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近江今津から安曇川・近江舞子へ


[近江今津]今年(2007年)3月、熊川宿に向かうさい、ここにヴォーリズ通り、というがあるのを見つけ、いちどゆっくり見てやろうと、ふたたびやってきた。

前回と同じく、近江今津駅10:03着の電車で到着、駅前の道路を湖岸のほうに向かうと、「琵琶湖周航の歌資料館」というのがある。湖岸には竹生島行の観光船桟橋がある。
湖岸に沿った道路が北国街道だったそうで、あまり街道筋の雰囲気は残ってないが、古びた旅館があったりし、ちらほらその当時が感じられる。

しばらく北に行くと、小浜に向かう街道と分岐する。そちらに向かうとあるのが、「ヴォーリズ資料館」である。旧百三十三銀行今津支店だった建物である。1923(大12)に建てられたもので、いまはヴォーリズの建築などを紹介する写真パネルなどが展示されている。

その近くにある今津商工会館は、ヴォーリズのスパニッシュ住宅を真似た建物で、ほほえましい。
資料館から少し行くと、日本基督教団今津教会がある。1934(昭9)に建てられた建物である。シンプルな立面である。

さらに行くと、旧今津郵便局がある。1936(昭11)年に建てられた建物。扉は閉められたままで、かなり傷んでいるように見える。今津駅に置いてあるパンフにも紹介している建物なのだから、日常的に使うことを考えたほうがいいのではないか。
今津には、ほかに前川邸というのがあるようだ。案内によると駅から1kmほど離れたところにある。

JR湖西線の高架を抜けて、辻川通りを行く。この界隈が今津の繁華なところだったらしい。地酒の造り酒屋があったりする。
すこし、南にいったところに旧江若鉄道近江今津駅舎が残っている。改造を受け、駅舎らしさがまったく感じられないが、勾配のきつい屋根がそのまま残っている。
江若鉄道は1921(大10)年、三井寺下−叡山間の開業をはじめ、少しずつ路線を延長してきて、今津まで開通したのはを1931(昭6)年であった。しかし、国鉄湖西線の工事に伴い1969(昭44)年10月末に廃止された。

さらに南に行くと、高島市役所別館がある。高島市は、旧高島郡の町村が合併して2005年に誕生した市であるが、これは郡民会館だった建物だろう。コンクリートの仕上げ、フロアが下になるにつれ内側に狭まり、その分、柱が出てくるところなど、ただの四角い箱でないのが、なかなかおもしろい。
駅西側には短いアーケード街がある。

[安曇川]近江今津から電車に乗り、安曇川駅で下車。駅前には中江藤樹の座像がある。安曇川駅も湖西線の高架に設けられた駅であるが、駅前として都市計画が中途半端というか、なにも考えられていない感じ。スーパーとかあるけれど、シャッターおろした商店があったりして、にぎやかさがない。

駅そばの平和堂がはいったショッピングセンターで昼食。そのあと、史跡藤樹書院跡を訪ねる。
駅前の道路を湖岸に向かうと、国道161号線と出会う。そこに道の駅「藤樹の里あどがわ」という施設がある。ここは扇の産地であるらしい。それをかたどったデザインがされている。このあたりは水が豊富で、農業用水も清く、小魚が群で泳いでいるのが見られる。

さらに行くと、陽明園という中国式の庭園がある。龍瓦という奇抜な瓦の載った塀があり、池には陽明亭という中国明代建築様式らしい瓦屋根の載ったあづま屋が建ち、大きな鯉などがゆうゆうと泳いでいる。

この庭園の名は、陽明学の祖、王陽明にちなむもので、日本の陽明学の祖中江藤樹生誕の地である安曇川と、王陽明生地、中国の余姚(よよう)市との友好交流のシンボルとして、1992年に設けられたものでらしい。

この庭園に隣接して、中江藤樹記念館がある。中江藤樹は、1608(慶長13)年、高島郡小川村の生まれ、米子藩主加藤貞泰の家臣であった祖父の養子になり米子に移住、その後、加藤氏の伊予大洲への転封より大洲に移住。27歳のとき、健康を理由に脱藩、郷里に帰る。陽明学を唱え、居宅を開放して私塾となし、大洲からやってきた武士や近郷の人々に教えを説き、近江聖人と呼ばれた。1648(慶安元)年41歳で亡くなる。

ここには、書物を中心に藤樹の遺品、書院の模型などが並べられている。書物が多いから、地味な展示内容ではある。
訪れたときは、企画展として、細川護煕元首相の書を展示していた。『週刊文春』の「ことばを旅する」という連載で、中江藤樹を取り上げたとき、この記念館を訪れたのが縁で、元首相から「明徳」という書が贈られたのだそうで、その書や連載のことが紹介されていた。

資料館に隣接して藤樹神社がある。この神社は、大正時代に建てられた神社である。
さらに南に向かうと玉林寺の門前に藤樹の墓所がある。その先に史跡藤樹書院跡がある。いまの建物は、明治15年に再建された建物。その横には「良知館」という案内所・休息所があり、ボランティアがいろいろ説明してくれるらしい。水路には大きな鯉が泳ぐ。
書院跡をあとにして駅に戻る。

[北小松から近江舞子へ]安曇川駅から電車に乗って北小松駅で下車する。

安曇川流域の平野部から高島駅を出ると比良山系が湖岸に迫ってきて、トンネルが連続する。かつての江若鉄道は、いまの国道と重なるように走っていたらしい。自転車道になっているのがそのなごりであろう。
北小松駅前にはその自転車道が伸びてきている。かつての駅のあったところに湖西線の駅ができたのだろう。この自転車道に沿って、隣の近江舞子駅まで歩いてみる。

その道は湖岸に近く、北小松から近江舞子にかけて水泳場があって、保養所のような施設が点在している。空き家もあるようだが。
湖西線が近づいてきて、廃線跡も合流し、高架下の道になる。そうこうするうちに近江舞子駅にたどり着く。近くで戸建て住宅地の造成が行われていたりするものの、にぎやかさはない駅前だ。湖岸のほうは、シーズンにはそれなりの人出があるのだろうけれど。

湖西線は江若鉄道の廃止と引き替えにできたせいか、このあたりの駅間距離は、比較的短く、北小松から近江舞子まで40分ほどで歩くことができた。
近江舞子から電車に乗り京都に向かう。(2007.9.1)


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