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おおさか東線初乗り/州見台

[おおさか東線開業]この(2008年)3月15日JRグループのダイヤ改正が行われた。この改正で夜行寝台列車のいくつかが廃止され、最終列車の見送りにどっと人が詰めかけた、なんてことが新聞記事になっている。JR西日本管内での話題といえば、おおさか東線放出−久宝寺間の部分開業だろう。開業初日、天気もいいので、さっそく乗りにでかけることにした。

JR東西線経由同志社前行快速電車に乗る。東西線内は各駅に停まり、京橋からは快速になって、次に停まる放出で下車する。放出に着いたのが9時過ぎで、ちょうど記念式典が終わったあとのようだった。べつに出発式のようなセレモニーを見に来たわけでないのでどうでもいいけど。

きょうは、始発から電車は走っているわけで、カメラ下げたりしている人も多いけれど、それほど混雑しているわけではなかった。4分の接続で久宝寺行に乗る。座れた。

放出駅は上下線それぞれホームがあって、外側を片町線が、内側をおおさか東線が使い、片町線住道・四条畷方面行電車からおおさか東線久宝寺方面行電車への乗り換え(隣のホームでは、これの逆)が便利。

放出駅を出ると、片町線の下り線(京橋方面行)がおおさか東線をオーバークロス、第二寝屋川を渡って南に向かう。阪神高速13号東大阪線の下に高井田中央駅があって大阪地下鉄中央線に接続。
高架を走るのでながめがよい。沿線には、町工場がめだつ。そこに戸建て、マンションの住宅が混在している。

JR河内永和駅で近鉄奈良線と、JR俊徳道駅で近鉄大阪線と連絡している。JR長瀬駅は近鉄線とは離れている。新加美駅を出ると関西線にならび、久宝寺駅に着く。放出−久宝寺間9.2km、14分で初乗りは終わった。
きょうは、このあと関西線に乗り換えて奈良の方へいってみようと思う。

久宝寺で5分の待ち合わせで加茂行快速電車に接続している。ここも乗り換えやすい。生駒山系の南側を迂回し、大和川に沿って上っていくと和歌山線に連絡している王寺駅で、ここからは各停になる。
奈良駅は駅高架工事中である。この工事で取り壊されそうになった旧駅舎は元の位置からすこし北側に移動したようだ。

[州見台]きょうは奈良駅の隣り、平城山駅で下車する。初めて利用する駅、関西線の線路より一段高いところに電車基地がある。この駅が設置されたのは、1985年のこと、駅付近の丘陵部の宅地開発が進められたからだろう。しかし、平城山と書いて「ならやま」と読むのは、なにか、いわれがあるのだろうか。すこし離れているけれど、近鉄京都線の平城駅は「へいじょう」なんですけどね。

手元に国土地理院の昭和47(1972)年修正測量1/25000地形図があるのだが、その当時、このあたりは奈良県と京都府の境の山林であった。しかし、ウワナベ池の東側あたりに「奈良山町」という地名が見える。いまは消えた地名なのかも知れないが、奈良山という地名はあったのだ。奈良駅と同じ漢字を使うとまぎらわし、というわけで、「平城」という漢字をあてたのだろうか?古文書などに平城と書いて「なら」と読ませる例があるのかもしれないが、駅名としては、どうかと思う。

駅前の道を北に向かう。すこし住宅とか並んでいたと思ったら、すぐに途切れ、寂しげなところにでた。駅の西側、一段高いところに国道24号線が走っているようで、道を誤ったらしい。国道に出られることを期待して、とにかく、幅の狭い鹿川という川の土手道を行く。平城駅のあるあたりは、奈良盆地から大和川に下る水系と木津川から淀川に下る分水嶺になっているようだ。また、奈良県と京都府の境でもある。そんな位置だから連続した町並みとして開発されず、県境を越えて感じが変わってしまったのだろう。

国道と京奈和自動車道が合流するあたり、その下を鹿川に沿って歩いていると、突然、「このあたりで不法投棄すると処罰されます」、という声が降ってきた。この付近を歩いている人などにセンサーが反応して、そういう音声を流すようになっているらしい。人気のない場所だけに、不法投棄が絶えないのだろう。そんなつもりで迷い込んだわけでないだけに、あまりよい感じはしない。

どうにか国道に出ることができ、州見台のほうに向かう。「州見台」と書いて何と読むのだろう、と思っていたのだが、「くにみだい」と読むことがわかった。「州」を「くに」と読むなんて、知らないと読めない。

このあたりは、京阪奈にまたがる関西学研都市のひとつとして開発されたところである。先にもあげた国土地理院の地形図を見ると、このあたりは丘陵で、いま宅地開発されているところに、標高105.9mの「州見山」があった。ふりがなは付いてないが、「くにみやま」(「くにみさん」かもしれないけれど)と読むのだろう。

近鉄平城駅近くに神功皇后陵があるけれど、神功皇后が登って国見された、といった言い伝えでもあるのかな。調べたわけでないので、はっきりしたことはいえないけれど。

関西線の上を越えて州見台地区にはいっていくと、新しいショッピングセンターができている。いや、まだ、スーパーなど工事中で、この20日に開業するようだ。隣接するホームセンターはひとあし早くオープンしていて、買物客で賑わっていた。

このあたり、住宅が建ち並んでいるが、まだ工事中とか、更地のまま、というのもたまにある。住宅メーカーの物件も多そうだか、建築家が関与したと思える、メーカー的な感じのしない住宅も見られる。

京奈和自動車道につながるメイン道を東に向かうと黒川紀章設計のバイエル薬品中央研究所がある。
さらに行くと「きっづ光科学館ふぉとん」という施設がある。このあたり、すこし前まで木津町だったのだが、相楽郡の町が合併して木津川市になったようだ。この「きっづ」というのは「木津」と子どもの複数形「Kids」の洒落ですね。隣に日本原子力研究開発機構の研究所があって、そこで光量子を研究していることから、子ども向けに光について紹介しようという施設のようだ。

せっかくなので見学させてもらう。光のあれこれを実験的に展示紹介している。波としての性質、粒子としての性質、その両方をもつ光の実験など、いろいろな装置を使って光やレーダー光についての紹介はためになりますね。全天周映像スクリーンがある光の映像ホールでは、観覧者に質問に答えさせる参加型のプログラムが上映されたりしている。子ども向けではあるが、簡単な公開実験もやっていた。それに、原研の研究施設は各地にあるが、それらの研究内容などをパネルで紹介している。

子ども相手のせいか、目で見える光、の紹介に終わっている。目で見えない光、の話がもっとあっていいのではないかと思えた。そうなると内容が難し過ぎ、危険でもあるかな。

科学館をあとに奈良に向かう。奈良駅までバスの便があるが、バス停に行くと次のバスまですこし間があったので、県道44号線を奈良に向かう。
このあたりの道路は、宅地開発で地形が少し改変されているかもしれないけれど、確か関西本線の前身関西鉄道が今のように木津経由になる前、加茂から奈良へ鉄道を通した廃線跡を利用したはずだ。

関西鉄道は、最初、東海道本線の草津から亀山を経て名古屋へ路線を延ばしたのだが、その後、柘植から奈良、そして大阪へ乗り入れることを計画した。いまの奈良線は奈良鉄道、湊町(いまのJR難波)−奈良間は大阪鉄道とそれぞれ会社が別で、関西鉄道の奈良乗り入れの話し合いがつかず、けっきょく加茂から山越えの路線を敷いて奈良市内に乗り入れることになった。1898(明治31)年のことで、奈良市内に大仏という駅が設けられた。(翌年奈良駅まで乗り入れることができた)

関西鉄道は、その後、1900(明治33)年に大阪鉄道を、1905(明治38)年に奈良鉄道を合併し、1907(明治40)年に加茂−木津間を開通させた。その結果、加茂−大仏−奈良の路線は9年ほどで廃止された。

先にもあげた国土地理院の地形図を見ると、加茂−木津間に鹿背山トンネルというトンネルがあるのだが、その南側付近には関西線から分岐して続く切取記号をもつ幅員2.5〜5.5mの道路が見える。緩くカーブした具合は、いかにも鉄道路線跡といった感じである。
奈良へ向かういまの道路は、拡幅のせいかもしれないが、けっこう勾配がきつい感じで、よくSLが走れたなと思う。
途中でバスに乗ろうかとも思ったのだが、けっきょく近鉄奈良駅まで歩き、近鉄電車で帰る。(2008.03.15)


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