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◆ 宇治と京都地下鉄/服部緑地と赤川鉄橋 ◆


[宇治へ]京阪淀屋橋駅の地下ホームに下りるとちょうど特急が停まっていた。2階建て車両が繋がっている。それに乗ってみた。京阪電車に2階建て車両が登場して、もう10年くらいたつと思うけれど、京阪電車にふだんあまり乗らないせいもあって、2階部分に座るのは初めてである。いつも見慣れた車窓より高いので、すこし変な感じ。
むかしの京阪特急は大阪・京橋を出ると京都・七条までノンストップで走っていたが、いまは途中の駅でよく停まる。その分時間は余計かかることになるが、中間駅からの利便性は増したことだろう。その恩恵を受けて、中書島駅で下車、宇治線に乗り換える。

中書島駅を出ると近鉄京都線の下をくぐる。すぐ南側に宇治川があって、それを渡る立派な鉄橋が見える。黄檗駅のあたり西側に陸上自衛隊宇治駐屯地があって、煉瓦建造物が見られる。旧軍時代のなごりなのだろう。

今回は終点宇治駅のひとつ手前三室戸駅で下車。初めて降りる。宇治駅とは400mしか離れてない。西国三十三ヵ所霊場のひとつ三室戸寺最寄り駅。線路に沿って宇治駅方向に向かうと宮内庁が管理する菟道稚郎子(うじわきいらつこ)皇子墓があったりする。

京阪宇治駅はJR奈良線に行く手をさえぎられるようにして高架ホームがある。20年ほど前、初めて訪れたときは、JR奈良線の下をくぐって駅があったはずだが、どんな駅だったか、はっきりした記憶がない。

宇治駅は1995年に建て替えられている。設計は若林広幸。駅前広場を確保するためにJR線の北側にホームをもってきたのだろう。その駅舎は5つの円を並べ、水平ラインが真ん中に走り、さらに5連の切妻屋根がのっかった部分とからなっている。5つの円は宇治名物茶団子のイメージらしい。

JR線の下を抜けて駅前に出る。JR線が横を通っているのでJRの駅みたいに見える広場前にある駅ビルには方形屋根がのっていて、左右対象のさまは、平等院鳳凰堂によっているのかな。

宇治駅近くに宇治市源氏物語ミュージアムがある。そこに行こうと思って適当に歩いていると、宇治神社にきてしまった。この神社の本殿は三間社流造り、鎌倉時代に建てられたものらしい。宇治川に出ると朝霧橋がかかっていて橘島に渡れ、さらに橘橋を渡れば平等院に近いので、源氏ミュージアムは無視する。もうすこし案内がわかりやすければいけただろうに・・・。

平等院鳳凰堂は藤原頼通が宇治川に面して建立した平等院伽藍のうち、現存する唯一の建物で、世界遺産にも登録され、また、十円玉でもお馴染みの建物、最近では、デザイン一新された一万円札にも屋根にのっかっている鳳凰が使われている。

参道のもみじが美しく紅葉し、記念写真を撮っている人も多い。鳳凰堂は阿字池の中島に建てられている。中堂から左右に翼廊があり池越しにながめると、その姿は実に美しい。中堂と翼廊のプロポーションは、いちばん映えるようにデザインされているのだろう。池岸にこぶし大の石を敷き詰めた洲浜や反橋など、復元されている。

宝物館である鳳翔館は2000年に竣工した建物である。設計は栗生明で、2002年建築学会作品選奨に選ばれている。表門からはいってくると、阿字池越しに鳳凰堂をながめ、まわりこんだところにある。といっても、平等院のなかに目立つ新しい建物は見えない。展示室は地下にあった。

傾斜地に開かれた入口からはいる。全体的に照明を落としてあるから暗い。コンクリートを打ったときの型枠の木目をそのまま残している。打放しなのに、光をうまく加減しているせいか、安っぽさを感じさせない。

最初に通される展示室は、3D−CGで鳳凰堂の堂内などを再現して見せてくれる。梵鐘、鳳凰など多くの国宝のほか、新一万円札まで並べられていた。地下の展示室を一巡して階段を上がると地上部分。ミュージアムショップなどがある。ここは、ガラスを多用していて明るく、解放的である。目立った感じがなくて、まわりの環境と馴染んでいるように思う。


[京都市営地下鉄]宇治茶の香り漂う門前の土産物屋の並ぶ通りは、派手さがなくて落ち着いた感じなのだが、駅に向かうにつれて俗界に戻った、という気になる。平等院からだと宇治橋を渡って京阪宇治駅のほうが近いのだが、JR宇治駅に向かう。JRにしたのは、六地蔵までの運賃はJRのほうが安いからだ。

奈良線を走る「みやこ路」快速に乗って5分で六地蔵に到着。京都市営地下鉄の醍醐−六地蔵間は2004年11月26日に延長開業したので、その初乗りのために来たのだが、前回、ここを訪れたのは1997年10月12日で、ちょうど二条−醍醐間の開通したときだから、7年ぶりということになる。

六地蔵駅の近くにイトーヨーカドーがある。地下鉄に乗る前に立ち寄る。もともと関東圏のスーパーであるが、最近、甲子園に開店したりと、関西にも増えてきた。

地下鉄六地蔵駅はJR線の下に駅があって、京阪電車ともそれほど離れてない。ヨーカードーとも地下で繋がっている。地下鉄だからまったくおもしろみがないが、醍醐まで二駅、ほんの数分で初乗りをはたし、そのまま山科まで乗って下車する。

[花山天文台から円山公園へ]山科から山越えしてみようと思う。JR山科駅前などに「義士祭」の幟が旗めいている。大石が山科に隠れ住んだことにちなむものだろう。駅前から旧東海道を西に向かう。すこし昔の感じをもつ町屋も残っている。

住宅街を抜けてJR東海道本線の近くから山道にかかる。しばらく登るとクルマが通れる幅の未舗装の道に出た。宗教団体の境内という立て札があったりもし、山中にその教団の施設がある。

東山ドライブウェイから伸びている道を少し南に行くと京都大学の花山天文台がある。山科盆地の眺めがよい。昭和4年に建てられた施設だ。ドームをもつ建物が2つある。クルマが停まっているところをみると、人がいるらしい。常時観測を行っているのだろう。

天文台から東山ドライブウェイに出る。北に向かうと京津線九条山電停のあったところに出るが、きょうは将軍塚のほうに行ってみる。将軍塚の近くに市営展望台がある。けっこうクルマで来ている人も多い。京都市街地が見渡せる。

ここから山を下る小道があったのでそれを下ることにした。山道であるが、道としてはしっかりしていた。林のなかを抜けて下っていくと山麓の寺院とかが見えてきて、紅葉見物に訪れている人たちのいるところに出た。そして円山公園へはいっていく。観光客が多い。

園内に「ラジオ塔」があるのを発見した。ラジオ普及期に各地に建てられたもので、そこにラジオが設置されていた。これで三ヶ所目。京都のは昭和7年に建てられたもので、同57年に修復、そんな案内がされている。

八坂神社を抜けてそのまま四条通りを西に向かう。祇園界隈もまた人出が多い。鴨川を渡り、河原町から阪急電車で大阪に戻る。(2004.12.05)


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[服部緑地]阪急電車に乗り、宝塚線服部駅で下車する。この駅の近くには服部の天神さんがある。東に向かうと天竺川が流れていて、それに沿って北に進むと服部緑地に達する。緑地の阪急電車の最寄り駅としては、曽根のほうが近いが、今まで服部駅を利用したことがないので下車したまで。

南端には釣り堀があったりして、ほかにプールとか陸上競技場があったり、ジョギングコースが園内をめぐっている緑の多い、広い公園である。中ほどには円形花壇があったりもする。ここの一角に日本民家集落博物館というのがあるので立ち寄った。

この博物館は日本各地から民家を移築してきて公開している。1956(昭和31)年に設けられた施設で、明治村をはじめ、各地にできた建物を紹介する民家園といった野外博物館のさきがけとなる博物館なのである。もう50年近い歴史があるのだ。

岩手の南部まがり屋から奄美の高倉まで11棟の民家が移築されており、国指定の重要文化財になっている建物もいくつかある。ここにあるのは江戸時代に建てられた民家だ。飛騨白川の合掌造はとびきり大きな建物であるが、ほかの建物も比較的大きいな、と思った。粗末な民家という感じはしなかった。

それは、最近、各地で古い民家を見てきた目からすればなのだが。建物の囲炉裏で火がくべられている建物があったりして、こんなに煙たいなかで生活していたのかな、とも思う。

古い民家で感心するのは、やはり柱の太さですね。20cm角くらいの古びたなかにもがっしりした柱を見ると、今の建物の柱がほんとにきゃしゃだ。でも、暖といえば、囲炉裏とか限られたものしかなかったはずで、冬は寒かったでしょうね。

[関大へ]服部緑地から東に向かうと北大阪急行の緑地公園駅が近い。線路を越えると千里山の住宅街が広がっている。関大に向かって東に歩いているつもりが、南に向かっていて、名神高速道にぶつかった。名神に沿ってしばらく行くと阪急千里線の関大前駅にたどり着いた。

駅から大学に向かう道路沿いにはコンビニとか豚丼屋とかほかにもいろいろ食い物屋とかが並んでいたので昼食。行き交う学生がけっこう多い。まだ、冬休みではないのかな。昼休み時間帯の大学構内では、クリスマスがどうしたとか、ディスクジョッキーがしゃべって、音楽がはさまれ、ラジオ番組のようなものが流れている。

ここの大学は規模が大きいので大きな建物がいろいろあって、また建設中のとかもあって、うろうろしてしまう。博物館は冬休み休館していたけれど、この建物の一部は戦前の古い建物ではないかと思う。RC造の壁面に少し装飾が施されている。

[赤川鉄橋]関大前駅から阪急電車に乗って柴島(くにじま)駅で下車する。浄水場が近い。阪急の線路と淀川に挟まれた柴島地区は家が建て込んでいる。お寺とか神社もあって、昔からの集落なのだろう。柴島城跡という石碑が建っていた。

淀川の堤防に出ると東のほうに鉄橋が見える。城東貨物線の赤川鉄橋だ。この鉄橋は複線幅の鉄橋なのだが、現在、レールは単線分しか敷設されてなくて、片側は木の歩道が作られており、歩行者・自転車が通行できるようになっている。けっこう人の行き来がある橋なのだ。

城東貨物線を旅客線に転換して電車を走らせる計画が進行していて、この木道もいずれ通れなくなるはずだ。ただ、鴫野−新大阪間の工事は、あまり進捗してないようだが・・・。

[毛馬から天神橋商店街へ]淀川に沿って下ると毛馬水門に至る。もとの淀川が大川として分岐するところで、ここには、明治時代に設けられた毛馬水門の遺構が一部保存されている。公園のように整備されているが、柵がしてあったりして、どうなっているのだろう。淀川改修紀功碑という記念碑が建っている。明治42年に建てられたようで、意匠も施されている。

ほかに、残念石という、大坂城の石垣になりそこねた大きな石がいくつか置いてある。築城のおり、搬送途中で水中に落とした石らしい。

長柄から途中スーパーに立ち寄ったりしながら天神橋筋を下る。天六交差点のところに大阪市立住まい情報センターというのがある。ミュージアムもあって、江戸時代の町並みを再現、模型とかで住まいのいろいろを展示紹介している。ほかに、建築、街づくりなどに関する本を集めた図書室があって自由に閲覧できる。

人が行きかい、賑わいのある天神橋筋商店街を南下する。商店街にいくつかある古本屋を覗いたりしながら、適当なところで西におれて大阪駅に向かった。(2004.12.25)


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