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有馬街道/京都・大阪美術館めぐり

[有馬街道]最近、たまたま旧街道に沿って歩いている。今回は、JR福知山線生瀬駅に下車して有馬街道を東に歩いてみよう。

有馬街道は、大阪から伊丹を経て有馬温泉へ向かう街道、別名湯山街道ともいうが、で、さらに六甲山系の北側を三木から姫路に抜け、西国街道の裏街道として機能していたらしい。また、西国三十三カ所の霊場、中山寺から清水寺へと向かう巡礼道でもある。

その宿場だったところが、生瀬である。駅は武庫川から少し高みにあって、河岸段丘に町並みがある。
駅から東のほうに伸びている町並みは、むかしは宿場町らしい雰囲気の町並みだったらしいが、いまはほとんどの建物が建て変わり、その雰囲気はない。残っている旧い町屋も改装されたりしているのが多い。

町を抜けて武庫川のほうへ下ると高層住宅が建っている。かつて、ウイルキンソンの工場があった。
国道176号線、かつては生瀬橋付近はでよく渋滞したものだが、拡幅され武庫川を渡る新しいルートに付け替えられた。武庫川沿いの旧国道は、昨年(2004年)の台風の増水で土手がえぐられ、大きな被害が出た。どうにか復旧したようだ。

生瀬橋を渡り、国道176号線を越え、JR線の下を抜けて旧街道をたどる。緩やかにカーブしながら伸びる旧街道沿いには住宅が建てこんでいる。生瀬東町という地区で、このあたりはまだ西宮市のようだ。溜池があるところをみるとかつては農地だったのだろう。山の上のほうには高層住宅が並んでいる。

いつの間にか宝塚市川面地区にはいった。武庫川の支流後川が市境かと思ったらちがうようで、手元の1/25000『宝塚』(平成7年修測)によるとこのあたり市境が未定箇所にあたっているようだ。

旧街道からJR宝塚駅へ下る道筋に洋館がひとつ残っていた。
狭い敷地にいっぱいいっぱい建っている家も多いが、大きな敷地にゆったり建っている住宅もある。宝塚が郊外住宅とか、別宅とかで建てられたなごりなのだろうか。

そのいっぽうで、ちょうど中国自動車道の東宝塚トンネルの山の上、高圧線の下あたりににこぶりな住宅が並んでいる。すこし、すごい眺めだな、と思えた。

荒神川を渡ると荒神さんへの参道とぶつかる。荒神川に沿って1kmほど山間にある荒神さんにいってみよう。正式には清澄寺といい、お寺としても由緒あるのだが、神仏混淆のなごりとして、竃の神さん、三宝荒神を祀ることで、庶民の信仰をあつめてきた。

お参りするお年寄りなどけっこう多い。参道には、土産物屋や食物屋などが並んでいる。中国自動車道の下を抜け、荒神さんに近付くにつれ食い物、衣料品などいろいろな露店が並ぶ。正面に本堂、左手に荒神さん、奥まったところに鉄斎美術館がある。

富岡鉄斎は明治の文人画家である。鉄斎と親交のあったこの寺の法主が収集したコレクションを展示している。30年ほど前に開館した美術館で、建物の外観は、斗きょうをあしらったりして、お寺にあわせたデザインである。

訪れたときは「鉄斎の粉本−人物画を中心に−」という企画展をやっていた。粉本というのは勉強のために行った「模写」である。模写によって技を研いたことを紹介する展示で、原画も写真で示され、その違いとかがわかるように展示にくふうされていた。

荒神さんの参道は、登ってくる人、下る人、けっこうな人出である。中山寺のほうへ案内が出ていたのでそちらへ向かう。このあたりに橋本関雪の別邸があるらしい。どこだろう、と思いながら歩いているうちに阪急の線路のところまでやってきたので、そのまま旧街道に戻った。

阪急、国道176号線、そしてJR福知山線を渡って段丘べりの旧有馬街道を進む。道の両側には少し古びたのや真新しい住宅が並ぶ。

しばらく行くと古い建物が残っていると思ったら宝塚市立歴史民俗資料館として保存されている旧和田家住宅だった。この民家は、この前の地震で被災したのを改修、保全工事が行われ、その後、市に寄贈され、資料館にされたのだそうだ。江戸時代の中頃までに建てられたものらしい。

大掘川を渡ると小浜地区である。小浜は、室町時代の中頃、毫摂寺が建立され、寺内町として発展した町で、有馬街道や京伏見街道の交わる要衝だったようだ。この前の地震にあう前には、宿場の情緒が残る古い町屋がけっこう残っていたようで、市立小浜宿資料館が設けられたりしていた。しかし、地震で被災し、古い町屋もほとんど建て替えられたようだ。

小浜宿から南に下ると小浜交差点に出る。宝塚インターに近く、交通量の多いところだ。宝塚−尼崎間の阪神バスが走る。このバス、前回乗ったので、きょうは、宝塚新大橋を渡り、阪急逆瀬川駅へ向かうことにした。

大橋を渡ると宝塚市役所がある。なんかタカラヅカを意識したオシャレを感じさせる建物だ。向かいは広い公園になっている。

消防署前で西に向かうべきところ、そのまま道なりに歩いてしまい、かなり歩いたところで、気がついたのだが、もう小林駅との中間あたりだったので、引き返す気にもならず、そのまま小林駅に向かうことにした。(2005.05.28)





[京都]久しぶりに京都へ行ってみようと思う。阪急京都線の特急に乗って烏丸駅で下車、そのあと京都市地下鉄に乗り換えて、鞍馬口駅で下車した。最初の目的地は相国寺、だから今出川駅で降りてもよかったのだが、この駅に今まで乗り降りしたことがなかったので鞍馬口駅に下車することにしたのだ。

地上に出て相国寺に向かって町中を歩く。このあたりは、京都御所の北側、住宅が密集したところで、上御霊神社があったり、寺院があったりする。

この界隈を歩くのは初めてである。並んでいる住宅、細かく観察したわけでないが、郊外住宅地に建つ感じのハウスメーカー的住宅は少ない。敷地が狭小で標準モデルに適さないからだろう。だから、建て売り工務店住宅的な住宅が多いのだが、そのなかには、建築家が関与したと思われる、けっこう、個性を発揮している住宅がちらほら見かけられる。

これはあくまで、外観だけの話なのだが、たとえば、新しい住宅はサイディング系の外壁が主なのだが、外壁にガルバニウム鋼板使ったり、密集地なら、外壁を板塀などで閉じながら、上に開いている、といったような配慮、など、おもしろい試みが見られる。

そんな住宅を見ながら歩いてうちに寺町通りまで出てしまい、少し下ったところで西に向かうと薩摩藩士の墓の前を通り、少し遠回りして相国寺にたどり着いた。

大きなお寺である。相国寺は、臨済宗相国寺派の本山で、室町前期の1383年足利義満が創建。京都五山のひとつ。ここにある承天閣は、創建六百年記念事業として、1984年竣工した建物で、相国寺派の寺院に伝えられた文化財を収蔵する美術館を中心に、講堂、茶室などがある。設計は川崎清。いま、増築工事が進められていた。

建物は、寺院のなかにあって、瓦屋根やアプローチの雰囲気を調和させている。展示室は大きなものではないが、若冲の「葡萄図」「月夜芭蕉図」(ともに重文)など貴重な作品が展示されている。今回は見ることできなかったが、等伯の「竹林猿猴図屏風」なども所蔵しているようだ。

今期の企画展示として「陶磁器展」というのをやっていて、中国などいろいろなところで作られた陶磁器が並べられていた。それと、金閣の模型があったり、銀閣のことが紹介してあって、金閣で知られる鹿苑寺、銀閣で知られる慈照寺も相国寺派の寺院であることを知った。

相国寺の南側には同志社大学、女子大学が隣接している。その間を抜けて、今出川通りを東に向かう。百万遍交差点そばの牛丼屋に昼食に立ち寄ったのち京都大学に立ち寄る。

ここに京都大学総合博物館がある。この施設も、川崎清の設計になる建物で、1986年に竣工したもともと文学部陳列館を発展させた文学部博物館がもとになっていて、総合博物館になったあと、2000年にエントランスを共用する南棟が増築された。こちらの設計は京大の宗本研究室。

展示内容としては、自然史系として、有名な霊長類研究をはじめとして、熱帯雨林を再現した立体的な展示やいろいろな標本など、文化史系として、古文書や古墳発掘品などが展示されていた。

また、企画展として「考古学を愉しむ」として新堂廃寺出土瓦の分析というのをやっていた。古い時代の瓦の作り方を紹介し、発掘した瓦の特徴などを事細かに分析し、造瓦技術について紹介していた。まあ、よくも念入りに調べましたねえ、という内容であった。

東大路通りを南下してもおもしろくないので、すこし東側にはいって、住宅街を下る。平安神宮を迂回して京都国立近代美術館に立ち寄る。

ここでは「加守田章二展」が催されていた。ユニークな絵付けがされたものや形の変わったのとか、いろいろ陶器が並ぶ。そのあと、常設展も一巡した。
岡崎から三条まで歩き、京阪特急に乗って大阪に戻った。(2005.06.05)





[大阪市立美術館]大阪環状線に乗って天王寺駅で下車。久しぶりに美術館への道をたどる。むかしは美術館のそばにしては場違いな歌謡曲とかがうるさくて、どうしようもない美術館への道だったのだが、そういった人たちが立退かされて静かになっている。

むかしは美術館の裏手の日本庭園慶沢園が有料だったと思うのだが、いまは美術館のある場所も有料公園になっている。お金のない時間をもてあました人たちを排除するためだろう。だから美術館に入るのにも、まず公園の入場券を買って園内にはいり、美術館にはいるには、展覧会場で入園料との差額を払えばいいらしい。招待券とか、事前に展覧会のチケットを入手していれば、入口で見せればそのまま園内に入れる。

今回の展覧会は「興福寺国宝展」。興福寺は南都七大寺のひとつ、もとは藤原鎌足の私寺として設けられた山階寺に始まり、710年平城京遷都とともにいまの地に移転、1300年近い歴史をもつ由緒ある寺院である。彫刻でいえば、天平時代の代表作「阿修羅像」とか、鎌倉時代の仏師運慶らの作品で知られる。

今回の展覧会では、彫刻、絵画など鎌倉期の仏教美術を中心に国宝、重要文化財が並べられた。
運慶の「無著・世親像」は写実的、四天王立像など力強い造形のなかに、ふみつけた邪鬼にユーモラスなところも見え、迫ってくるものがある。白鳳時代の代表作山田寺の仏頭など日本史の教科書でもなじみの作品をたっぷり鑑賞することができた。

常設展として「日本の仏教美術」というのを「興福寺展」にあわせて行われていた。彫刻、仏画など美術館に寄託されているものが並べられていた。また、「日本の工芸意匠」として蒔絵や根付、印篭などの展示もされていた。大阪市立美術館には企画展目的でしか訪れたことがないので、こんなものを所蔵しているなんて知らなかった。ここは東洋美術などのコレクションで知られるらしい。

美術館をあとに天王寺公園を抜けて駅に戻る。天王寺駅からふたたび環状線に乗って、福島駅で下車。駅前の牛丼屋で昼食を取ったのち国道筋に出た。

国道2号線の地下にはJR東西線と阪神本線が並走していて、JRの新福島駅と阪神の福島駅はすぐそばにあるのだが、地下で駅同士は繋がっておらず、乗り換えるにはいったん地上に出なければならない。だから、駅への入口もJRと阪神は別々で、注意しないといけない。計画段階で、すりあわせをうまくやれば、利用者に不便をかけることがなかったろうに。

福島から普通電車に乗って次の野田で特急に乗り換え、西宮でまた普通に乗り継いで、次の香櫨園駅で下車した。

[西宮市大谷記念美術館]駅から西へ500mほどのところにある西宮市大谷記念美術館に立ち寄って、「藤城清治の世界展」を見学する。

うしろから光をあてるのがポイントで、切り絵と貼り絵を複合した独特の表現がおもしろかった。その表現が童話的な作品世界にはまっている。うしろから光をあてることで、重ね貼りに微妙な濃淡があらわれ、効果的な色調を生み出している。その一方で、木の葉など細かい切り絵作業にも驚かされる。童話的な作品世界なのでこども連れで賑わっていた。

[夙川界隈]美術館をあとに北のほうに向かって住宅街を散策。ハウスメーカー的住宅も多いのだが、建築家の手がはいったと思える個性的な住宅もいくつか見られる。

国道2号線の北側に大手前女子大学がある。いまは女子大ではなくなっているのかな。そこのアートセンターは安藤さんの作品ですね。JR線を越え、しばらく行くと夙川カトリック教会が見えてくる。

阪急夙川駅を越えて、甲陽線沿線の住宅街を行く。越木岩筋と苦楽園通りの交差点に建つ商業施設WING苦楽園は目立っている。

適当に徘徊しているだけなのだが、誰が関与した建物かよくわからないものの住宅街のなかにも、自分なりには、けっこうおもしろいなと感じられる建物を見つけた。
きょうは、今まで利用したことがない阪急苦楽園口駅から電車に乗って帰る。(2005.06.18)



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