このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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三木から播磨町へ
[三木]六甲山系を走る神戸電鉄、沿線の山々にすこし色付いた木々が見える。暑かった秋も確実に季節が進んでいるとみえる。
粟生行の電車は、神戸市北区から西区をかすめて三木市にはいる。沿線は宅地開発されている。
きょうは、まだ乗り降りしたことがなかった恵比須駅で下車してみる。
神鉄には無人駅が多い。ここもそうだった。といっても自動改札の装置と券売機は設置されていて、「スルッと関西」のカードが使える。でも、故障することはないのかな。駅員がいないだけに不安をおぼえる。
駅から300mほどのところに戎神社があるらしい。駅名はそれにちなんでいるのだろう。駅前には、長い釣り竿持った恵比須の石造がある。
駅のそばにスーパーがあったので、飲料など調達、県道を市街地に向かう。
神鉄恵比須駅と上の丸駅の中ほどに「和田萬の別荘」があるらしい。「三木城下町まちづくり協議会」が出しているパンフ載っていたのをあとで見つけたので、現物は見てないのだが、大正時代、大阪で学校用運動具によって財を成した三木出身の『和田萬』の主人が建てた洋風の別荘らしい。
上の丸駅を過ぎ、県道をさらに行くと美嚢川にでる。その手前にナメラ商店街というアーケードのかかる商店街がある。ナメラとはなにに由来するのか、なんか意味がよくわからないが、むかしから変わった名称だなと感じている。
この商店街の南側にある丘陵部に三木城があった。城跡は公園になっていて、市立金物資料館、図書館、堀光美術館などがある。
この商店街は湯の山街道に沿ってある。この街道は、山陽道の裏街道として、西国街道の箕面から中山寺門前をへて、有馬温泉から山田川に沿って三木にいたり、ここで姫路と明石に分かれていた。山間を抜けるわりに険しい峠もなく、また、途中に有馬温泉があることからけっこう利用されたらしい。
商店街には古い町屋がわずかに残っている程度である。訪れた時刻がまだ早かったせいか、それとも日曜日のせいか、シャッターを降ろしている店舗が多かった。
商店街を道なりに進むと県道に出る。向かいに立派な町屋が残されている。旧玉置家住宅である。玄関に国登録文化財を示すプレートが掲げられている。
この建物は江戸時代後期、1826(文政9)年に建てられたもので、切手札と金銀を交換する切手会所だったらしい。いまの銀行のようなものか。公開は10時からとのことで、建物を管理している、たぶんボランティアだと思うけれど、人たちが掃除したりしていた。この向かいにあるすこし洋風の建物は歯科医院だったらしい。
そのあたりが三木市街の中心で、西へ1km近く行った町外れに三木鉄道の三木駅がある。2008年3月末で廃止が決定したこともあり、最近、訪れる人が増えたようだ。駅前で写真を撮りあっている団体さんがきていたりする。三木駅では、過去の記念切符とかオリジナルグッズを販売している。せっかくなので、入場券を1枚、記念に購入する。
三木鉄道は、国鉄再建法によって選定された第1次特定地方交通線40線区のひとつ三木線を引き継いだもので、1985年3月末で国鉄線として廃止された翌日の4月1日から第3セクターとしてスタートをきった鉄道である。20年あまり鉄道としてやってきたものの、けっきょく廃止されることになった。神戸方面に向かう人は神鉄に乗るだろうし、加古川方面に向かう人は列車よりクルマ、ということだろう。
この路線は1913(大正2)年加古川−西脇間を開通させた播州鉄道がその支線として1916(大正5)年11月厄神から別所、翌年1月に三木まで路線を伸ばしたことにはじまる。いまの三木駅舎は、たぶん開業当時からのものだろう。
播州鉄道が開業した区間としては、加古川−高砂港間(高砂線:1984年11月末で廃止、バス化)、粟生−北条町間(北条線:三木鉄道と同時の1985年3月末で廃止、第3セクター北条鉄道に転換)、西脇−鍛冶屋間(鍛冶屋線:第3次特定地方交通線に選定され、1990年3月末で廃止された)があり、1923(大正12年)播丹鉄道に譲渡されてから、谷川まで開通させた。先の戦時中、1943(昭和18)年、国に買収されて国鉄となった。
三木10:37発厄神行に乗る。どこかの町内会、10数名の団体様がいっしょに乗り込み、三木鉄道の人が添乗、沿線案内などをやってくれた。また、車内には広告の代わりに沿線の小学生が描いた絵がずらりと並べて飾られ、それを見に訪れた親子連れなども見られる。もちろんレールファンも。廃止が決まって賑わいを見せている。
厄神駅で下車。加古川方面電車は同じホーム向かい側に発着する。この駅は、たぶん、加古川線電化にあわせて橋上駅化されたのだろう。線路の南北どちらにも出られる。
この駅が開業したころは、国包だったらしいが、この駅から南東1kmほどのところにある八幡神社は、この付近の厄除八幡宮として知られ、大祭には賑わうらしい。それにちなんで駅名を厄神に改称したのだろう。
せっかくの機会なので神社のほうへ向かう。駅周辺には家々がかたまっているが、すこし歩くと田んぼが広がっている。稲刈りの終わったひこばえから稲がまた大きく伸びてる。そして、花が咲いていたりもする。10月が暑かったせいなのだろうか。
八幡神社前の県道にはバスが走っているのだが、本数は限られ、訪れた時間帯にバスはなく、しかたなく、県道を歩いて南に向かう。食堂のようなものも見かけない。コンビニがあったので空腹をまぎらわせることができた。
神社から2kmほど行くと加古大池がある。このあたり溜池が多い。1時間ほど歩いて稲美中央公園にやってきた。稲美町は鉄道路線とは縁のない地域なのでいままで訪れる機会がなかった。
ここに稲美町立郷土資料館があったので立ち寄る。資料館は無料公開の施設で、お決まりの古墳などからの出土品とか、むかしの農具とか、地域的な特色として山田疎水、淡河疎水、溜池のことなど。
とくに興味深かったのは、隣接してある「播州葡萄園歴史館」である。
播州葡萄園は、1880(明治13)年、欧州産ブドウの栽培と醸造試験などを目的に開かれたもので、明治政府の国家プロジェクトだったらしい。1888(明治21)年に民間に払い下げられたが、その後、害虫や病気でブドウの木がやられ、明治20年代の後半には廃園になったらしい。
この葡萄園に関してほとんど資料が残ってないらしいのだが、1996年7月印南地区のほ場整備事業用地から偶然、レンガ積みの施設の遺構が発見された。発掘調査が行われ、醸造場などの遺構やガラス瓶などが出土している。資料館には、葡萄園に関するパネルや出土品などが並べられていた。
稲美町役場あたりまで来るとバスの本数はすこし増えるのだが、都合よく来るバスはない。バスを待つ間にJR土山駅まで歩けそうなので、さらに歩く。けっきょく、きょうは厄神駅から土山駅まで、8kmほど歩いた。
土山駅に来るのは、別府鉄道に乗りに来て以来である。別府鉄道は1984年1月末で廃止されたから、もう20年以上前のことだ。当時は木造の駅舎だったが、いまは橋上駅化されている。駅南側には工場があったはずだが、いまは更地が広がっている。
別府鉄道は、国鉄高砂線(この路線も1984年11月末に廃止されたが)の野口駅から別府港駅までの野口線と土山駅から別府港駅までの土山線の2路線あったローカル民鉄である。野口線にはディーゼルカーが走っていたが、土山線はディーゼル機関車に牽かれた貨物車のうしろに小さな客車が1両だけつながった混合列車だった。
土山駅の南側から西のほうに伸びていた土山線の廃線跡は遊歩道「であいの道」として整備されている。この10月13日にオープンした兵庫県立考古博物館へのアプローチ道にされている。せっかくなので訪ねてみよう。
博物館は大中遺跡「播磨大中古代の村公園」に隣接してある。高床式家屋のような格好をした展望塔が建物に載っていて、それとわかる。屋上緑化とかいろいろ工夫されているようだが、この展望塔が施設の外観を陳腐なものにしている。すこし残念。
展示室を見学、遺跡、古墳などの出土品をもとに、当時の様子が再現されていたりする。子どもの観覧者を意識した展示品の紹介がなされている。体験学習室が設けられ、いろいろイベントがなされているようである。展示スペースはあまり広くない。
この施設でおもしろいなと思ったのは、発掘調査で出土した遺物を整理している作業や積み上げられたポリコンテナがいっぱい並んでいる様子を見学できることだ。当日は、日曜日だったので、作業は行われてなかったが、ユニークな試みである。この施設は展示よりそういった調査研究機関としてあるのだろう。
大中遺跡のそばには播磨町郷土資料館がある。大中遺跡の出土品などが展示されている。屋外には、なつかしい別府鉄道の機関車と客車が保存されている。
大中遺跡公園内には竪穴住居がいくつか復元されている。なかに入れるものもある。
このあと神戸方面に向かうには、JR土山駅に戻ってJRを利用するほうが運賃は安い。しかし、せっかくなので、山陽電鉄の播磨町駅に行ってみる。大中遺跡のある場所は、JR土山駅と山電播磨町駅と距離的には似たようなものである。
田んぼ、畑、住宅などが混在したところを1kmあまり行くと山陽新幹線の高架があって、その先に山陽電車が走っている。この駅、むかしは、本荘、といっていた。町役場が近くにあったりするので、播磨町、と改称したのだろう。海岸のほうに向かうと、埋め立て地に多くの工場がある。町の玄関としての駅なのだろうが、新興住宅地があったりするものの、あまり賑やかな感じはしない。
このあたりの山陽電車に乗るのは久しぶりで、知らなかったのだが、播磨町駅と東二見駅の間に西二見駅というのが設けられている。宅地開発が進み、ショッピングセンターができたりしているので駅が設けられたのだろう。
電車基地のある東二見で特急に乗り換え、須磨で各停に乗り換え、西代で下車する。山陽電鉄の起点であるが、神戸高速鉄道につながっているので、起点という感じがしない。山陽電車はもともと兵庫を起点にしていたが、阪急、阪神、山電、神鉄を結ぶ神戸高速鉄道が開通したことにより、1968年兵庫−西代間が廃止され、西代が起点になった。近くに山陽電鉄の本社がある。
西代には、今まで乗り降りする機会なく、今回はじめての下車。薄暗くなってきたなか、西代から南へ500mほどのJR新長田駅まで歩く。神戸市営地下鉄海岸線で新長田駅まできたことあるが、JR駅を利用するのは初めて。今回は、初乗り降りできた駅が増えた。(2007.10.28)
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