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東京・新線乗り歩き

[新線乗り歩き(1)]今年(2008年)3月には、東京都営の新交通システムと横浜市営地下鉄、そして6月には、東京地下鉄の路線が開業した。まとめて初乗りしてやろうと思う。

新横浜駅で下車して、横浜線に乗り換える。まず、横浜地下鉄の新規開業路線に乗ってやろうと思う。新横浜駅にも地下鉄が通じているのだが、今回開業した路線は、既設路線と途中でクロスするものの末端の駅は、JR横浜線中山駅と東急東横線日吉駅に接しているので、中山駅に向かうことにした。

横浜線を八王子方面に向かうと丘陵にはさまれた鶴見川の谷筋を走るのだが、丘陵部に建ち並んだ緑の多い新興住宅地、沿線にちらほら残る畑やマンション、ロードサイドショップなど見ていると、なんか神戸電鉄の岡場あたりの光景に似ているなと思えた。

数分で中山駅到着、駅の案内に従って地下鉄乗り場へ。新規開業路線にグリーンラインという愛称がついている。丘陵部の緑多いニュータウンを走る色のイメージではある。既設の路線は、横浜の浜手を経由しているブルーラインというのに対して、よい色の取り合わせかもしれない。

電車に乗り、新規開業路線といっても地下鉄だからあまりおもしろみはないな、と思っていたら、中山駅を出てしばらくすると地上に出た。川があったり、丘陵部を走るのでそうなるのだろう。

電車は港北ニュータウンを突っきって日吉に向かう。センター北駅とセンター南駅であざみ野−湘南台間を結ぶ地下鉄1・3号線ブルーラインに接続している。ふたたび地下を走るようになって、中山駅から20分ほどで日吉駅に着いた。
日吉駅から東横線でそのまま渋谷に向かってもよいのだが、すこし寄り道をしよう。

[世田谷美術館]東横線渋谷行の電車に乗って、多摩川を渡り、自由が丘駅で大井町線に乗り換えた。二子玉川駅で到着したホームは中央林間方面行だったので、渋谷方面へはホームがちがうため階段を降りて上がる必要があったけれど、順調な乗り継ぎで、田園都市線に乗り換えて、次の用賀駅で下車した。

用賀駅から世田谷美術館に向かう。西へ1kmほど、砧公園に一角にある。途中で昼食を取ったりしながら、美術館への道をたどる。用賀プロムナード「いらかの道」という遊歩道で、瓦を使ったオブジェとか、『百人一首』からだと思うけれど、和歌が刻まれた瓦が敷かれている。木立にベンチが配されていたり、水路があったりもする。

世田谷美術館で行われていた企画展は、「建築がみる夢 石山修武と12の物語」というもので、「世田谷村」、プノンペンの「ひろしまハウス」など、国内はもとより海外の建築物件など、石山先生が近年手がけている12のプロジェクトを、模型、ドローイングなどで紹介していた。

世田谷美術館では、18時過ぎから、石山先生を招いて「真夏の夜の夢の又夢」という講義を展覧会場で12回行ってきたようで、訪れたとき、追加講義のチラシが置いてあり、たまたま今日が、講義日にあたっていた。当日の展覧会入場券の半券があれば、聴講できるそうなので、せっかくの機会だから、また夕方、戻ってこようかと思う。

企画展示を一巡して、2階の収蔵品展示室を見る。北大路魯山人の陶磁器、「物語が聞こえる−ぼくたちのお気に入り」というテーマで、子どもたちがお気に入りだという収蔵品が並べられていた。夏休み期間中らしい企画だ。

夕方、また、世田谷美術館に戻って来ることを考えると、それまでの間の予定をどうするか。当初の予定では、用賀駅に戻り、渋谷に出て、東京地下鉄副都心線に乗り、池袋から山手線に乗り換えて、日暮里に進み、日暮里・舎人ライナーに乗るつもりでいた。世田谷から舎人というと、23区でいえば都心の対極に位置するといえよう。それで、東京地下鉄は明日にまわし、今日は、日暮里・舎人ライナーだけ乗ることに計画を変更した。

世田谷美術館のある位置は、東急田園都市線と小田急線の中ほどにある。日暮里に行くには千代田線の西日暮里駅から歩いて500mほどだ。田園都市線が乗り入れる半蔵門線から千代田線に乗り換えられるけれど、同じルートを往復するのはおもしろくないので、小田急線の千歳船橋駅に向かうことにする。

[新線乗り歩き(2)]砧公園から世田谷通りに出るとNHK放送技術研究所がある。環八通りを越えて、桜丘の住宅街を抜ける。巨大なイオニア式オーダーを載せた建物が見える。バブルの頃、隈研吾が設計した「M2」だろう。

ようよう小田急線千歳船橋駅にたどり着き、新宿行各停電車に乗る。炎天下歩いてきただけに、車内の冷房が心地よい。
代々木上原駅で東京地下鉄千代田線に乗り換える。同じホーム反対側に電車が停まっているので乗り換えやすい。

地下鉄で都心を抜けて西日暮里にやってきた。都営日暮里・舎人ライナーは西日暮里も通るけれど、全線乗るため日暮里駅まで、一駅歩く。
地下駅から地上に出て尾久橋通りを行く。この道路の上を舎人ライナーが走っている。この高架に沿って行けばいいわけだけど、階段を登って地上に出て歩きだすとき、方向を誤りそうになることがよくある。方位の目印になるものを見つけ出せればいいのだけれど。

すこし歩くと京成電車の高架線が横切り、その先に常磐線も見えたので、方向に間違いなく、日暮里に向かっていることがわかった。日暮里界隈というのは、あまりなじみのない場所ではあるが、駅前付近は、再開発された雰囲気。

日暮里から新交通システムの日暮里・舎人ライナーに乗る。高架を走るので眺めがよい。隅田川、荒川を渡り、北に向かって一直線、20分ほどで終点の見沼代親水公園駅に着いた。足立区の北端、埼玉県に近い。ちょうど、東武伊勢崎線と埼玉高速鉄道線の中間あたりを通っている。

同じところを往復したくないのだが、東武伊勢崎線竹の塚駅まで3kmほど離れている。バスの便があるようなのだが、所要時間など不明確なこと多く、この先時間が限られていることもあり、引き返すことにした。せっかくなので、隣の舎人駅まで歩いてみる。高架の走る尾久橋通りは発見もなく、おもしろくなかった。

舎人からふたたび日暮里・舎人ライナーに乗り、今度は、西日暮里駅で下車、そのまま地下鉄千代田線に乗り換え、表参道駅で半蔵門線に乗り継ぎ、そのまま東急田園都市線に乗り入れて、ふたたび用賀駅で下車、17時をすこしまわったところで、美術館には予定通り戻ることができた。

[石山修武講義]今夜は、「真夏の夜の夢の又夢」<第16夜 「悪夢とユートピア」シニシズムを抜けだすために>というテーマで講義が行われた。

展覧会会場で行われた講義は、床に小さな座布団を並べ、関係者も加わっていたと思うけれど、30名ほどにはなっていただろう。展示室の壁に投影機で画像を映しながら、石山先生の話が始まる。

シニシズム(cynicism)冷笑主義の建築って、どんな建築なのだろう、思いながら話を聞いていたが、ここでは、ひとことでいえば、お金のためなら何でもあり、という、現代の著名な建物をも含む、建築をさしているらしい。それを抜けだすための方策として提示されたのが、気仙沼、唐桑、松崎など、自身のプロジェクト、ということが話の流れだったと理解した。

講義は質疑応答も交え、2時間近くにおよんだ。すでに美術館の正面出入口は閉められているから、職員用の通用口から美術館をあとにする。外は真っ暗で、ふつう出入りしないところから外に出たので方位がわからず、一瞬うろたえたが、目の前に、煙突に取り付けられた標識灯でそれが清掃工場であることを理解、環八通りに出れば、用賀駅へ行くことができた。
この日は、東急田園都市線から乗り入れている東京地下鉄半蔵門線水天宮駅近くのBHで泊まる。

[新線乗り歩き(3)]東京地下鉄東西線茅場町駅から地下鉄に乗り池袋に向かう。池袋に向かうのに、丸ノ内線か有楽町線に乗り換えなければならないのだが、どこで乗り換えるのがいいか、東京の地下鉄は、同じ駅名でも乗り換えにかなり歩く場合があったりするので、乗り慣れてないと、そこらの判断が難しい。

で、けっきょく、大手町駅で下車し、丸ノ内線に乗り換えることにした。東西線と丸ノ内線、同じ駅名でも、いったん改札を抜けて乗り換える。乗り換え専用の改札を通らないと乗車券が回収されてしまうから、地下鉄の乗り方を知ってないととまどう。駅には、「地下鉄の乗り方」というチラシや日本語・英語・中文・ハングルが記された冊子が置いてある。

池袋に向かう丸ノ地線は、御茶ノ水とか後楽園とかで地上に顔を出しながら走り、15分ほどで池袋に到着。丸ノ内線から副都心線へは地下通路でつながっていた。副都心線は池袋から先は有楽町線と合流するけど、それぞれのホームは離れている。東京地下鉄はいろいろややこしい。

副都心線の電車に乗る。次の雑司ヶ谷駅は都電荒川線の鬼子母神前電停に近いようだ。明治通りを下って行って、東新宿で都営大江戸線、新宿三丁目で丸ノ内線、明治神宮前で千代田線に連絡している。15分あまりで渋谷駅に着いた。そうとう地下深い位置にホームがあるような感じだ。ホームが余分に設けられているのは、将来東急東横線が乗り入れてくるのだろう。

ここに、安藤さんが関与した「地宙船」の模型がおかれている。この地下駅ホーム空間の一部に、長さ80m、幅24mの長楕円球を挿入したというもの。巨大な吹き抜けと曲面壁で気流を制御することなどで環境負荷低減を考えた空間ということだ。

[散策]地下を適当に歩いて地上に出ると宮下公園のあたりに出た。明治通りから一本東にはいったキャットストリートとかいう遊歩道を歩く。まだ早朝のことで人通りもほとんどなく静か。個性的な外観をした店があちらこちらにある。著名な建築家の関与した建物も。

広い通りに出ると表参道で、同潤会青山アパートがあったところだ。真新しい建物に、昔の建物が一部復元されていたりする。地上部分だけちらりと見てもしかたないか。

別の道をとって渋谷駅に戻る。神宮前5丁目付近は、道がわかりにくい。ふつうの住宅みたいなのも多いけれど、そうしたわかりにくいところを探して目的の店に行く、みたいなところが、おもしろいのかもしれない。 

渋谷から東急東横線に乗って田園調布に行く。90年代に東横線の複々線化工事が行われ、田園調布−多摩川間が地下に移された。この工事のため、田園調布のシンボル的存在であった駅舎もいったん取り壊されたが、地下化完成後に復元されたようだ。

駅西側は、駅を中心に放射状の道路と円弧状の道路、緑豊かな高級住宅地といった佇まいを残す。古びた洋館も少し残っているようだが、成金趣味的な住宅も見られる。

住宅街を抜けて西に向かうと、東急大井町線の九品仏駅がある。駅から北500mほどのところに浄真寺という寺があり、ここに九体の阿弥陀像があることから九品仏といわれる。もとは世田谷吉良家の家人大平出羽守の館跡だったところを寛文の頃に寺地としたのだそうで、江戸時代初期の創建になる寺院である。鷺の姿に似たサギソウという花が咲いて、珍しい植物なのだろう、望遠つけたカメラを向ける人も多い。

九品仏駅から2駅二子玉川寄りに等々力駅がある。駅の近くに等々力渓谷という渓谷があるので行ってみる。こんなところに渓谷が・・・、という感じのところであったが、多摩川に流れ込む小川の両岸は鬱蒼とした樹木におおわれ、それなりの趣のあるところであった。

等々力駅から東急大井町線に乗り、大岡山で目黒線に乗り継いで目黒に出る。目黒駅のそばに聖アンセルモ目黒教会がある。1954年に建てられた聖堂の設計はアントニン・レーモンド、50尺(15.15m)の正方断面、奥行100尺(30.3m)と明快な形に、壁から柱のように三角飛び出ている窓が8列並ぶ。内部は、鋼製型枠コンクリート打放し、聖壇背後の円を重ねた造形などもレーモンドが手がけたらしい。

目黒からJR山手線で渋谷に出て、そこから東京地下鉄副都心線に乗り換え、新宿三丁目で丸ノ内線に乗り継いで、南阿佐ヶ谷駅で下車する。阿佐ヶ谷団地を見に行く。

ここは、1958年日本住宅公団が供給した分譲の集合住宅である。4階建てRCの集合住宅もあるが、350戸のうち232戸は2階建てのテラスハウスが並ぶ。テラスハウスのうち174戸分は、前川國男が標準設計したものである。壁をコンクリートブロックで構成している。老朽化が進み、建て替え計画が進行中だそうで、すでに空き家となっているところも多い。木々も多く敷地もゆったりした低層団地で、どこか日本離れした雰囲気すらある。

JR阿佐ヶ谷駅のほうに向かうと、アーケード街では、ちょうど「阿佐ヶ谷七夕まつり」というのをやっていて、けっこうな人出で賑わっていた。吉村順三設計の「阿佐ヶ谷の家」、その隣にある六角鬼丈設計の「杉並区役所阿佐ヶ谷北出張所」などを見ながら阿佐ヶ谷駅へ。(2008.08.08〜08.09)

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