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室生寺/大宇陀

[宇陀へ]鶴橋でJR大阪環状線から近鉄線に乗り換えた。急行宇治山田行、上本町から約140km近く、2時間15分ほどかけて走る。特急より30分ほど余計にかかるが特急料金がいらない。もう随分むかしのことだが、伊勢からこれで帰ったことがある。

きょうは、室生寺に行ってみようと思う。急行は鶴橋を出ると奈良線と分岐する布施に停まる。このあたりは、高々架区間で見晴らしがいいのだが、布施を出ると城東貨物線を旅客輸送に転換したおおさか東線が見えてくる。放出−久宝寺間9.2kmが、3月15日のダイヤ改正に合わせて開業する。

俊徳道駅のそばにJR俊徳道駅のできているのが見える。この路線はJR大阪環状線の東側を南北に走っているのだが、高井田で大阪市地下鉄中央線と、河内永和で近鉄奈良線と連絡している。JR長瀬駅というのもできるのだが、近鉄の長瀬駅とは500mほど離れているようだ。別の駅名にしたほうがよかったのではないか。

近鉄大阪線の急行電車は、布施の次は河内国分に停まり、葛城山系の北端をかすめて奈良県にはいる。人家がほとんど見えないのは、柏原市の山中にある大阪教育大前駅付近くらいのものである。

奈良県にはいると車庫のある五位堂、この駅付近には高層住宅なとが並んでいる、JR和歌山線に近づく大和高田、橿原線乗り換え駅の大和八木、JR桜井線に接続している桜井と停まって行く。ここを過ぎると奈良盆地から山間へとはいっていく。榛原から榊原温泉口駅までは各駅停車になって、次の停車駅室生口大野で下車する。鶴橋から50分ほど。かつては、室生村であったところだが、2年ほど前、宇陀郡内大宇陀町、菟田野町、榛原町、それに室生村の3町1村が合併して宇陀市になったようだ。

室生口大野駅から室生寺まで6kmほど離れている。奈良交通のバス便がある。次のバスまで30分ほどあったので、大野寺の磨崖仏を見に行く。室生川の対岸にそそり立つ断崖に、弥勒菩薩の立像を筋彫したもので高さ13.8mある。鎌倉時代、後鳥羽上皇だか、土御門天皇だかの勅願によって春日仏師が作ったものと伝えられている。このあたり切り立った崖があちこちに露出しているのだが、こういうのを見ると、崖の陰影が仏の刻まれていそうな感じに見えて、ありがたく思えてくる。

バスはまだ来ないので、そのまま先へ歩を進める。古い地形図を見ると、室生川に沿って、くねくね道の県道が伸びているのだが、県道の拡幅工事が行われていたりする。そんなに交通量があると見えないが、室生寺を訪れた観光バスどうしが無理なく行き違いを行えるようにするためなのだろう。

三社の森というバス停まで歩いてバスを捕まえる。バスには10人ほどの乗客が乗っていた。みな室生寺に向かうひとばかり。10分ほどで門前のバス停に着いた。運賃は駅からより120円安かった。土産物屋や食堂などが並ぶ道路と川を挟んだ対岸に室生寺がある。

室生寺は女人禁制だった高野山に対して、女性の参詣を認めたことから女人高野として知られる。この寺は、飛鳥時代、天武天皇の勅願により役小角(役行者)が開いたと伝えられる。奈良時代末期の宝亀年間に興福寺の僧賢憬の手で伽藍が建てられたが、それもやがて衰えたのを、平安時代になって嵯峨天皇の頃、弘法大師が再興したとも伝えられる。

堂塔の配置は自然の地形を活かして僧坊、弥勒堂、金堂、灌頂堂(本堂)、五重塔などが建てられている。仁王門をくぐり石段を上がって左手にあるのが弥勒堂、本尊の弥勒菩薩は大師の作とも伝えられる。

そこから少し上がったところにあるのが金堂で、平安初期に建てられたままのお堂で、また、堂内に安置されている仏像群がすばらしい。本尊は釈迦如来、両側に文殊菩薩、薬師如来が控え、その外側に地蔵菩薩、十一面観音菩薩が並ぶ。釈迦、文殊、薬師は弘法大師、地蔵、十一面観音は聖徳太子の作といった言い伝えがあるらしいが、それはそれとして平安の頃からのものらしい。さらに、五体の立像の前には運慶の作と伝えられる十二神将像が並べられている。細部までよく見ようと思うとオペラグラスのようなものがあると便利。

金堂からさらに石段を登ると灌頂堂(本堂)がある。鎌倉時代に再建された。現在、補修工事かなにかが行われており、建物全体が足場で覆われている。
そこからさらに石段をあがった杉、桧の木立のなかに五重塔がある。京都、奈良の五重塔を見慣れた眼からすると、とても小さい。屋外に建つ五重塔のなかでは最小のものだそうで、高さは 16.1m。弘法大師が一夜にして建てたといわれる。土門拳の『古寺巡礼』シリーズなど、室生寺の五重塔を写真で見ていたが、こんなに小ぶりな塔だとは思わなかった。10年ほど前台風で木立が倒れたあおりを受けて大きな損傷をこうむったが、修復され美しい姿を見せてくれる。

その先には奥の院に続く小道と石段が続いている。原生林のなかを行く途中に暖地性シダ群落というのがあって、天然記念物に指定されている。長い石段を登って行くと京都清水寺の舞台のような下から柱で支えられた位牌堂があって、弘法大師42歳の像を安置してある御影堂がある。秘仏らしい。御影堂の屋根はよくみると厚板葺きで、丸瓦のかわりに丸太が並べられている。

1時間ほど室生寺を散策したのち、門前からバスで室生口大野駅に戻る。昼食を取りたいところなのだが、上本町行の電車が接続していたので、それに乗って隣の榛原へ移動する。ひと駅といっても7kmほど離れている。

[大宇陀]榛原駅前のバス乗り場で大宇陀行のバスの時間を確認すると、次のバスまで30分もない。30分近くあれば、食堂に入って昼食を取る時間はあると思えたが、せわしないような気もしたので、駅前のコンビニでパンなど買って済ます。大宇陀行のバスが停まっていたので、そこで食う。

榛原駅から大宇陀まで6kmあまり、国道370号線から166号線を走って20分ほどで着いた。大宇陀のバス停は道の駅「宇陀路大宇陀」にあった。最近、あちこちに道の駅ができているが、ここには土産物屋などが入っていて、案内所で観光パンフをもらっておく。

大宇陀はもともとは城下町として発展した町らしいのだが、江戸時代になって城は破却されたようだ。しかし、この地域の中心として、また高見峠越えの伊勢街道、いまの国道166号線が通っていて、宿場として栄えてきた。古い街並みが残る松山地区は、2年ほど前、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

道の駅から宇陀川を渡ると保存地区である。国道370号線に沿ってよい街並みが残っている。南の方には造り酒屋があって玄関先に杉玉が下がっている。北に向かうと、まちづくりセンター「千軒舎」という施設がある。明治時代に建てられた内藤家住宅を使った施設で街並み保存などに関する資料を展示する。

しばらく行くと、史跡森野旧薬園というのがある。江戸時代の中頃、森野賽郭が開園した、民間の薬園ということだ。
さらに行くと大きな看板、銅板葺で唐破風がついていて神社の社みたいな屋根がある、そんな看板があがった町屋がある。薬問屋だった細川家住宅である。江戸末期に建てられたらしく、市指定の文化財で、いまは「薬の館」として、薬関係、細川家から藤沢家に養子になった友吉が、藤沢薬品工業(現アステラス製薬)を創設した関係から藤沢薬品関係の資料や細川家関係の資料などを展示している。

町並みのなかには、建て替えられたものもあるが、なかなかいい町並みが残っている。ここが城下町だったなごりの西山西口関門を抜けて重伝建地区をあとにする。バスは国道166号線を走るので国道に出る。
バス停を探して北に向かうと五十軒バス停に行き着いた。このバス停のそばにある山岡家住宅は県指定の文化財で、かや葺き大和棟の建物が見える。

やってきたバスで榛原駅に戻る。バスに急行上本町行が接続していて、それで帰る。近鉄線もこのあたりはスルッと関西、JスルーカードやICカードが使える。鶴橋でJRに乗り換えることを考えると、JR線も使えるカードを使うと便利だ。鶴橋で大阪環状線に乗り換える。(08.03.01)


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