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「青春18きっぷの旅」(その3 & その4)

− 御坊・湯浅 / 平福 −



[南に向かって]3月なかば、1、2月が比較的暖かい日が多かったせいもあって、ここ数日の寒さは、身にこたえる。きょうは、近畿北部のほうは、冬空の鬱陶しい天気らしいので、南に向かうことにする。

大阪から関空快速・紀州路快速併結電車に乗る。関空行が5両で、和歌山行が3両という編成。和歌山行が3両というのは、少し短すぎるように思う。
和歌山で御坊行に乗り継ぐ。4年ほど前、紀三井寺から和歌の浦などを訪れたさい、紀三井寺駅に下車したけれど、紀勢本線、その先に進むのは久しぶりだ。

海南駅は高架になっている。かつて、ここから野上電鉄出ていたが1994年3月末に廃止された。野上電鉄の駅があったあたりは、更地になっているが、海南駅から東の方へ続く廃線跡がわかる。
海南の臨海部には大きな工場が並んでいるが、その先には、遊園地があるのが見える。

海南付近では、すこし海が見える。天気がよく、空気が澄んでいるので、はるか四国のほうまで望める。沿線は、海岸べりまで山がせまり、平地はすくなく、沿線、ミカンミカン、山の斜面にまで広がっている。

箕島を過ぎ、有田川を渡ると藤並、かつては有田鉄道が出ていた。2002年12月末に廃止された。藤並駅ホームに、当時の乗り換え改札の痕跡が残っている。廃線跡は、道路にされるらしく、工事が進められていた。

湯浅で下車しようか、と思ったのだが、せっかくなので、終点の御坊まで行ってみようと思う。紀勢本線沿線のローカル私鉄のなかで、末端区間が一部廃止になったとはいえ、がんばっている紀州鉄道に、久々に乗ってみたくなった。

御坊駅で下車して、そのまま紀州鉄道のホームに行く。この駅は、JRと供用で、改札を出ずに、そのまま乗り換えることができる。
紀州鉄道のホームには、古ぼけたディーゼルカーが1台停まっていて、乗ってきた電車に接続してすぐの発車となった。

乗客は数人、運転手だけのワンマン運行、下車するときに運賃箱に運賃をいれる。車内案内もなく、坦々と走る。10分ほど走って終点の西御坊駅に着いた。案内がないものだから、終点に着いたとすぐには気がつかず、乗っていた人がみな降りて、はじめ気がつき、あわてて下車した。

駅は片面ホームに古い駅舎、といえるほどの建物でないが、があるけれど、終着駅らしさはまったくない。
その先、日高川駅まで0.7kmが、1989年3月末で廃止になった区間だけど、ほとんどレールが残されたままになっているので、それをたどって、昔の終点日高川駅跡まで行ってみる。
日高川駅は、川の土手の手前にあった。今もレールが残り、駅舎はないけど、ホームはそのまま残っていた。

列車で御坊駅まで戻ってもよかったのだが、ぶらぶら市街地を歩いて駅まで戻る。御坊の街並み、商店の並んだ通りがあるのだが、あまり活気はない。
昼時分なので、食堂でもないか、と思っても見あたらない。御坊駅前か、国道沿いでないとないのだろう。

御坊駅まで戻ってくると、ちょうど和歌山行があったので、それに乗ることにし、たまたま、この駅、駅弁を売っていたので、「稲荷すし」というのを買って乗ったのであった。

こんどは湯浅駅で下車する。古い木造の駅舎で、建物に取り付けられた財産票によると、「昭和3年」とあった。紀勢西線として開業した当時のものか。
ここの街並み、昨年(2006年)、伝統的建造物群保存地区に指定された。クルマ1台くらいの道幅しかない道路が縦横に伸び、古い家々などが並んでいる。熊野古道が町中を通っていて、古道散策に訪れている人たちも見られる。

保存地区になっているのは、醤油蔵の並ぶ界隈。古い街並みがよく残っている。また、修景のための工事が進められたりもしている。醤油資料館などがある。
駅に戻り、和歌山行に乗る。この電車、和歌山駅で紀州路快速に3分の待ち合わせで接続していたのだが、たった3両しか繋いでない電車、和歌山から乗った人たちで車内は混雑、座れない。快速の3両は短いと思うのだが。

紀州路快速は、日根野駅で関空からの関空快速を併結する。日根野駅で、いったんホームに出て、関空快速編成に乗り移ると空席を見つけることができた。(2007.03.17)





[西に向かって]姫路行新快速に乗る。今月18日にダイヤ改正が行われ、阪神間の話題としては、さくら夙川駅の開業が挙げられよう。

JR線の北側500mほどのところに阪急夙川駅があり、南側500mほどのところには阪神香枦園駅がある。どちらの駅も夙川の上にかかる形でホームがある。JRも夙川にかかって設けられるとおもしろいのだが、すこし西宮駅よりにある。各停電車しか停まらない。

夙川沿いは桜の名所であるけれど、なぜ、<さくら>をつけたのだろう。今までの経緯からすると、民鉄に対抗するときは、たいてい、「JR難波」、「JR五位堂」のように、<JR>をつけていた。しかし、今回はそうしなかった。これは、たとえば、つくばエクスプレスの駅名に「流山おおたかの森」というのがあるが、地名とは関係ないよいイメージのコトバをくっつけた駅名に倣ったものだろう。
また、この改正にあわせて、西ノ宮駅の「ノ」がとれて、市名と同じ「西宮」駅となった。

姫路で播州赤穂行きに乗り換える。山陽線と赤穂線、むかしは、岡山方面へ乗り継ぎは姫路で行われていたが、いまは、相生で乗り継ぐのがふつうになっている。かつての上郡行きの電車は、相生−上郡間を行き来していて、姫路方面からの電車は赤穂線にはいるようになっている。赤穂のほうが、利用者が多いのでそうなったのだろう。

相生で上郡行きに乗り換えて終点の上郡で下車する。きょうは、曇天、下り坂、もう少しもってくれることを期待したのだが、小雨が降り出した。
上郡で下車するのは、智頭急行が開業して初乗りに来て以来だろう。きょうは、智頭急行線に乗り換えて、平福に行こうと思う。

智頭急行線には、大阪方面や岡山から鳥取方面へ、特急が走っているが、各停は、1両だけで走る。特急の行き違い待ちをすることも多い。
特急が多く走る路線だから、線路状態もよく、軽快に走る。川に沿う平野部のなかほどを、高架、築堤上を突っ走る。

佐用で姫新線と接続、その次の平福で下車する。
無人駅ではあるが、立派な駅舎のような建物がある。町の玄関、として整備されたのだろうが、食堂のようなスペースは閉められたままのようで、人の気配がなく、さびしげ。通勤、通学の特定の列車以外、鉄道が利用されてないからだろう。

駅から伸びる道路を行くと佐用川が流れ、対岸の川に沿って並んでいる古い民家の眺めがいい。この町は因幡街道の宿場町だった。残念ながら、町の通りの景観は、昔のままの建物は少なく、いまひとつの印象。
この町の山の上には城があったそうで、山麓に山門が残されている。

郷土資料館があったので立ち寄る。宿場の町並にあった民家をモデルに建てられた。展示内容は、古墳からの出土品、宿場時代の資料、山城の模型など、有料の施設の割には、あまり展示に工夫しているように見えない。

町並を避けるように設けられている国道沿いに「道の駅」があったので、そこで昼食、黒豆御飯が美味しかった。

雨模様、平福のあと、佐用の町を少し歩いて、姫新線で姫路に出ることを考えていたのだが、雨の中歩きまわる気にもならず平福からそのまま、上郡に戻る。時間的には、姫新線経由より圧倒的に早い。
上郡で山陽線に乗り継ぎ、相生で新快速に乗り換えて帰る。(2007.03.24)



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