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◆ 和泉/神戸 ◆


[和泉中央へ]大阪地下鉄御堂筋線は混雑しているに違いないので、四つ橋線西梅田駅から出発。なんば駅の次、大国町駅での、四つ橋線から御堂筋線への乗り換えは同じホームでできるので楽。混雑も難波までだから、ラッシュをさけられる。

大国町駅で御堂筋線に乗り換えて、終点の、なかもず駅で下車。そのまま南海中百舌鳥駅から泉北高速鉄道に乗ってもよかったのだが、せっかくなのでひと駅歩くことにした。

府道28号線を西のほうに向かうと、西高野街道という石柱が建っている。国道310号線として整備される前の街道筋らしいけれど、新しい家々が建て込んでおり、旧街道といっても、そんな情緒、何もない。

駅から1kmほど行くと、「ニサンザイ古墳」というのがある。堺市内には、有名な仁徳天皇陵をはじめ、堀に囲まれた前方後円墳がたくさんあるけれど、これもそのひとつ。池のなかに木々に覆われた墳墓がある。仁徳、履中陵についで、このあたりでは3番目の規模を誇るらしい。5世紀に築かれた古墳で、ここらを支配していた王族の墳墓ということだ。

地図を見ると、前方後円墳の向きが、西南方向を向いているのと、この古墳のように西を向いているのとがある。埋葬されている人物によるのか、築かれた時代によるのか、よく知らないけれど、いろいろ違いがあっておもしろい。

府道197号線のバス道に沿って歩く。土師町という由緒ありそうな町だ。まっすぐに道路が延びてないところをみると、たぶん、かつての農道が府道になったのだろう。住宅が立ち並んでいるのだが、ところどころ、生産緑地として畑が残されている。

1時間ほど歩いて深井駅にたどりついた。駅前のスーパー「サカエ」は「グルメシティ」に改称されたようだ。マークも新しい「ダイエー」のマークになっている。

泉北高速鉄道に乗って和泉中央駅に向かう。丘陵地帯を走っているからけっこう見晴らしがよくて、泉南の工場地帯の煙突越しに、はるか六甲の山並みが見える。

和泉中央駅の南側には「エコールいずみ」という大きなショッピングセンターがあり、また、近くにガラスを大胆に使った和泉シティプラザという、図書館、文化ホール、市役所出張所などがはいったの施設がある。3年ほど前にできた建物らしい。

駅から南へ1kmほどのところに桃山学院大学がある。むかしは、南海高野線北野田駅だったか、狭山駅だったか、のあたりにあったと思うのだか、泉北高速鉄道が、和泉中央まで伸びてきて大学が移転してきたようだ。

構内には大きな建物がいろいろ建っている。大学の建物群を見ていると、巨大な装置を要する鉄や化成品のような重厚長大産業と同じような感じに思えてくる。学生という原料をもってきて、そこに少々、知識という付加価値を付けて世に送り出す、ってところが。ただ、製品の質という面に関しては、どうなんだろうね。

住宅街を抜けて、坂を下ったところにあるのが「和泉市立久保惣記念美術館」である。以前、泉北高速鉄道が和泉中央駅まで延長されたとき、乗りにきたついでに一度、訪れているのだが、たまたま展示替えの休館日にあたり、見学できなかった。初めて見学する。

この美術館は、地元で綿織物業を営んできた久保惣(株)が収集してきた美術品や土地、建物を市に寄贈して1982年10月に開館、さらに1997年11月には新館がオープンした。

本館と新館は少し離れた位置にあって、美術館の出入口は新館にある。屋外の連絡路を歩いて、行き来しなければならず、しかも、本館にはいるのが、本来の玄関ではなく、裏口のようなところから入るわけで、そういった美術館の構成が、少し異例な感じだ。最初からひとつ大きな敷地を美術館として設計されたわけでないので、手入れされた庭を見ながらのアプローチといえども、美術館として全体的に少し残念な気がする。

展示品として、新館には、モネ、ルノワールらの西洋絵画などが少々、中国の青銅器のコレクション、本館は、主に企画展示にあてられ、今回は「源氏絵の華やぎ」として、室町時代に活躍した土佐光吉の「源氏物語手鑑」が展示されていた。これは、『源氏物語』の主要な場面を示した絵画と文章からなる「源氏絵」といわれるもので、土佐光吉の描いた細密な絵画に関心する。

バスの時間の都合で、美術館前から2.5kmほど先の下箕形バス停まで歩き、そこからバスで和泉府中車庫前バス停までバスに乗った。ここがJR和泉府中駅最寄りで、この路線バスは駅前まではいらないようだ。線路沿いに「サティ」を中心としたショッピングがある。
JR和泉府中駅から関空快速に乗って大阪に向かった。(2006.03.24)




[香雪美術館]阪急御影駅を下車して、南東方向に歩いて数分のところにある香雪美術館に立ち寄る。かつて、御影駅界隈には古い洋風住宅が見られたものだが、もうなくなってしまった。

香雪美術館は、大阪朝日新聞社主だった村山龍平(香雪)が蒐集した美術品などを展示する美術館である。そんなに大きな施設ではない。絵画、書跡、刀剣など貴重なのもけっこうあるらしい。

敷地内には、明治時代に建てられた村山邸の洋館、和館も残っているのだが、そちらは塀越しにながめるだけ。

訪れたときは「小野竹喬−こころの風景」という特別展が行われていた。竹喬は、竹内栖鳳に入門、京都画壇で活躍した日本画家、岡山県笠岡市生まれで、笠岡には竹喬美術館があるようだ。

[乾邸]美術館への道中に、「旧乾邸内覧会」の案内が出ていたので、山手のほうに行ってみる。御影山手は、けっこうなお屋敷街で、洋館目当てに何度か坂道を上り下りしたことがある。

乾邸は乾汽船社長の邸宅で、1936(昭11)年に建てられたRC造2階建の建物、設計は渡辺節が行っている。かつては、洋館と並んで和館があったそうだが、この前の地震で倒壊してしまったらしい。

現在、この建物は税金として物納され、国の所有、「アメニティ2000協会」という特定非営利活動法人が管理、保存運動とあわせて内覧会などを行っている。

建物は、文化財的価値が高いことから、簡単に壊されることなく今に至っているが、この先どうなるか、わからないらしい。

[倚松庵]御影山手から坂道を下ってJR住吉駅へ。昼食を取ったのち、先日、立ち寄れなかった倚松庵にいってみることにした。

住吉川沿いにある倚松庵は、谷崎潤一郎が1936年11月から7年ほど住んだ旧宅で、もともと現在地より少し南にあったのを、住吉川沿いの六甲ライナー、道路整備のおりに移築、復元したものだ。週末に公開されている。

木造2階建ての建物で、応接間と食堂は洋風である。谷崎の『細雪』には、この家の様子などが生かされているのだそうだ。
住吉川から灘高の前を通って、摂津本山駅まで歩く。(2006.03.24)


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