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兵庫県・美術館めぐり


[神戸]JR摂津本山駅で下車する。この駅舎は阪神間に電車が走るようになった昭和初期の古い面影を残している。南側に出て、田中町の住宅街を歩く。ハウスメーカーや工務店設計の多い住宅街にあって、たまに、建築家が関与したらしい個性的な外観の住宅がある。

国道2号線を渡って、甲南町の住宅街を抜ける。進学校として有名な灘高がある。住吉川べりに出る。川沿いに六甲ライナーの高架が伸びている。魚崎駅の近くに谷崎潤一郎の倚松庵がある。

魚崎駅から六甲ライナーに乗る。三宮から出ているポートライナーともども、いまは、均一運賃制だが、ポートライナーが神戸空港まで延長されると、距離制に改められるようだ。だから、短い区間だと、今より安くなるらしい。

六甲ライナーに乗るのは、この路線が開業してすぐに乗って以来である。アイランドセンター駅で下車する。この界隈、ファッション美術館のはいっている神戸ファッションプラザとか、神戸ベイシュラトンホテルとか、神戸ファッションマートとか、個性的な格好をした大きな施設をはじめ、高層住宅もいろいろ建ち並んでいる。六甲ライナーの高架に沿って、そんな建物を眺めながら北に歩く。

きょうは、まず、神戸市立小磯記念美術館に立ち寄る。1993年に竣工した美術館で、切妻屋根の建物が2棟並んでいて、その間をゆるくカーブした回廊が結んでいるという構成。中庭には小磯のアトリエが移築されている。

今回は、「コレクション大公開!ver2」という展覧会で、小磯の作品のほか、神戸や小磯と関係のあった画家たちの作品が並べられていた。メインとなる展示室1の小磯の作品は年代順に並べられている。ひとりの画家の変遷のようなものがわかってよい。

このひとは、女性の肖像画とかが多いけれど、衣服の質感が、とても出ているのに、関心させられる。「コレクション大公開」のほうは、不勉強で知らない人のほうが多い。

美術館をあとに、アイランド北口駅からとなりの南魚崎駅まで六甲ライナーに乗る。開業当初に乗り降りした住吉、マリンパーク両駅とあわせ、これで六甲ライナー全駅に足をしるしたことになる。

六甲ライナーの駅に「蔵開き」のチラシがおいてあったので、櫻正宗の工場に行ってみる。お酒の銘柄に、何とか正宗、というのがけっこうあるけれど、この櫻正宗が最初につけたらしい。

魚崎郷は「灘の生一本」の酒どころのひとつである。いまは、いくつもの酒造メーカーの酒蔵というより工場のような建物とマンションが混在した町である。

櫻正宗の工場前広場には、模擬店などが並び、新酒の振る舞い、餅つき大会が行われ、近在の多くの人たちで賑わっていた。特別に酒蔵の見学会も行われており、せっかくなので、見学させてもらう。

酒蔵といっても、昔風の蔵というより、工場といったほうがいいですね。はいるとき、両手をアルコールで清め、ヘアキャップをかぶって工場内へ。精米、蒸し、仕込み、発酵、圧搾と3階から工程にそって、工場の一角を見せてもらう。吊し搾りの新酒も味わせてもらう。

工場をあとに、阪神魚崎駅に出て、三宮に向かう。駅前のいつもの豚丼屋で昼食を取ったのち、元町の大丸まで歩いて、大丸ミュージアムKOBEで行われていた「日本芸術院の日本画展」を見学する。日本画といっても、表現に幅があるなと思う。(2005.11.5)





[丹波市]福知山行電車に乗る。篠山口までは複線で、その先は単線となる。丹波大山を過ぎると篠山川に沿った渓谷を走る。紅葉の盛りはとっくに過ぎ、山は冬枯れ色になっている。ただ、沿線は植林された杉が多いので、紅葉時分でも、色とりどりの車窓風景ではないかもしれない。

谷川で進行方向をぐっと反転させて、奥野々トンネルを過ぎると柏原である。今回は、その次の石生駅で下車する。無人駅、東西に出られるようになっているが、もともとの駅舎は東側にあって、駅舎に取り付けてある財産票によると昭和17年に建てられたようだ。待合室には丸窓があってそんな時代を感じさせる。

丹波市は、氷上郡柏原町、氷上町、青垣町、春日町、山南町、市島町が2004年11月合併して誕生した市である。でも、なぜ、「丹波」を市名にしたのだろう。それを決定した人たちの安易な姿勢が残念でならない。

旧国名を市名に取り入れているところはけっこうあると思うけれど、「丹波」は、兵庫県と京都府にまたがる地域で、しかも、「丹波市」を名乗る地域は、そのはずれにあるといっていい場所なのだか、その旧国名を独占するのは、いかがなものか。

たとえば「丹波篠山」といえば、むかしから使われており、それなりの知名度がある「丹波」の使い方なのだが、そういったことを無視して、一地域が市名にするのは暴挙ではなかろうか。

同じ兵庫県下で誕生した新市には「養父」「宍粟」「朝来」など旧郡名をそのまま使っているところもあるのに、せっかく、「氷上」という由緒ある郡名がありながら、それを葬り去ったことも残念でならない。

駅から北西方向に4kmほどのところに市役所がある。鉄道が通じていて、バスターミナルのある柏原を中心にしてもよいように思えるのだが、地理的に新市の中心に位置するというので、旧氷上町のところにもってきたのだろうか。

いまは、鉄道より高速道路が優先するのかもしれない。舞鶴若狭道から分岐して豊岡に向かう道路が、ちょうど旧氷上町を縦断するように工事中だ。

市役所の近く、加古川べりに市立植野記念美術館がある。オーダーを並べ古典様式っぽい外観を見せているのだが、少し変。柱の長さと三角形の部分、ペディメントのプロポーションがわるいのか、それ以外の部分との調和が取れていないのか、そんな感じがした。

古典からの引用としてのポストモダンならまだしも、中途半端に似せると、なんか「変」、という思いだけが残る。訪れたときは、次の企画展のための展示替えのため休館していた。企画展が主の美術館なのだろう。
事前に展覧会の情報を調べず、ふらりと立ち寄ると、休館、てなこともたまにはあるが、しかたがない。

氷上町の平野部は田園地帯なのだが、その真ん中を自動車道の築堤が伸び、インターができる界隈は、そこへのアクセス道路が整備され、その道路沿いには、ロードサイドショップが並び、どこでも見られるような光景になりつつある。

大きなショッピングセンターは「ゆめタウン」という施設。賑わっている。たしか、広島あたりを拠点とするスーパーだったと思うけれど、建物の上に「You me」と看板が載っている。これを見るたびに、「You must buy in my store to pay to me.」という経営者のイメージが浮かぶ。

ところで、石生駅の近く、国道175号線に176号線がぶつかる「水分れ(みわかれ)」という交差点がある。ここは、標高約95m、太平洋側と日本海側を分ける中央分水界のなかで一番低いところだ。ふつうは、山脈の峠のようなところをうねうね伸びる中央分水界なのだが、ここは、そんな感じがまったくない。

ここに降った雨は、加古川水系に流れ込めば太平洋へ、由良川水系に流れ込めば日本海へ、それをイメージしたモニュメントが設置されている。
この交差点から少し東にはいったところに「水分れ公園」という公園があって、そこに水分れ資料館があるので立ち寄ってみた。

ここでは、この付近の地形模型や中央分水界のことが紹介されている。また、この低い分水界を利用して加古川と由良川の水運を通じて瀬戸内と日本海側とつなぐ連絡路であったことも紹介されていて、川を上り下りしていた高瀬船が復元されていた。

ただ、川にいる生き物を紹介するホルマリン浸け資料は見るに耐えないひどい状況だし、あまり人が訪れているようにも見えず、有料施設としては、すこしお粗末かもしれない。

次の電車まで、少し時間があったので、柏原に向かって国道を歩く。途中で食堂でも、と考えたのだが、なく、そのまま柏原市街地にはいったので、スーパーでパンなど調達。

柏原12:56発篠山口行に乗る。113系電車を2両編成で運転できるように改造したようで、福知山寄りの車両はは、ふつうの運転席のある顔つきだが、大阪寄りは、切妻の103系電車のような感じ。篠山口で大阪行に乗り継いで相野駅で下車。

[兵庫陶芸美術館]駅前のバス乗り場に立杭方面行のバスが止まっていた。本来乗れない発車時刻のバスだったのだが、下り電車が10分ほど遅れていて、これに乗ることができた。下り電車からの乗客も拾って発車。
駅の西方2kmほどのところに「つつじが丘」という住宅街があるらしく、バスが出ている。駅周辺は、新しい道路が整備されているが、そんなに賑やかになったようには見えない。
三本峠を越えて立杭の集落に下る。駅から10分ほどで兵庫陶芸美術館に着いた。見学に訪れた乗客がぱらぱら降りる。

立杭は南北に四斗谷川が流れるていて、西側の山べりに窯元が並んでいる。美術館は、東側の山の中腹にあって、立杭の集落を俯瞰できる。この美術館は、2005年10月1日にオープンした新しい陶芸美術館である。開館記念特別展として「やきもののふるさと 丹波−名品でたどる800年のあゆみ−」という展覧会が行われていた。

建物は、エントランス棟、展示棟、研修棟、管理棟と分れ、離れて茶室がある。それらが山の斜面を活かしてつなげられている。全体的な建物の外観は、白壁の土蔵をイメージさせる。研修棟だけは、ほかの建物と違って、外壁にガラスを使っていて現代風。

エントランス棟にチケット売場があって、エレベータで3階へ、そこが展示棟1階のレベル、ブリッジでつながれてエントランスホールにはいる。展示棟は、3フロア、1階、2階と地階に展示室が設けられている。

たまたま訪れたとき、学芸員によるギャラリートークというのが行われていて、それぞれの作品を前に、簡単な解説をしていた。それを聞く人たちで展示室が少し混雑。

バスで相野に向かってもよかったのだが、山里をぶらぶら歩く。歩道がほとんどない地方道なので、たまにしかクルマは走らないけれど、そばを通るときはスピード出していて、あまり心地よい歩きではなかった。1時間ほどかかって相野駅に到着。とっぷり日が暮れたなか、大阪行電車に乗って帰る。 (2005.12.3.)


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