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「青春18きっぷの旅」(その2)
− 鯖街道熊川宿と三方縄文博物館 −



[近江今津]新快速近江今津行に乗り、終点の近江今津駅で下車する。きょうは、まず、ここからJRバスに乗って、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている熊川に行ってみようと思う。乗ってきた新快速は、バスに接続しておらず、30分ほどの待ち合わせ。この先、食事できるかどうか、わからないので、食料の調達にでる。

今津駅の高架ホームから、平和堂のトレードマークの広告塔が見えたので、すこし距離がありそうだったが、駅から北のほうに向かって歩く。
10分ほど行くと、古びたRC造のような建物があった。あっさりした装飾で、いたってシンプルな外観であったが、銀行らしい感じ。

建物の前に案内板が出ていて、ヴォーリズが設計した第百三十三銀行今津支店だった建物、現在、今津ヴォーリズ資料館として公開されているようだ。また、この資料館のある通りに沿って、日本キリスト教今津教会、旧今津郵便局といったヴォーリズ設計の建物があるらしい。

見学したかったのだが、時間がなく残念する。平和堂にまで達する時間もなくなり、駅に戻る。食料は、その途中にあったコンビニで間に合わせる。

今津駅前10:40発小浜行きに乗車。最初、だれも待ってなかったのに、これに接続する新快速から乗り継ぎ客がやってきて、座席は、あらかたうまる。
このバスの運転手、熊川宿に行く人のため、車内で案内パンフを配ってくれた。すこしでも、観光客にバスに乗ってもらおうとの考えか、いいことである。

バスは、今津の市街地を抜け、国道303号線を行く。すこし行くと「ザゼン草前」というバス停がある。ザゼン草の群生地があり、いまが見頃らしい。数人下車した。
しだいにバスは山間に分け入る。日陰には雪が少し残っている。保坂で国道367号線が合流。朽木、大原を経て京都八瀬に通じており、小浜の海産物などを京に運ぶ主要ルートで、鯖街道、といわれている。

滋賀県から福井県にはいり、今津から30分ほど、バスでもらった案内パンフを参考に、街並みの上手にある橘町バス停で下車する。

[熊川]バスが走っているのは、街並みを避けるバイパスである。今津方向にすこし戻ると道の駅「若狭熊川宿」があり、クルマで訪れた人のための土産物屋、食堂などがそろっている。街並みを紹介する写真パネルなどを並べた簡単な資料館もあった。

そこから、旧街道に沿って、小浜方向に街並みが続いている。すこし行くと、「熊川番所」という施設がある。役人の人形が座っている。

この町並みの最初の印象は、重伝建地区に指定されている割に、あっさりした雰囲気だなあ、ということだ。もっと、こってりした街並みかと思っていたが、それほどでなかった。まあ、この程度でも、残っているだけましなほう、いまのうちに指定して保存しておこう、という考えがあったのか。

それとも、観光資源として活かそう、という考えから、指定してもらったのかもしれないね。確かに、このよう街並みですら、全国的に、もうすくないわけだから、そうやって残そうとする努力に敬意を表したいとは思う。

ここで「こってり」と「あっさり」という印象をすこし説明すると、むかし、この制度が発足した頃、木曽の妻籠を初めて訪れたとき、映画のセットのような、というか、つくりモンみたいな印象をもった(その頃からずいぶん経つから、いま、訪れれば、もっとちがった印象をもつだろうけれど)。

こういうのが「こってり」だとすると、ふつうの町並みのまま、適度に改変されながら、いまに残ったような町並みが「あっさり」、という感じ。「あっさり」が劣っている、というわけでない。むしろ、「こってり」のほうに、違和感を感じることすらある。現在、全国で80ヶ所近く重伝建保存地区に指定されているらしいけれど、最近は、「あっさり」が多いりかもしれない。

通りに沿って用水路が家の前を勢いよく流れている。これがこの宿場町の特徴なのだろう。それぞれの町屋から用水への石段がついている。芋洗いの小さな水車がまわっていたりもする。
町並みのなかほどまでくると、白壁、虫籠窓、格子戸など、古い町並みらしい雰囲気がでてきた。ここの町並みは、「平入り」と「妻入り」の建物が混在していたり、「真壁造」と「塗込造」の建物の混在しているが特徴らしい。
冷たい風が吹くなか、町並みをスケッチしている団体さんがいる。

ただ、古い町並みといっても、「つし二階」という、すこし二階部分が低い建物だけでなく、本二階建ての建物もけっこうあって、それがあまり古い町並みでない印象をあたえる。
また、通りに面した1階部分、格子戸のある町屋もあるけれど、そんな家ばかりでない。だから、伝建地区に指定されている割に、古い建物が少ない、という感想になってくる。それでも、この町並みの中にあった比較的新しくに建て替えられてた住宅より、はるかにましであるけれど。

町並みのなかにある建て替えられた住宅を見ると、ここが重伝建地区に指定されたのは1996年であるが、町並み保存に反対する人が、指定直前に建て替えてしまったような感じをうける。せっかくの町並みとして、統一感を壊す存在でしかない。

町並みのなかほどに、若狭鯖街道熊川宿資料館がある。この建物は、1940(昭15)年に建てられた木造2階建ての旧熊川村役場を利用したもので、熊川宿と鯖街道に関する資料などが展示されている。

JRバスは、1時間おきなので、小1時間町並みを散策して、下新町バス停から、ふたたび小浜行バスに乗った。

バスは10分ほどで上中駅前に着いた。駅舎は新しく建て替わり、駅前整備工事が行われていた。
駅前には食堂のようなものはなかった。少し離れたところにあったようだが、電車の待ち時間40分ほどで探しながら往復する気にはなれず、今津で買ってきたパンを食し、おとなしく敦賀行電車を待つ。 

[三方]上中から電車に乗る。小浜線が電化されてから乗るのは初めて。2両編成のワンマン運転である。

ワンマン運転では、運転手寄りの前側扉が下車で、後方扉が乗車、というルールがあるが、この路線、あまり守られていない様子。利用者が少ないから前側から乗車するのは、まだ許せるけれど、後方からでも平気で下車していく。ほんとに、切符もっているか、確認すべきではないのかな。駅窓口で切符などを販売していても、収札は電車の乗務員の担当らしい。

20分ほど乗って三方駅で下車。若狭三方縄文博物館を訪ねる。所在地を頼りに、三方湖のほうに向かって歩く。しばらく行くと、縄文人をイメージしたらしい大きなハリボテの人形が立っていた。そこが博物館かと思ったら、鳥浜貝塚公園だった。縄文人の集落などがあったらしいところだ。

そこから少し三方湖のほうに歩くとめざす博物館があった。三方五湖の眺望で有名なレインボーラインのほうに向かう国道162号線の途中にあって、縄文パークという公園のなかにある。駅から歩いて20分ほどかかっている。

この博物館の外観は、芝生の生えた土饅頭に、土管のような格好のコンクリート筒がにょきにょきと何本もとび出ている、という感じで、すこぶる変わった建物である。土饅頭の印象は、古墳のようにも見えるけれど、むしろ、屋根に土をかけた縄文住居といったところか。

設計は横内敏人先生、2001年度の日本建築学会北陸文化賞を受賞した建物である。
建物の入口は、2階にあって中央部は、縄文ホールという1階が見下ろせる吹き抜け、そこにはコンクリート打ち放しで型枠の木目が残っている円柱が不規則に並んでいて、縄文の巨木が並ぶ森のなかのイメージ、埋没林の大株が、どでん、と置かれているので、そんな雰囲気がありあり。

以前、美術館などの展示施設を課題にしたシャレットのとき、横内先生から、この建物のことを解説していただいたことがある。
そのときの説明によると、縄文ホールの巨木が並んだような格好は、『風の谷のナウシカ』、確か<フカイ>だったか、その地下空間だったか、そんなところから着想した、というような話をされていた。

階段を下りて、縄文ホールを突っ切って常設展示室に進むのだけれど、その手前、右手に特別展示室−縄文土器の復元、土器づくり体験などの紹介、左手に講座室−訪れたときは、三方五湖で撮られた渡り鳥の写真展が行われていて、そちらに眼が奪われて、常設展示室に行くまでの緊張感が少し失われた感じになってしまった。

やはり、縄文ホールを突っ切って、そのまま常設展示室に行くような、そのあとで、特別展示室とかを見るような室配置にしてあったほうがよかったのではなかろうか。講座室は1階でなくてもいいし、ここで、縄文と無関係な写真展するのもどうかと思う。まあ、そうはいうものの、縄文ホールの光景は必見、といえる建物であろう。

常設展示室では、縄文遺跡からの丸木船など出土品、それらをもとに縄文の暮らしを再現したり、鳥浜貝塚からのはぎ取り断面など。
博物館からまた歩いて三方駅に戻る。

[帰路]敦賀行に乗車。電車が1両だけのせいか、けっこう乗っている。30分ほどで敦賀。大きな町である。

敦賀から、大阪方への新快速電車を待ってもよいのだが、50分くらいの待ち時間があったので、その前の特急に乗ることにした。「青春18きっぷ」では特急に乗れないので、いったん改札を抜けて、乗車券と自由席特急券を購入。「雷鳥」にしてもよかったのだが、あとの「しらさぎ」で米原に行くことにする。

ホームに上がると、まだ「雷鳥」がきておらず、10分ほど遅れてやってきた。そのあとの「しらさぎ」も7分ほど遅れてやってきた。
「しらさぎ」から米原駅での新快速の接続時間は2分ほどしかなく、「しらさぎ」からの乗り継ぎ客を待つことはないだろうから、乗り継げないだろうなと思う。「雷鳥」に乗るべきだったかなあ。

米原には定刻に5分ほど遅れて着いた。もちろん、新快速は待つことなく、定刻に出ていて、しかたないので、あとの高槻から快速になる電車に乗り継ぐ。そのあとの新快速のほうが、長岡京付近で追い抜き、大阪には早くなるが、数分ほどしか変わらないから、のんびり各停で帰ることにする。 (2007.3.10)


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