東京と大阪
[汐留から銀座へ]初めて、新幹線の品川駅で下車してみる。この駅は、2003年10月1日に開業したもので、このときのダイヤ改正から、最高速度270km/h運転の「のぞみ」を主体にした運転体制になっている。
東京駅からわずかしか離れていない駅ではあるが、渋谷や川崎あたりの人たちには便利な存在かもしれない。
ホームは、2面4線の構成で、在来線と同じ平地にあって在来線乗換口は、ホームから階段を上がったところにある。新幹線ホームは、たいてい高架にあって、階段を下りて乗換口があるから、駅の構成がほかとは少し変わっている。
駅の東側には高層ビルが建ち並んでいる。かつてどんなところだったか、もう思い出すこともできない。かつては、駅を東西方向に抜ける通路がなかったはずだが、今は広い自由通路が設けられている。
乗換口を抜けて乗換通路を行くと、品川駅構内には、ホームの上に商店街が造られている。むかしからいろいろあったと思うけれど、明るくおしゃれな雰囲気になっているのではないかな。
山手線に乗り換えて浜松町駅で下車する。
浜松町駅のそばに都営地下鉄の大門駅がある。大江戸線は2000年10月の開業で、地上の出入口も、かつての無味乾燥とした実用のみの出入口とちがって、デザインが施されている。
第一京浜国道の裏手の道を北へ500mほど行くと東新橋二丁目の再開発地区に出る。ここは、「ヴィータイタリア」と称するイタリア風の町並みがウリの再開発が進められているところだ。最初は、「チッタイタリア」といっていたらしい。
この地区、最初にいちばん目立ったのが線路沿いにできた「ウインズ汐留」の柱列を並べた様式建築を模した建物だろう。2002年にできた建物で、石造調の色調でまとめられている。新幹線でそばを通りながら、その復古調の外観に、けったいなウケねらいの建物がつくられているなと、見ていたものだ。
この建物のまわりにも、いまも工事が進められたりもしているようだが、2003年秋に「ヴィータイタリア」として街開きしたらしい。建物の色調とか壁面を飾るアーチ形とかイタリアしている。なぜ「イタリア」なのかよく知らないが、ひとつの街区の景観がその雰囲気でまとめられているのはそれなりに評価できると思う。ただ、少し安っぽくも見えるけれど・・。
東海道線・新幹線の線路を抜けると汐留再開発地区である。かつては、だだっ広い貨物駅の跡地だったところだ。いまは、いろいろな格好をした高層ビルが立ち並んでいる。
すごい街並みに変身したな、と思う。「ゆりかもめ」が開業したのは1995年11月だけど、ちょうど10年ほど前に初めて乗りにきて、高架線から見下ろした何もなかったところに、こんな高層ビル街ができようとは。
四角とか、整った格好をしたビルが多い中で、ひときわ目立っているが、「電通本社ビル」である。見る方向によって建物の格好が変化し、ガラス張りだけど、そばの「汐留シティセンター」のガラスガラスした印象とちがって、落ち着いた色調なのがすこし意外だった。
「電通ビル」の設計には、ジャン・ヌーベルが関わっている。汐留再開発ビル群には、「日本テレビタワー」のリチャード・ロジャースとか、「汐留シティセンター」のケビン・ローチとか、外国人設計者の関わったものも多い。
「電通ビル」をぐるっとまわっていくと、首都高速道越しに「中銀カプセルタワービル」が見える。黒川紀章の設計で1972年に建てられた集合住宅だけれど、これには汐留の高層ビルとはちがったインパクトがありますね。
汐留再開発地区の北端、松下電工東京本社ビルのとなりにあるのが、「旧新橋停車場」だ。汐留貨物駅はもともと鉄道発祥の地・新橋駅があったところで、東京駅の開業によって、今の高架線に移ったのだが、駅の遺構は、国の史跡に指定されている。この地区の再開発前の発掘調査ではホームなどが出てきて話題にもなった。
今回、当時の写真をもとに外観を復元し、博物館などに使われている。たまたま訪れた日が休館日だったので、見学ができなかったのは残念。
新橋駅から北に向かうと銀座である。外堀通りを歩く。電通銀座ビルの玄関まわりに彫刻が施されているのを見つけたり、ビルの間から東京宝塚ビルの尖塔が見える景観に感心したり、久々の東京歩きに発見がつきない。
泰明小学校の古びた鉄筋コンクリートの校舎は今もあった。そのそばのガラスの箱を積んだような、ひょろひょろとしたビルとか、四角い箱状のビルばかりが並んでいたのとちがい興味深い、おもしろいなと思える建物が増えた。
数寄屋橋交差点のところにある「ソニービル」、その東隣りある「メゾンエルメス」はガラスブロックを積み上げた外観で、意表をつく、すごい建物だ。夜になれば、おもしろい光景になるのだろうな。
建物にカメラを向ける人がけっこういる。
晴海通りを隅田川方向に進むと銀座のシンボル的存在の「和光」があって、中央通りを北に進む。松屋の外壁を改修したのか、現在進行中なのだろけれど、きれいになっている。
奇妙な形の窓ガラスがはまった真珠屋さんの建物などをみながら、京橋までやってきた。
せっかくなので「INAXギャラリー」に立ち寄る。久々なので、雰囲気ががらりと変わり、ギャラリーは最上階に移っていた。
ギャラリー1では、「肥田せんせいのなにわ学」という肥田晧三元関大教授が収集した昔の大阪に関する資料などの展示、ギャラリー2では、「高橋靖史展」というダンボールを積み上げて人体を表現したのとかおもしろい立体表現作品が並べられていた。
鍛冶橋通りをJR線のほうに「パシフィックセンチュリープレイス丸の内」の前を通って東京駅へ。
東京駅南口は高速バス乗り場になっている。つくばエクスプレスが開業したけれど、東京−つくばセンター間、1250円から運賃を電車と同じ1150円に値下げし、さらに往復割引などもあるけれど、健闘している。減便したとはいえ、いまも20分おき、一日52往復走っている。つくばセンターから少し離れたバス停付近の人たちに支持されているのだろう。
[浅草から品川へ]翌日、つくばエクスプレスの浅草駅で下車してみた。地下ホームから地上に出るのに長くエスカレータに乗らなければならない。
浅草駅といっても、駅は、東武や東京地下鉄、都営の浅草駅が集まる隅田川べりではなく、国際通りの地下あたり。浅草の興行街、かつて6区といわれたところに近く、地上に向かう通路などには役者などを紹介するパネルがたくさん並べられている。
駅名もほかの鉄道とつながっていそうな紛らわしい「浅草」(距離的には500mくらいだろうけれど)とするのではなく「浅草六区」とか「浅草興業街」にでもしたほうがおもしろいのではないかな。
浅草演芸ホールのそばを通って、浅草寺の門前までくると、東京の有名観光地だけあって人が多い。仲見世通りなどものすごい人出だ。吾妻橋交差点南側にある都営浅草線の浅草駅まで歩いて南馬込行電車に乗る。
都営浅草線へは、京浜急行と京成、北総が乗り入れているので、いろんな電車が走っている。やってきたのは、京成とつながっている芝山鉄道の車両だった。
高輪台駅で下車。駅から東のほうに行くとものものしい警備がされている衆議院議員宿舎があって、その北隣りに「味の素」の施設がある。土塀で囲まれたかつてのお屋敷の跡地に建てられた建物のようだ。
そこを東に道なりに進むと高輪プリンスホテルがあって、ここの洋館、もと宮邸は健在。坂をたらたらっと下ると品川駅前に出てくる。
品川駅の自由通路を通って東口へまわる。品川インターシティはここの再開発のなかでも早くからできた高層ビル群だ。その西側にも高層ビルがぼこぼこ立っていて、品川インターシティの長円の外観が見えなくなった。これらのビル群の間にあるのが「品川セントラルガーデン」。
幅40m、長さ約400mの広さがあって、木々が縦横整然と植えられた石敷きの公園である。整然しているけれど、緩やかな起伏があり、区切られた区画にも少し角度がつけてあって、そういったことが微妙な変化をもたらす。
園内に置かれたオブジェのような四角いフォリーが7つある。いろんな格好をしていて、なんか、設計演習の課題を思い出してしまいますね。すこし、散策して、品川駅から新幹線で帰る。(2006.01.16./01.17)
[西淀川]JR東海道線塚本駅で下車。西側に出て駅前商店街を抜けて西に向かう。西に向かっているつもりだったのだが、このあたりの道路は、方向軸が明確でなく、気がつくと南に向かっていた。入り組んだ道路は、田んぼのあぜ道の影響か。
むかしの地図を見ると、いまの柏里と野里の中間あたりは、川筋の跡の低湿地だったようだ。
姫島通りを越えて、花川地区にはいる。道路が入り組んでいる。鼻川神社のあるあたりにむかしからの集落があったようだ。土蔵のある住宅もわずかに見られる。
神社は「鼻川」なのだが、地名のほうは「花川」で、「鼻」では愛想がないので「花」にしたのだろか。淀川の土手が近い。
少し行くと国道2号線に出て、それを渡ると姫里地区。さらに500mも行くと阪神本線の姫島駅がある。阪神本線は1905(明治38)年の開業だから、昨年でちょうど100周年を迎えている。ここの駅名は開業当時は「稗島」だった。1925(大正14)年に、いまの「姫島」に改称されている。愛想のない「稗」を「姫」にしたのだろう。
[中之島界隈]福島駅で下車して、なにわ筋を南にとると玉江橋がある。堂島川と土佐堀川にはさまれた中之島の地下では、いま、中之島新線の工事が進められている。玉江橋南詰近くに工事事務所があって、その一角に中之島新線のことを紹介するスペースが設けてあるので覗いてみる。
中島新線は、京阪電車の天満橋駅で分岐して中之島にはいり、玉江橋駅まで約2.9kmの路線で、途中に新北浜駅、大江橋駅、渡辺橋駅ができるらしい(駅名は仮称)。事業主体は第三セクターの中之島高速鉄道で、運行は京阪電鉄が行う。完成予定は平成20年度の予定だそうだ。
展示は、工事の様子を紹介するパネル、ビデオ、建設機械の模型、この界隈の歴史などを紹介するパネルなど。各工区の工事内容などを紹介するパンフも立派。
歴史を紹介するパネルのひとつに、玉江橋から四天王寺の五重塔が見える、という錦絵があった。上方落語『鷺とり』というネタのなかに、玉江橋から、真ぁ南に天王寺さんの五重の塔が見える、昔は大阪の七不思議のひとつやったんだそうで・・・、てな一節を思い出しますね。
近年、中之島界隈、新しい高層ビルがいくつもできていて、また、工事が進められているのもある。
玉江橋と田箕橋の間、中之島4丁目あたりは、昔は、阪大医学部などがあったところだが、いまは、阪大中之島センターというのが新設されている。いま、駐車場になっているところには近代美術館の計画があるけれど、はたしてできるのだろうか。
大阪市立科学館ができて、もう10年以上たつと思うけれど、国立国際美術館ができたのは最近だ。もともとは、大阪で万博が開かれたときにできた美術館で、その後も千里の万博公園内にあったのが、こちらに移ってきた。
国立国際美術館の設計は、シーザー・ペリで、ステンレスパイプがくねっているエントランスの造形は、現代美術館らしさを演出している。地上にあるのはパイプの造形とエントランスロビーだけで、美術館は地下にある。
地下1階がインフォメーションカウンターなどがあって、地下2階は常設、地下3階が企画展という構成、ここで開かれていた「プーシキン美術館展」を見る。
会場にはいると、最初にドガの踊り子とか、ルノワールが並んでいて、日本でもよく知られた画家だけに、展覧会導入部の<つかみ>を感じさせる配列ではある。
内容としては、フランス近代絵画展という内容で、印象派からピカソまで、なかなかの名品揃いの展覧会であった。ついでに常設展も一巡。
堂島川の北側にあった阪大病院跡地には、中之島合同庁舎という高層ビルができている。中之島3丁目には、ごてごてした装飾をもつスクラッチタイル張りのダイビルは健在だけど、その南側には高層の新関電ビルができている。中之島三井ビルも大きなビルだ。
常安橋北詰西側には、昔は住友病院があったのだけれど、土佐堀橋北詰、大阪国際会議場の南側に移転している。跡地には新たに高層ビルが建てられるのだろう。この界隈は中之島新線の開業にあわせて大きく変わることだろう。 (2006.01.29)