江戸時代の大阪の町並みを再現したフロアや戦後混乱期の住宅などを紹介するフロアがあって、また、建築関係の書籍を集めた図書室などもある。ここの企画展示室で催されていた「文化遺産としてのモダニズム建築 DOCOMOMO100選in 大阪展」を見学する。
DOCOMOMOというのは、モダニズム建築を次の世代に伝えていこうという国際組織であるけれど、その日本組織が、日本を代表するモダニズム建築として、最初20の物件を選定した。しかし、それでは少なすぎる、貴重な物件はもっと多い、というわけでさらに追加され、100選となったらしい。
2001年9月、芦屋市立美術博物館で「文化遺産としてのモダニズム建築展」というのが行われてるけれど、確かこのときは、20選にもれた関西物件を中心に紹介されていたのではなかったかと思う。だから、今回の展覧会でも、そのときに並べられた模型なども展示されていた。(2006.10.09)
先月、大阪市立住まいのミュージアムで行われた「文化遺産としてのモダニズム建築 DOCOMOMO100選in 大阪展」で、村野藤吾の<シトー会西宮の聖母修道院>が紹介されていたので行ってみようと思う。
さらに登っていくと、北山貯水池の堰堤にでる。尼崎から大阪湾岸の眺望が開けている。まわりの山々は色づき、なかなかの景色、もう少し天気がよければもっと映える眺めだったろう。貯水池には渡り鳥などがくるようだ。
シトー会西宮の聖母修道院は、木立に囲まれた鷲林寺への参道の途中にあった。建物は門番小屋から奥まった木立のなかにあるのだろう、参道からはうかがえなかった。塀越しながめると、ここにもモミジがあるようで、美しく色づいていた。ここでは、クッキーなどを販売していて、クッキーを焼く、香ばしい、いい匂いがただよっていた。
さらに登っていくと鷲林寺がある。きれいに色づいたのや、まだ緑色の葉をとどめたのやいろいろあるけれど、モミジ見物に訪れている人もちらほら。
鷲林寺のバス停に戻る。ちょっと時間があいていたので、バスを迎えにひとつ手前の西宮甲山高校前バス停まで行く。均一料金制だから運賃は同じ。
乗った阪神バスでのこと。
年輩ハイカー風の男性、降車ボタンを押さず、鷲林寺バス停で突然停めろ、と運転手にいい、急停車。運転手は、降車ボタンを押して下さい、というと、その男性、車内放送しなかった、とかなんとか文句をいう。
運転手が、ちゃんとしました、男は、なかった、と言い争いに。すると後ろのほうに座っていた乗客から、ちゃんとありましたよ、との声。その男、聞きもらしたのである。この男、みずからのミスを認めることなく、小銭を料金箱に投げ捨てるように投入、最後まで文句をいいながらバスを降りていった。
確かにバス車内の案内放送、バス停名だけでなく、行き先とか、座席に座れ、吊革持てなど、いろいろな注意事項を、バス停名の間にはさむので、肝心のバス停名を聞き逃すことになったのかもしれない。バス会社としては、聞き取りやすい案内放送を工夫する必要はあるかもしれないが、みずからのミスを棚にあげて、文句だけいう、こんな年寄りには、なりたくないものだ。
[アメニティ江坂]20分ほどで阪神西宮駅前に運ばれる。国道2号線を1kmほど歩いてJR西ノ宮駅へ向かう。駅前交差点前にあるいつもの豚丼屋で昼食。ここは、松屋と吉野屋が通りを隔てて向かい合っている。
JR西ノ宮(2007年3月から西宮に改称)駅から快速電車に乗り大阪で普通電車に乗り換えて東淀川駅で下車する。
新大阪駅から東淀川駅の西側地区の街路は縦横十文字、比較的きれいに区画整理されている。しかし、北側の十八条地区あたりになると、むかしの農地の影響が残っているせいか、そうはなってない。
神崎川を榎木橋で渡って吹田市にはいる。そこを少し行くと「アメニティ江坂」がある。もともと紡績工場の跡地で、いまは緑地公園になっている。その工場にあった煉瓦造の建物を使ったレストランやゴルフ、テニスなどのスポーツ施設がある。
このなかに、「スキュルチュール江坂」という彫刻作品だけを集めた美術館がある。規模はそれほど大きくない。
建物の外観は、紡績工場の煉瓦を意識した煉瓦色調タイルが煉瓦のように張られている。壁のありようが特徴のようだ。開口と柱列に関係があったりもし、なかなかおもしろい。
隣接する<リーニュ・ブランシュの庭>のランドスケープを含めた景観が2001年度の大阪都市景観建築賞奨励賞を受賞したそうだ。
展示されてる作品は、ロダン、ブールデルからムーア、ジャコメッティら、近代から現代の代表的な彫刻家の作品が並べられ、ほかにデッサン、アフリカ彫刻が展示されている。
訪れた日は、「関西文化の日」ということで、入館無料公開日だった。あまり知られてないのか、無料公開日でも訪れる人はまばら。
アメニティ江坂から西へ1kmほど向かうと阪急庄内駅にたどりつく。雨が降りそうな空模様になってきたので、ここから阪急電車に乗って梅田に出る。(2006.11.18)
[今里筋線開業]今年(2006)年12月24日、大阪市営地下鉄今里筋線が開業、日曜日でもあり、初日に出かけることにした。
初日の営業運転は、正午から、ということで、梅田の書店で雑誌の立ち読みなどし、時間を調整してから乗りに行くことにした。
まず、東梅田駅から谷町線で谷町九丁目に向かい、そこで千日前線に乗り換えて、今里へ。
千日前線の今里駅ホームから今里筋線ホームへ。乗り換えには、けっこう距離があるように思る地下通路を行く。
最初に造った千日前線のホームは、近鉄の今里駅に近づけようと考えせいか、今里筋より東にずれているせいだろう。
午後2時過ぎ、開業した正午頃なら混雑していただろうが、利用者は多いとはいえ、それほどの混雑ではなかった。乗り換え通路では、記念切符などの販売に人だかり。
今里筋線のラインカラーはだいだい色、長堀鶴見緑地線でも活躍しているリニアモータ方式の、少しこぶり電車が走る。
電車は、今里筋を北に走る。次の緑橋駅は中央線、第二寝屋川の下を抜けて、次の鴫野駅ではJR片町線、寝屋川の下を抜けて、次の蒲生四丁目駅では長堀鶴見緑地線に連絡している。
京阪関目駅近くには、関目成育駅がある。谷町線の駅名でもそうだが、このあたり、道路の両側にある地名を並べた駅名が多い。
関目成育駅を出てから国道163号線の下を東に向かい新森古市駅、そして内環状線の下を北に向かうと清水駅、ここは道の両側の地名が清水なので、このあたりの地下鉄名としてはあっさりしている。
守口市をかすめて、谷町線と接続する太子橋今市駅、淀川の下を抜けて東淀川区にはいり、だいどう豊里駅、ひらがなと漢字の組み合わせ。「大桐」と「大道」という地名があるから<だいどう>と、ひらがなにしたのかな。
内環状線をそれて北に向かう。東海道新幹線の高架近くに瑞光四丁目駅がある。瑞光だけでもよさそうな位置だけど、駅名決めるのにいろいろあるのだろう。
神崎川の下を抜けて、終点井高野駅、今里から約24分、地名でいえば、北江口にあるのだが、井高野には市バスの車庫があったりもし、むかしからの名高い地名をとったのだろう。
井高野車庫からは、大阪駅前行のバスがある。それに乗ってもよいのだが、ここから西に向かって1kmあまり歩くと阪急京都線の相川駅なので、そちらに向かう。相川駅を利用するのは初めて。
相川駅の東側の街路は、放射状の道路と駅から同心円状の道路からなっている。鉄道が開通した頃に、良好な宅地として開発された名残なのかもしれない。いまは、集合住宅や戸建て住宅がひしめき、そんな雰囲気、まるでない。駅の近くには、大阪成蹊大学などの学校が、まとまってある。
せっかくなので、阪急路線の未利用駅である下新庄駅にも足をしるそう。淡路駅で千里線に乗り換え、次の下新庄駅で下車。東海道新幹線の高架が近い。
阪急の線路と新幹線高架の交差するところから西のほうに向かって道路がきているが、そこでぷつっと途切れている。将来的には東のほうへ伸ばしていきたいのだろう。東淀川区内は道路整備が中途半端な、ごちゃごちゃした道路が入り組んだままなところが多くみられ、道路予定地の空き地があちこちにあったりもする。まあ、これでも、少しは進んでいるのかもしれない。
東海道線につきあたり、東淀川駅に行こうと思うが、西淡路地区側には線路沿いの道がなく、密集した住宅街の狭い道を遠回りして行くことになってしまった。線路を越えたほうには線路沿いに道路があって、そっちを歩いたほうがよかったかもしれない。(2006.12.24)