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南海貴志川線を訪ねて

[和歌山へ]久しぶりに和歌山へ行ってみようと思う。むかしは、和歌山へ行くには南海のほうがかなり安かったように思うのだが、南海の運賃も高くなって、乗り換えのことを考えると、南海を使うメリットも少なくなった。

ちなみに、難波−和歌山市間が890円で、天王寺−和歌山間は830円。これは特定運賃のせいで、大阪からだと1210円になる。梅田から地下鉄で難波に出て南海で行くと1120円とJRより安くなるが、JRの場合天王寺で切符を買い直すと1020円となって、より安く行ける。

今回は、和歌山線の田井ノ瀬駅で初めて下車してみようと思う。どう切符を買うと安くなるか、検討してみたところ、天王寺、和歌山で切符を買い直すのが大阪から一枚の切符にするより安いことがわかったが、電車の時刻を調べると、接続がよく待ち合わせの時間があまりないので、素直に大阪から田井ノ瀬までの切符を買うことにした。

大阪から関西空港行関空快速・和歌山行紀州路快速に乗る。この快速は2編成の電車が併結されていて、日根野で切り離されるのだが、時刻表を見れば和歌山行が前寄りか後寄りかわかるのでうろうろしなくてよい。しかし、平日の夕方以降には逆になるようだ。長短の編成を繋いでいるので、利用者の動向を考えてのことだろうが、ふだん利用しない人はまごつくことになるだろう。

天王寺から阪和線にはいり約55分で日根野、ここで関空行と分割。関空はここからさらに10分ほどのところだけど、やっぱり遠いな、という感じ。

和泉山脈を越えて10:17和歌山に到着。3分の接続で和歌山線の電車に乗り換える。電車は2両編成のワンマン運転である。和歌山を出ると大きくカーブして東に向かう。紀和へと伸びていた廃線跡と合流、そして車両基地がある。5分ほどで田井ノ瀬駅に到着。無人駅。初めて下車する。ここで電車は行き違いをした。

和歌山線の歴史は古く私鉄が和歌山と王寺双方から路線を延ばし、明治30年代に開通している。この頃の和歌山駅は今の紀和駅で、阪和線と紀伊中ノ島駅で接続していた。昭和36年7月貨物支線として東和歌山駅といっていた今の和歌山駅につなげられた。

[紀伊風土記の丘]田井ノ瀬駅から南2kmほどのところに和歌山県立紀伊風土記の丘がある。南側の標高150mほどの丘陵部に特別史蹟岩橋千塚古墳群として指定された数多くの古墳があって、それを紹介する資料館や移築民家(4棟)などがある。

このあたりは和歌山市郊外の住宅地として新しい家も見られるが、むかしながらの農家も多い。長屋門をもっている立派な造りの農家だ。長屋といっても蔵だろうけど、このあたりの特徴なのだろう。

まず、移築民家を見てまわる。国指定重要文化財が2棟、県指定が2棟。江戸時代の建物である。
国指定文化財の旧柳川家住宅は海南市にあった漆製品の問屋を営んでいた町屋である。通りに面した主家は2階建て、6畳間が4室田の字配置され、トオリニワがある。主家からL形に平屋のザシキが2間続き、中庭の先に蔵がある。

並んで建っているのがこちらも国指定重文の旧谷山家住宅。下津町にあった2階建ての漁家である。蔵とかの部分が多くを占めるのは、漁具のためなのだろう。居室は南面した6畳のザシキとダイドコ、その2階にザシキがあるだけ。

この2棟からすこし高みにあるのが県指定が旧谷村家住宅と旧小早川家住宅。ともに茅葺きの農家である。
谷村家は有田川の上流にあった。玄関から広い土間と10畳のオモテと4畳半くらいのナンドと板敷のダイドコの3間取り。ダイドコにイロリがある。イロリは土間寄りにあるから煮炊きに使われていたのだろう。

小早川家は小さな農家である。板敷で6畳ほどのオモテと4畳ほどナンドの2間取り。ナンドの土間側にイロリがある。オモテとナンドの境は半分は建具がなく、開放的な造りである。

囲炉裏のある農家の室内は、囲炉裏で燃やした木々の匂いが充満している。いまでは考えられない、生活があったのだろう。こうして古い民家を見て回ると見ると、いまのnLDKは、ほんと特殊な造りだということがわかる。

民家を一巡したあと、資料館も覗く。岩橋千塚古墳群を模型を使って紹介したり、古墳からの出土品などが展示されている。資料館の横に縦穴住居が復元されていて、体験学習とかやっているようだ。
資料館から丘陵部の古墳群をめぐる遊歩道が整備されているのだが、1周すると1時間半ほどかかるらしいのであきらめた。

[南海貴志川線]風土記の丘までバスがきているが、時間があわなかったので、歩いて市の中心部に向かう。途中のスーパーでパンなどを買って昼食とし、やってきたのが日前宮。なかなか由緒ある神社らしい。この近くに南海貴志川線の日前宮駅がある。島式ホームに上屋があるだけの無人駅である。

貴志川線は1961(昭和36)年に南海が和歌山電気軌道を合併したことで南海の一路線となった。歴史的には古く、大正時代の軽便鉄道ブームのとき、山東軽便鉄道が大橋−山東(現伊太祈曽)間を1916(大正5)年に開業したことに始まる。

その後、当時の和歌山(現紀和)駅近くの中之島へ延長、その後、紀勢西線の東和歌山(現和歌山)で国鉄に接続するようになった。昭和6年和歌山鉄道と改称後、1933(昭和8)年には貴志まで延長されて現在の路線となった。1957(昭和32)年に和歌山電気軌道に合併され、その後、南海入りするわけである。

南海に同時に組み入れられた和歌山軌道線は1971(昭和46)に早々と廃止されてしまった。最近、免許センターのそばに交通センター駅を設けたりしているけれど、南海としては、貴志川線を廃止することが決定している。

閑散路線とはいえ、県庁所在地で、沿線も多少宅地開発されているところもあるから、あとは、第三セクターとして残るかどうかというところか。

日前宮駅から電車に乗る。和歌山市と貴志川町の境にある大池遊園に行ってみようと思う。2両編成の電車であるがバスと同じように乗るときに整理券を取って降りるときに運賃を払うワンマン方式である。

交通センター駅そばの交通公園には、たぶん軌道線を走っていたと思われる路面電車が保存されていた。阪和自動車道を過ぎるといっそう鄙びた感じになってくる。沿線にミカン畑があっていっぱいミカンがなっている。

車庫がある伊太祈曽から山東を過ぎると山間にはいっていく。そんなところに大池遊園がある。寂しげなところだが、旅館のような施設もある。貸しボートがあったりもし、釣り場としても知られているらしい。広場には桜が植えてあり、春にはきれいなことだろう。11月というのに季節はずれに一輪花をつけていたのには驚いた。

湖岸で電車の写真を撮ってから、和歌山市内に向かって歩く。ミカン畑越しに走る電車を撮ってみたりしながら、旧道を歩く。ホーローの看板なんかが残っている。伊太祈曽には、伊太祈曽神社がある。由緒ある神社のようだ。

歩き疲れたので伊太祈曽駅から電車に乗ることにする。車庫があるこの駅には駅員がいて切符を売っている。
和歌山まで乗ってもよかったのだが、下車駅をひとつふやそうと手前の田中口駅で下車。ここも無人駅である。すぐそばにJR紀勢線の線路が走っていて、和歌山駅まで500mほどのところだ。線路沿いを歩いて和歌山駅まで行く。

[帰路]和歌山から紀州路快速天王寺行に乗る。いったん天王寺駅で下車する。といっても、乗り換えついでに、カードを改札にくぐらせるだけだからたいして時間もかからない。たったこれだけのことで、大阪までの運賃は 190円も安くなるのだ。(2004.11.23)






泉南を歩く

[泉南へ]大阪環状線から新今宮で南海に乗り換え、やってきた急行電車に乗る。南海電車の扉が片引きなのに、すごく旧式な電車に乗り合わせたな、と思った。いまは電車の扉は両側に開くのがあたりまえのようなところがある。片引きドアだと、単純に考えれば、両開きドアより倍時間がかかる。両開きの、がっ、と開くのに比べて、がっー、という感じ。

大阪から1時間近くも乗っていると和泉山脈が近付いてきて、尾崎で普通電車に乗り換えた。鳥取ノ荘からは海が近い。

淡輪(たんのわ)で下車する。この駅舎は洋風意匠が残っている。大正14年に建てられたもので、妻面にぴょこと出た塔屋のような装飾がおもしろい。淡輪遊園はツツジの名所だそうである。

淡輪の町をぶらついて、港までいってみる。さしたる発見はなし。西に向かって2kmほど行くと国道26号線に出て、みさき公園駅に着く。せっかくなので「みさき公園」に行ってみよう。はいるのは初めてだ。

ここは南海がやっている遊園地。阪神がやっていた阪神パークとか阪急がやっていた宝塚ファミリーランドとかなくなってしまったけれど、南海はがんばっている。初冬の季節なので、入園者はまばらだったけれど。

ちょうど駅から海に向かう谷間を中心にその両側の丘をも含めた敷地でけっこうアップダウンがある。阪神、阪急は平地だったので、大きな違いだ。海も取り込んでいる。

西側の山側が動物園になっていて、キリン、ゾウ、サル、トラ、ライオンなど主だった動物に出会える。谷間には屋外ステージやお子様向けの乗り物遊具、それに食堂などがある。すこし早いがここで昼食を取っておく。ぶらりと一巡して、みさき公園駅に戻る。

みさき公園始発の電車に乗って、次は尾崎で下車する。手元の古い昭文社の都市地図では「イズミヤ」とあったスーパーは「万代」に替わっていた。飲み物など買っておく。ふつうの缶飲料と同じくらいの値段で発砲酒が並んでいるから、つい買ってしまう。

北側の町並みを歩く。古い町屋が残っている。西本願寺尾崎別院がある。そんな近くにスクラッチタイル貼りの古いRC造の建物を見つけた。ただし、かなり改造されている。尾崎市民センターと看板がかかっていて、市の施設らしいところを見ると、旧町役場かもしれない。

古い町屋がみられる通りを樽井に向かって歩く。「浪花正宗」の蔵元があった。邸内に洋館があるようで、塀越しに屋根が見える。登録文化財を示すプレートが門に掲げられていた。

尾崎から樽井に向かう。やはり、発泡酒は飲むべきでなかった。夏場とちがって、すぐにもよおしてきた。

男里川を越えると泉南市。「おのさと」と読むらしい。なにか云われがあるのだろう。男神社というのがある。木立のなかに小さな社があるのだが、神武天皇東征のおり五瀬命が上陸したとされる場所にちなむ。皇紀2600年に建てられた「神武天皇聖蹟雄水門」顕彰碑というのがある。

樽井の町中には、もと紡績工場だったと思われる煉瓦造の建て屋の一部が別のショップか何かに再生されているのがあった。樽井駅の北側にある東洋クロスの工場には煉瓦造の建物が残っていて、これは南海電車からも見える。

樽井駅から岡田浦のほうに少し行ったところにイオンショッピングセンターがある。南海線から北側はかなり埋め立てられたようで、そんなところにジャスコをはじめ大型店やレストラン、劇場など複合化巨大ショッピングセンターがあるのだ。

ここからだと、岡田浦へ歩けばいいのだけれど、せっかくだからと阪和線の新家駅をめざした。畑のなかに住宅とか町工場が点在しているようなところで、たいした発見はなかった。

古い地図を手に歩いているので、新しい道路ができたりして、どこを歩いているか、よくわからないまま南東方向に向かうと、泉南一丘団地に行き着いた。へたに団地に迷い込むと、出られなくなるのではないかと不安になるのだが、新家駅への道標があって、駅にたどり着くことができた。

新家駅は普通電車しか停まらない。天王寺行に乗ると、次の長滝で快速に追い抜かれ、天王寺まで時間がかかりそうだな、と思っていたら、追い抜かれた快速には、次の日根野で乗り継ぐことができた。ここで、関空快速を併結するのと特急に追い抜かれるためだ。

普通電車は熊取まで先行していて、ここでも快速に乗り継げる。快速に乗ってしまえば、乗り換えることなく大阪まで運ばれる。(2004.12.18)



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