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◆ けいはんな / 奈良線沿線漫歩 ◆


[けいはんな]大阪環状線を鶴橋で近鉄に乗り換えた。JRのJスルーカードは近鉄でも使えるので、乗り換え時にいちいち切符を買い直す手間いらず、たいへん便利。うまい具合に奈良行快速急行がやってきて、それに乗り継ぐ。
生駒を抜けて、京都線、橿原線の接続駅大和西大寺で京都線の各停電車に乗り継いで木津川台駅で下車した。駅名から台地状のところかと思ったら、平坦なところにある駅だった。西側の丘陵部にできた新興住宅街最寄り駅で、そのまま駅名にしたのだろう。この駅も住宅街のために新設された。
すぐそばをJR片町線が走っている。木津川台の新興住宅街を抜けて、関西文化学術研究都市(関西学研都市)に向かう。

関西学研都市は、京都府、大阪府、奈良県にまたがる地域−けいはんな(京阪奈)、で、その名のとおり文化、学術、研究を促進する基盤として都市計画がなされた進行中の巨大プロジェクトである。広大な敷地をいくつかの地域に分散してあるそうだが、これから向かうのは祝園駅から精華大通りという広い道路が通じている精華地区である。この道路沿いに企業などの研究所がいくつも設けられている。

住宅街を行くと、掘割りになって京奈和自動車道が走っている。住宅街に隣接してキヤノンの看板を掲げた施設がある。まだ、やっているのかな。企業の業績悪化により撤退したところもあるときく。

自動車道を越えたところにある巨大な建物は、「私のしごと館」という雇用・能力開発機構が設けた施設だ。南側は地味な燻し瓦色のタイル張りながら、北側の精華大通り側は全面ガラス張り。この施設は、いろいろな仕事について、「見る」だけではなく、「触れて、体験する」という、少し変わった展示施設である。

とくに、小学生、中学生に、日常行われているいろいろな仕事の実態を紹介しようというもので、将来のやりがいある仕事の発見に結びつけてもらおう、というねらいがある。多くの人たちが、サラリーマンやっている今の世の中、仕事の中身は、なかなか見えない。そいうったことにスポットをあてて紹介、あるいは体験できるという施設は、いままでなかったと思うので、おもしろい試みだと思う。

訪れたのは土曜日であったが、中学生の団体とか小学生を連れた家族連れなどでけっこう賑わっていた。でも、ここを見学した小中学生は、どう感じているのだうね。

この向かいには、けいはんな記念公園がある。精華大通りを西に向かうと、広大な空き地が広がっている。日用品の量販店があったのには、場違いな感じがした。そして、1kmほど行くと、国立国会図書館関西館があるのだが、その前には、ファミレスなど飲食店が並んでいる。

量販店とか飲食店がここにあることじたい悪いことと思わないのだが、ほかの場所と同じ、ふつうのロードサイドショップと同じ雰囲気で出店させるのはどうかと思う。せっかく、新しい町並みを作ったのだから、都市景観デザイン上でのくふうがほしいところだ。

その点でいうと、この地区の配水塔は、あれはなんだ、と思わせるデザインになっていた。商業施設もちゃんとした建築家に担当させるべきだったのではないかと思えた。

国立国会図書館関西館は陶器二三雄の設計になるもので、1996年国際設計競技の最優秀賞受賞した。2004年日本建築学会賞にも輝いた。外観の四角いガラスの箱は、いたってシンプルな印象を受ける。

さらに西に行くと、学研都市展示館の案内が出ていたので立ち寄ると、建物は別の用途に使われ、展示館はすでに閉鎖されていた。閉鎖されたのなら、早々に案内標識を撤去しろ、といいたい。

けいはんなプラザがある。ホテルとか住友ホールという劇場も付属するこの地区の中核施設。向かいには、国際電気通信基礎技術研究所とか、ホテルの並びには、松下、京セラ、CSKの大川センターなどの研究所がある。住友金属もあったはずだけど・・・。

こういった研究所の向かいは、住宅街になっている。緑多く広い敷地にゆったりと建つ大きな研究所に比べ、住宅の並びは、せせこましく見える。精華大通りの両側に研究所が並ぶほうがバランスがよいように思うのだが、最初から研究所の向かいに住宅地を設ける計画だったのかな。

大通りに面して、住宅街の中ほどに少し外観が違う建物がある。三角形のペディメントがある建物で、ミュゼ・ルイ・ルルーという美術館だったはずだ。閉鎖されているように見える。どうなったのだろう。

近鉄奈良線学園前駅方面に向かう道路があったので、そちらに向かう。両側には住宅街が並んでいる。住宅の新築工事を行っているのもいくつか見られる。
木津川の支流山田川に向かって下っていく。山田川の支流に沿っていて、その西側の丘陵地には生駒市鹿ノ台の住宅地になっている。川沿いに国道163号線が東西に走っている。四条畷から木津へ抜ける清滝街道という生駒越え道のひとつ。けっこう交通量が多そうだ。

学園前駅へは、もうひと山越えなければならないようだ。国道筋から500mほど南側に高架線の工事をしている。近鉄東大阪線につながる生駒−学研奈良登美ヶ丘間約8.6kmの「けいはんな線」だ。途中に2駅あって、このあたりに学研奈良登美ヶ丘駅ができるのだろう。2006年3月に開業が予定されており、楽しみだ。

坂を登ったところに、スーパーがあったので、ちょっと一服。さらに南に向かって歩く。
中登美ヶ丘付近には、同じ向きに並んだ旧来の団地が並んでいる。道路の反対側の区画には、ゆったり建てられた戸建てが多い。

疲れてきたので、学園前駅まであと2kmくらいの登美ヶ丘2丁目バス停で奈良交通のバスに乗ると、ほんの数分で駅前に運ばれた。学園前駅から近鉄電車に乗って鶴橋へ。(2005.02.12)


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[奈良線に沿って]JR奈良線沿線の漫歩を行っている。ふつうなら、大阪からだと、京都を経由するか、奈良を経由するか、だろうけど、JR運賃だけだとけっこう高い。それで、今回は、淀屋橋から京阪特急に乗り、中書島で宇治線に乗り換えて、適当なところでJR奈良線に乗り継ごうと思う。乗り継ぐのはどの駅でもよかったのだが、京阪、JRとも足を印したことがない木幡駅で下車する。

京阪の木幡駅のそばには大きな工場がある。駅を出て、東のほうへ200mほど行くとJRの木幡駅がある。その道中に和風の建物に洋間をくっつけた建物があった。

JR木幡駅の外観は、改修されているので古びてないのだが、建物に取り付けてある財産票によると「明29年」とある。建物は開業頃のものらしい。向かいのホームには木造の上屋があって、こちらは「昭17年」。

いまどき、木造の上屋も貴重な存在かもしれない。ここの上屋の木組みは少し変わっているように思えたのだが、こういうのも、いろいろ集めてみるとおもしろいかもしれない。

ところで、JR木幡駅に着いたとき、たまたま、京都行電車がやってきたところで、それが、改札口のある側のホームに停車したので、奈良行は向かいのホームだろうとの思い込みで、跨線橋を渡って向かいのホームに行ったのだった。
しかし、昼間の時間帯は、奈良行も改札口のあるホームが使われているようで、また、跨線橋を渡って戻らなければならなかった。改札口側ホームで上り下りの電車の発着に使うのは、いちいち跨線橋の上り下りの必要がなく、利用者へのサービスになのだろう。

こういうこともあるので、初めて利用する駅では、よく確認することが必要だ。でも、向かいのホームまで行ったので、上屋の財産票の確認ができたのだが・・。

城陽までは、おおむね15分おきに電車があるのだが、その先は30分おきになる。城陽から次の長池あたりまで住宅など沿線に建ち並んでいるのだが、しだいに農地のほうが多くなってくる。

奈良線には天井川を抜けるトンネルがある。煉瓦巻きである。駅でも電車用にかさ上げされたホームの下部に煉瓦積みが残っていたりもし、歴史の古さを感じるところだ。

天井川である不動川をトンネルで抜けて棚倉駅で下車する。城陽から先はJスルーカードが使えないかもと思い切符を買って電車に乗ったが、駅員が常駐しない駅でも、カードで入場できる改札と運賃清算用の機械が置いてある。

ここで下車したのは、不動川に沿って山間に2.5kmほどはいったところに不動川砂防公園というのがあって、そこにデレーケの堰堤が残されているので見にいってみようと思ったのだ。

しばらく川沿いに進むと、道路工事で通行止めの案内とともに、クルマが通れないように柵がしてあった。日曜日なので工事は休みだろうし、歩けないことはなかろうと、それを無視して進む。川沿いの道はクルマが1台通れるほどの幅で、ちょうど舗装工事のための地固めしている状態。歩くにはまったく支障はなかった。もちろん、工事は休み。道路工事は年度末が近づいたせいかな。

しばらく行くと、クルマがふつうに通れる立派な道路に合流。手元の地図には出てないのだが、少し広まった川が公園に整備されており、この先の不動川砂防公園に通じる道路なのかもしれない。電柱が立ち、電気も引かれている。

さらに登っていくと、駅から40分あまりで公園にたどりついた。クルマでも行くことができる公園だ。川沿いに広場や東屋など整備されており、デレーケの胸像が建っている。いったときは、高齢者のハイカー団体がお弁当を広げていた。

デレーケは、明治時代に来日したお雇い外国人のひとりで、とりわけ治水関係に功績があった。日本各地に業績が残っているようだが、ここの砂防堰堤が公園として整備されたのは、日本初の砂防ダムというところにある。園内に多くの堰堤が残されているのだが、いまひとつ近代土木遺産という重みが感じられなかった。公園となる前の姿といまと、どの程度違うのかわからないが、公園として整備されたせいかなと思える。

公園をあとに来た道を引き返す。正午をまわりお腹がすいてきたのだが、駅付近にはコンビニも食堂も見当らない。棚倉の町並みは線路の西側に伸びており、そっちか、あるいはその先の国道筋まで行けば、なにかあると思うのだが、駅に戻ってくると、うまい具合に奈良行の電車の時刻が迫っていたので、空腹をかかえて、電車でひと駅、上狛に移動する。

上狛駅の西側に町並みが広がっているのだが、駅付近に食堂やコンビニはなかった。駅近くの酒屋の自販機で飲み物1本買って空腹を紛らわす。
この駅から数百mほど北に小林家住宅がある。江戸時代初期の建物(1665年)。いまもふつうの住居として使われているようで、門の外から眺めるのみ。かや葺きの切妻屋根で、妻面は板張りしてある。屋根の勾配は、大和棟のような印象を受けた。

駅付近はけっこう住宅などがかたまってあるのだが、商店がない。日曜日のせいでしまっているのかもしれない。国道筋まで行けばなにかあるだろうと思えたが、行って何もないとしゃくなので、昼食を取らないまま上狛駅から東のほうへ1kmほどいったところに京都府立山城郷土資料館があるので行ってみる。

コンビニでもあれば、と期待したのだ、町並みをはずれると田んぼが広がってなにもない。国道163号線沿いにコンビニの看板があったので、あれうれしや、と思ったものの、それはずっと先にありますよ、という案内看板だった。

資料館までの道中に高麗寺跡という史跡が田んぼのなかにある。礎石が残されている。このあたり上狛というだけあって、朝鮮半島からの渡来人ゆかりの地なわけで、そのなごりなのだ。

郷土資料館は国道から少し登ったところにある。小山をえぐり取ったような敷地に建つ。府立というからもっと大きな施設かと思ったのだが、小ぶりな資料館である。しかも、けっこう古びた建物である。常設展示室では、山城地域のことをメインに、古墳の出土品とか恭仁宮のことなどを経年式に展示している。もうひとつ企画展示室があって、訪れたときは「くらしの道具今昔」というのをやっていた。全体的にあまり工夫はみられない。

資料館から来た道を引き返す。このまま上狛駅に戻ってもよかったのだが、次の電車まで20分近く待つ必要があり、木津川を渡ればすぐ木津駅で、それほど離れてないので歩くことにした。

国道24号線に出ると食堂とかコンビニがあった。いまさら食堂にはいる気にもならず、コンビニでパンと飲み物を買って歩きながら食す。木津駅の手前で電車に追い抜かれたが、それほど遅れを取ったわけでない。

木津駅は関西本線と奈良線、片町線が交わる駅で、広い構内をもつ。駅はちっぽけだがホームの木造上屋など、すこし風格が感じられる。ここから片町線の隣駅西木津まで電車に乗る。


[学研都市]西木津駅は片面ホームだけの無人駅。木津駅でJスルーカードをそのまま改札にいれたので、はじめて駅に設置されている清算装置を使う。これを怠ると、このあとカードが使えなくなる。

西木津駅から西に歩いてハイタッチ・リサーチパークに行く。ここも、関西学研都市の一地区である。精華地区に比べて狭い敷地に各社の研究所などが並んでいて、せせこましい感じだが、ガラスのピラミッドを筆頭に個性的な建物が多い。通りの向かいにある積水ハウスの総合住宅研究所は巨大な施設だ。このまわりには住宅街が広がっている。

住宅街を抜けて近鉄京都線の高の原駅をめざす。駅北西側には未使用の空き地が広がっている。たぶん商業地にするつもりなのだろうけれど、進出するところがないのかな。
高の原駅から近鉄電車に乗り、大和西大寺駅で難波行に乗り換えて大阪に向かった。(2005.02.20)
 

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