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「青春18きっぷの旅」(その5)

− 加悦を訪ねて −



[北に向かって]福知山線福知山行きに乗車、春休み期間中というためか、4両編成の電車、空席がほとんどない。よく乗っている。

篠山口までが複線で、その先は単線、丹波大山を過ぎ、加古川に沿って線路は渓谷を行く。しばらく行くと警備員が立っているのが見える。恐竜の化石が発見されたところなのだろう。

福知山線を下るのは久しぶりである。福知山駅が高架駅になったののも知らなかった。福知山駅で舞鶴線にはいる電車に乗り換える。2両編成ワンマン運転である。福知山を出たときはすいていたが、綾部で、京都方面からの乗り換え客がどっと乗り込んできた。

舞鶴線が電化されてから乗るのは初めてである。西舞鶴で下車して、北近畿タンゴ鉄道に乗り換える。宮津線が第3セクターの北近畿タンゴ鉄道に転換されてから乗るのは初めて。

この列車、観光列車ということで、観光案内が流される。由良川が見えてくると、川の名前から百人一首にある和歌の紹介、そして森鴎外の『山椒太夫』まで、あれこれ紹介がはいる。由良川を渡るときは、鉄橋上を徐行して、そろそろ渡る。鉄橋はガータだから、車窓から下を見ると、そのまま川面が見えるので、すこしおっかない。

しばらく海岸沿いを走ると、沖合に冠島などが見えてくるのだが、その紹介とともに、駅でもないところで列車はストップ、海岸風景を楽しんで下さい、という趣向なのだろうが、駅でないところに停車すると、事故か故障のようで、どうも落ち着かない。数分停車して、動き出した。あまり上天気でない日だったが、島は見えた。

でも、日によっては視界のきかないときもあるはずだが、そんな日にも、こんなことやっているのだろうか。鉄道なのだから、へんなところに停車せず、さっと次の駅まで走ってほしい気がする。
宮福線接続駅の宮津、次が日本三景のひとつ天橋立、もちろん観光案内がはいる。

きょうは、野田川駅で下車する。国鉄宮津線だったころは、丹後山田といっていた。かつてはここから加悦鉄道が加悦まで伸びていたが、1985年4月末で廃止された。加悦鉄道がまだ走っていたころに、乗りに来たことがある。

この列車に、加悦行きのバスが接続していることを確認してきたのだが、駅舎の前にバス停のポールが立っているものの、その場所はタクシーが占拠しており、接続するバスはどうしたのだろう、と思わせる状況。バスの発車時刻になってもバスが現れないので、最初は宮津方面から来るので遅れているのかと思っていた。

いや、じつは、ポールからすこし離れたところにマイクロバスが停車していたのだが、てっきり旅館か何かの送迎バスだと思っていたのだ。なにげに、そのバスの前に行くと、行き先に「SL広場」、とあってこれが路線バスだったのだ。すでに発車時刻は過ぎているのだったが、運転手に確認すると、やはり、このバスだった。

列車からバスに乗り換える人が、ほかにいれば戸惑うこともなかっただろうが、乗客はひとりしかいない。でも、まあ、乗れたからよし、としよう。
運転手によると、3分くらい遅らせて発車しないと、途中のバス停通過が時刻表より早くなってしまうらしい。そのおかげで乗れたわけだ。
このバスで、終点のSL広場まで乗ったのだが、途中、誰も乗ってこず、ひとり、貸切状態ではあったけれど。

バスはしばらく走ると、道路に沿って街並みが途切れず続いている。そこが加悦の町である。以前訪れた「SL広場」は、加悦鉄道加悦駅構内にあったのだが、バスは街並みを離れ、数分、山手のほうに向かい、そんなところに、「SL広場」があった。

旧加悦駅構内から移転してきたらしい。加悦駅舎も移築され、事務所兼加悦鉄道資料館として利用されている。広場には、食堂もあったけど、手作りパン屋もあったので、手っ取り早いので、パンを購入、パンをかじりながら、展示されている車両を見てまわる。ここは、もともとニッケル鉱山のあったところで、加悦鉄道は鉱山と港を結ぶ鉄道だった。その鉱山駅跡地に「SL広場」が設けられたわけだ。鉄道廃線跡はサイクリング道になっている。

「SL広場」をひとまわりしてから、廃線跡のサイクリング道を加悦の町まで急ぎ足で向かう。レンタサイクルで「SL広場」に向かっている出会った。バスに頼らずそういう手もあったのだな。

加悦の町並は重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。丹後ちじみの産地として栄えた町とのことである。
最近の指定地区というのは、制度の始まったころの、作りもんみたいな雰囲気をもつ街並みに比べ、すこし前には、どこでも見られたような、そんな感じの町並である。もとの街並みをぶち壊す新築、改築が行われてこなかったのが指定につながっているのだろう。

加悦は、町村合併で、いまは、与謝野町になっているようだ。真新しい分庁舎が建っているのは、もとの加悦駅があった場所だと思う。昭和初期に建てられた旧加悦町役場が残されていて、いまは、みやげ物屋として使われている。

きょうは荒れ模様の天気になるようなので、早めに帰ろうと思う。と、いっても、バスの本数が限られるので、それにあわすほかない。加悦フェローバスは、加悦鉄道の代替バスだと思うのだが、この路線バスだけかと思っていたら、丹海バスも走っていた。加悦バスを待っていたら、丹海バスが来たので、それに乗った。こちらのバスは、マイクロでなくふつうのサイズ。

天気が荒れてこないうちに帰ろうと、福知山まで特急に乗ろうと思う。野田川駅では窓口切符を売っていたので、硬券の切符が入手できるか、と思ったのだが、タンゴ鉄道内は、自動券売機で買うように案内されてしまった。あえて硬券を頼めば、あったのかもしれないが、窓口ではJR線連絡切符をおいているのだろう。

野田川から宮津まで各停列車で行き、そこで待っていた宮福線経由京都行きの特急に乗り継ぐ。宮福線は天橋立まで電化されていて、電車は早い。宮福線に乗るのは、開業時に乗って以来。

宮福線の福知山駅は、開業当時のまま平地にあるが、JR線に乗り入れる電車は、その駅の手前で高架の福知山駅への連絡線のほうに進み、JR駅に着く。
福知山線の各停電車に乗り換えて帰る。(2007.03.31)



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