◆ 京都/東大阪 ◆
[京都]京都河原町の高島屋グランドホールで開かれていた「春の院展」というのを見た。岡倉天心らによって創設された日本美術院の展覧会である。終戦直後の第1回から数えて、今回のが第61回ということだ。近代日本画が143点も並べられている。
日本画というと、油絵とは違った絵の具が用いられ、洋画のようなこってり絵の具が盛り上がったような作品とは違うのかと思っていたら、いまの、近代日本画というのは、絵の具かこってり盛り上がっているのがほとんど。まあ、むかしながら、というか、輪郭線をはっきりさせた日本画風のもあるけれど。
展覧会をあとに、四条通りを西へ歩く。四条烏丸南西角にあった旧三菱銀行京都支店の建物がすっかりなくなっている。その隣にあった旧富士銀行京都支店もとっくの昔に建て替えられ、このあたりの近代建築も少なくなった。三菱の向かいの旧三井銀行京都支店がほんの少し保存されてはいるけれど。
このまま広い通りを歩いてもおもしろくないので、1本南側の綾小路通りを歩く。「杉本家住宅」という1870(明治3)年に建てられた町屋がある。現存する町屋のなかでは最大規模の建物だそうで、もとは「奈良屋」という屋号の呉服店だったらしい。保存会にはいると見学できるそうだ。
堀川通りを越えて四条大宮まで歩く。きょうは、京福電車の乗り歩きをしようと思う。
京福電鉄は、京都と福井を拠点に鉄道路線を営業していたが、福井の路線は、事故をきっかけに手をひき、また、京都市内出町柳から鞍馬、八瀬の路線も叡山電鉄に分社してしまい、いまは、大宮から嵐山に伸びる嵐山本線と途中で分岐する北野線だけになってしまった。
大宮から嵐山に伸びる路線は、嵐山電気軌道として1910(明43)年に開業している。いまは「嵐電」という愛称を表にして、沿線の観光にちからを入れている。
大宮駅で「嵐電1日フリーきっぷ」を購入。以前は650円だったが、この春から500円に値下げされたようだ。運賃は均一料金制で1乗車200円、だから3回乗れば元が取れるわけだ。「フリーきっぷ」には、社寺拝観の割引などの特典も付いている。
電車は10分おき、嵐山や映画村に向かう観光客など座席がさらりとうまるくらいの混みかた。四条通り南側の独立軌道を走り、JR山陰線の下を抜けて3分ほどで西院駅、ここに車庫がある。
三条通りまで北上、そこからしばらく三条通りを走る。島津製作所がある。鳥居を正三角形に組み合わせた三柱鳥居が珍しい木島神社(蚕ノ社)最寄りの蚕ノ社駅からふたたび独立軌道を走り、映画村最寄りの太秦駅を経て、北野線分岐の帷子ノ辻駅で下車。
ここで北野線の電車に乗り換えて、等持院駅まで行く。帰りに沿線を歩きながら乗り降りを繰り返そうと思う。
等持院駅から北へ500mほど行くと等持院がある。足利将軍家代々の菩提所である。マキノ省三の銅像が建っている。
その北側には立命館大学のキャンパスが広がっている。大学の北側にある府立堂本印象美術館に立ち寄る。
賑やかな壁面である。建物が芸術している。この建物は、自作を展示する美術館として堂本印象自らデザインし、1966年に建てられた。いまは、京都府に寄付され府立美術館になっている。ピロティ、展示室外側をめぐる斜路、よく考えられていると思う。手すりの金属細工など楽しい。
堂本印象は、もともとは日本画のひとだけど、抽象画なども描いていて、画業だけでなく、この建物のデザインでもわかるようにいろいろな芸術表現をやったひとのようである。
美術館をあとに、大学構内を抜けて、竜安寺道駅に行こうと思って歩いていらたもとの等持院駅に行ってしまった。隣の竜安寺道駅とは、わずか200mほどしか離れてないので、駅間を歩く。電車を逃しても、10分おきに来るから気にならない。
妙心寺駅を越えて次は御室駅で下車する。北へ200mほどのところには仁和寺がある。ホームに上屋がかかるだけの駅、というより電停といったほうがいいのかもしれないけれど、が多い嵐電の駅のなかにあって、御室駅舎はその門前を意識した意匠である。
あたりは閑静な住宅街、吉田兼好『徒然草』ゆかりの双ヶ丘が南側にある。
線路に沿うように妙心寺駅まで歩く。妙心寺駅は妙心寺北門に近い。
妙心寺駅から電車に乗って、次は鳴滝駅で下車。高雄口と鳴滝の間の沿線は桜の木が植えられており、桜のトンネルとわれている。桜の咲く頃には美しい眺めが楽しめそうだ。
住宅が建ち並ぶ界隈を高雄口駅まで歩き、電車に乗り、こんどは、常盤駅で下車。義経の母・常盤御前にちなむ土地らしい。以前、北野白梅町駅には下車しているので、北野線全駅乗り降り、足をしるしたことになる。
丸太町通りを少し西に向かい、住宅街を南に進むと、JR太秦駅前に出た。1989年3月11日のダイヤ改正に併せて開業した駅だ。ゴルフの打ちっ放し場が駅前にあるという風景も珍しいのじゃないだろうか。JR太秦駅の南200mほどのところに帷子ノ辻駅がある。近いわりに、道は入り組み、わかりにくい。適当に歩いているうちに駅前に出た。
帷子ノ辻駅から嵐山行電車に乗って、鹿王院駅で下車。近くに足利義満が創建した鹿王院がある。南側をまわって嵯峨駅前まで歩く。
嵯峨駅前駅から電車に乗って車折駅で下車する。南側に車折神社がある。線路に沿って有栖川駅まで歩く。途中に有栖川が流れている。
有栖川駅から大宮行に乗り、山ノ内電停で下車。このあたりは幅広い三条通りの真ん中を電車が走り、そこに一段高くなった安全地帯が電停である。
島津製作所三条工場の前を通って、三条口駅からまた電車に乗る。嵐山方面行きは西大路通りの西側の三条通り上に、大宮方面行きは通り東側にあって、ここから独立軌道を走る。
車庫を左に見て、四条通りを越えた西院駅で下車。四条通りを西へ100mほど行くと阪急京都線の西院駅がある。(2006.06.11)
以前、乗り降りした駅と併せて、嵐電全駅立ち寄ったかと思っていたら、調べてみると、太秦駅には、乗り降りしたことがなかった。また出かけることにしよう。
[鴻池新田]JR片町線の快速電車は鴻池新田駅に停車しないので、放出駅で各停電車に乗り換えた。放出駅の南側には高層住宅が並んでいる。駅東側では片町線に合流する城東貨物線の改良工事が行われている。貨物線を旅客線化する工事に伴うものなのだろう。
鴻池新田駅で下車。駅から100mほど東にあるのが、史跡鴻池新田会所跡である。また、敷地内に残された建物の多くは重要文化財に指定されてもいる。東大阪市が管理している。
大昔は、大阪上町台地の東側まで海がはいりこんでいたらしい。大和川、いまは柏原市から堺市のほうに流れているが、これは江戸時代、宝永元(1704)年に付け替えられたからで、それまでは、北に流れ、新開池とか深野池とかある低湿地で、たびたび洪水を起こしていたらしい。
大和川の付け替えによって旧河床や新開池とか深野池の低湿地の新田開発がなされたわけで、そのなかでも、最も広いのが鴻池新田だったようだ。この新田開発は、3代目鴻池善右衛門宗利が行った。鴻池新田会所というのは、新田を管理・運営する施設だったのだ。
高架のJR線電車からも見える。高架下の商店街が並ぶ通りを行くとすぐなのだが、こちら側にあるのは出口で、入口は南側、敷地のまわりをぐるっと歩くことになった。
表長屋門をはいると大きな主屋がある。宝永4(1707)年に建てられ、増改築が繰り返されてきたようだ。解体修理が行われ、いまの様子は、嘉永6(1853)年頃の状況に復元されているらしい。広い土間にさし渡された丸太梁の太いこと。柱も梁も大きくて大きな建物を支えている力強さを感じる。
主屋の西側には米蔵、道具蔵、文書蔵などが並んでいる。米蔵には、鴻池新田の歴史などをパネルで紹介、道具蔵には、むかしの農具などが並べられている。また、主屋の東側には庭園がある。
鴻池新田会所をあとに、鴻池新田駅前の通りを北に向かう。寝屋川を渡ると大東市にはいる。数百m行くと府道8号線に出る。この道、緩やかなカーブがあるところなど、軌道計画の名残が感じられる道路だ。これを西に向う。
工場とかクルマ屋とかあるだけで、この通り、あまりおもしろくない。近畿自動車道の下をくぐると大阪市鶴見区にはいる。古川を渡って北のほうに向かう。
花博通りに出て、地下鉄鶴見緑地駅から地下鉄に乗る。心斎橋で御堂筋線に乗り換えて梅田に出る。(2006.07.08)
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