このあたりには自然歩道として整備され道標が立っているので地図をよく確認もせずそちらに歩を取ったため遠回りすることになったりしなが、ようやく目的地のひとつ衝原にやってきた。

つくはら湖の東岸で、ダム建設で水没することになった家々の移転場所でもある。その一軒が箱木家住宅である。

箱木千年家として知られるこの建物は、室町時代に建てられたとされる建物で江戸時代に増築された部分と、かつてはひとつ屋根の建物としてあった。移築されるとき、昔の姿に戻された。国指定の重要文化財で、現存する民家としては最古といわれるわら葺きの建物である。

ちょうな仕上げの柱や床に大工道具も限られた昔を感じる。建物の規模は、もらったパンフによると最古の民家の母屋は桁行約11.4m、梁間約8.4mで、広さとしては約100平米弱の平屋である。 100平米というと広いように思えるが、その半分はかまどなどがある土間で、残りが板間。土間の4分の1くらいは厩が占める。

板間の南側は囲炉裏のある「おもて」、広さは10畳くらいで、1mあまりの縁側がついている。北側は2室に分けられていて、土間側に4畳くらいの「だいどこ」と、奥まった部屋が戸締まりのできる6畳くらいの「なんど」。ここが寝室で、貴重品などもおかれた部屋だ。

建物のなかはかなり暗い。南側に縁側があっても、わら葺き屋根の軒の出がかなり低いところまできているのであまり光がはいってこない。軒は、少し屈まないといけないくらいの高さ。窓は少なく、外に対して閉じていることを感じさせる。こんな狭い板間でどんな生活が行われていたのだろう。

隣にある江戸時代の離れのほうは母屋に比べ軒の出が高いところで押さえられているので、まだ明るい。畳間が2部屋あって、縁側が周囲にある。古文書などが展示してあった。1間おきに柱があるのは古い建て方らしいが、開口部を広くとるより構造的にはしっかりした造りといえるだろう。

千年家をあとに三木方面へ向かうつくはら湖沿いの道路を行く。けっこう交通量があるのに歩道もなく、歩きには適さない道だった。ほんとは湖岸北側が遊歩道として整備されていたのだが、次の目的地が湖岸南側にあったこともあり、そういうことを確認せず、南側の道を歩いてしまったのだ。

途中に短いがトンネルもあり、そこが不安だったが、トンネル内の照明は明るくそこだけ歩道もあり歩くことができた。

山陽自動車道の斜張橋を越え、千年家から3kmほど行ったところからさらに、南へ数百m、山のなかにはいったところに山田池というのがある。昭和8年に設けられた山田池堰堤による溜め池なのだが、神戸市の貴重な土木遺産らしいので見にいってみようと思った。

地形図 1/25000『淡河』は平成14年発行の新しいものなのだが、そこへ行く道が載ってない。山をかき分けてまで行くつもりはなかったが、小幡に抜けるハイキング路の案内柱があって、山田池のそばを通るようなので、行ってみることにした。

小道はしっかりしていたが、かなりきつい山道だった。登り下りすること20分ほどかかって山田池岸にたどりついた。かなり高い堰堤でせきとめられた池で、たいした手摺りもなく、下を覗き込むのがこわいくらい。

もと来た山道を引き返す。同じ小道を歩いたつもりだったが、最初とはちがうところに出てしまった。湖岸道路に戻れればそれでいいのだが・・。向かいに呑吐ダムが見える。たまに神姫バスは走っているのだがバス停はない。

湖岸の道路をしばらく行くとゴーカート場があって、神戸市から三木市に入る。遊歩道はこの先、押部谷のほうに向かうようなので、そこから離れて、せっかくなので呑吐ダムサイトに行ってみた。呑吐と書いて「どんど」と読む。こちらは山田池堰堤とちがって危険防止柵がしっかりしている。

昔、住んでいた家の近くに<どんど>という場所があった。溜め池から流れる幅1間くらいの農業用水があって、ふだんは生活排水とかが流れ込む、あまりきれいとはいえない流れだった。用水の下流に水門があって、ふだんはその水門が上がっていて、水は近くの川へ流れるのだが、田植え時とか、水が必要なときなどには水門が閉じられ下流域へ流れるようになっていた。

その水門のある場所というか、せきとめられて水が淀んでいるところを<どんど>といっていた。漢字で書くと、たぶん<呑吐>と書いたのだろう。水門が閉じられたときは、かなりの水位があって、当時は柵なんて設けらてないから、こども心にも恐い、危ない場所という思いがあった。

ダムの案内板によるとダムのできる前に<どんど>という堰があってそれにちなんだろだそうだ。堰とか水門で水がせきとめられたところを<どんど>というのだろう。

湖岸北岸の道路がそのまま三津田へ通じていたのでその道を下る。クルマがまったく通らなかったので歩きよかった。

三津田でバス道に合流、そこに神姫バスのバス停があって時刻などを確認する。三宮行は、このバス停を出ると次が終点らしい。衝原に神姫バスのバス停がなかったわけだ。

三津田からさらに1kmほど行くと御坂で、淡河方面からの道路と合流する。ここには御坂のサイフォン橋というのが土木遺跡として有名だ。淡河から加古台地に淡河疏水がひかれているのだが、その途中にあるのが志染川(山田川)を越えるサイフォン橋なのだ。農業用水として鉄管使用によるサイフォン橋としては日本初のものらしい。

淡河疏水は、英人ヘンリー.スペンサー.パーマーが指揮して明治21年に着工、同24年に完成したもので、26.3kmにおよび28ヶ所ものトンネルがあるそうだ。

琵琶湖、安積とならび日本三大疏水にあげられるそうなのだが、あげられた他の2疏水に比べて知名度が低い。どこか別の疏水工事と取り替えられそうでもある。日本初ってところをもっとアピールすべきだろうね。

御坂神社のそばを通って北へ延びる鉄管が見える。案内板はサイフォン橋を渡ったところにあって、少し登ると鉄管が露出している。直径1mほどの管である。

ここから南西のほうに6kmほど行くと神鉄の緑が丘駅に出られるのでそちらに向かうことにした。志染川南方の丘陵にはいろいろな競技場がある公園が作られているようだ。

すこしでも歩く距離を短縮しようと、農道から山道に分け入った。山田池堰堤へ立ち寄るため分け入ったときも、山道はしっかりしていたので、今回もだいじょうぶだろうと思ったのだ。

数百m行くと、新興住宅街の裏山のようなところに来たので住宅街に下った。この住宅街にサティ三木店があったので立ち寄ったりしながら駅に向かう。丘を登ったところに緑が丘駅があった。(2004.11.13)



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