京都漫歩
白沙村荘 / 岩倉
二条城 / 上賀茂神社・下鴨神社
伏見稲荷大社「お茶屋」
東福寺退耕庵
妙心寺衡梅院
詩仙堂・曼殊院
[白沙村荘] 阪急京都線烏丸駅で下車、東側改札口から地上に上がって、四条高倉バス停でバスを待つ。
まず、白沙村荘(橋本関雪記念館)に行こうと思う。京都の非公開文化財を期間限定で公開しているが、今シーズンの特別拝観、白沙村荘では、橋本関雪の未公開作品や持仏堂が拝観できるそうだ。
5系統のバスがやってきたので乗車、この路線バスは、京都駅前を起点に岩倉操車場へ向かうのだが、平安神宮、南禅寺、銀閣寺などの観光地をめぐるのでよく混む。バスは四条通りから河原町通りを北に向かい、御池大橋を迂回して京阪三条から三条通りを東へ、神宮道を北に入って平安神宮へと向かう。
京都会館美術館前バス停で、かなりの人が下車してくれたので座ることができた。バスは動物園のそばを通り、南禅寺通りから白川通りを北に進む。白川通今出川の銀閣寺道バス停で下車。疎水分流に沿って200mほど銀閣寺のほうに向かうと右手に白沙村荘がある。
ここは、京都画壇で活躍した橋本関雪の邸宅として1916(大5)年に造られたもので、東山の如意ヶ嶽を借景にした四千坪におよぶ広大な池泉回遊式庭園は、国の名勝に指定されている。
北側の入口から園内にはいると、邸宅の母屋があって、今は座敷が食事処になっていて、そこから庭園を眺めながら食事ができるようだ。ひなびた中門をくぐって、散策路にしたがって芙蓉池のまわりを巡る。
池のほとりに茶室がある。茅葺き屋根をもつ草庵風の問魚亭、池の上に張り出している。待合いとしても使われるのだろう。池をはさんで向かいに憩寂庵、この庵は高台寺圓徳院にあった遠州好みの茶室を関雪が写したものらしい。床柱は奈良東大寺の材をもってきたとのこと。
池をまわりこんでさらに行くと、存古楼という関雪のアトリエが園の中心にある。室内には橋本関雪の作品が展示されている。係りの人がアトリエや展示されている絵画の簡単な紹介をしてくれたりする。芙蓉池には鯉が泳いでいる。まるで日本画のいちシーンを見るような優雅な感じで泳いでいる。
存古楼の隣に持仏堂がある。重文の地蔵菩薩などが安置されている。係員の説明によると、かつてはほかにも多くの仏像があったらしいのだが、散逸してしまったらしい。持仏堂の裏手の築山には「藪の羅漢」と称される羅漢の石仏が点在している。
順路のいちばん奥まったところにあるのが記念館である。建物の位置としては北側の道路に近く、園内をUの字に歩いてきたようなものだ。ここには、関雪の作品や資料が展示されている。作品展示スペースは広くない。係りの人が作品の案内をしてくれたりする。今回は「四皓帰山(しこうきざん)」という大作などが展示されていた。この作品、もともとは、西脇の来住家にあったものらしい。
記念館をあとに、来た順路を逆にたどって入口に戻る。園内には登録文化財になっている洋館も残っている。この建物は「ノアノア」という喫茶・食事処になっていて、北側の道路からはいれる。客席を多くするためか、道路側は、増築されているように見える。奥のほうが昔のままの建物なのだろう。
[岩倉]これから叡山電車に乗って、岩倉に行ってみようと思う。白川通り今出川から今出川通りを西に向かうと京大のそばを通って出町柳駅に出られる。北西方向に住宅街や京大を突っ切って行けば元田中駅にも行ける。白川通りを北にとり、京都造形芸大のそばで、西に向かえば茶山駅に出る。どのルートを取ってもいいのだが、けっきょく、白川通りを北に向かい、京都造形大前にあった牛丼屋で昼食を取り、茶山駅に出た。
叡電沿線には、カメラをもった人が集まっている。あとで知ったのだが、叡電の古いタイプの電車の最終運転がされていたらしい。デジカメなどが安価で身近になり、鉄道写真とか撮る人が増えたのかなとも思う。
茶山駅から鞍馬行の電車に乗って岩倉で下車する。岩倉といえば岩倉具視、2008年のNHKの大河ドラマは、幕末が舞台で、岩倉に隠れるように過ごす岩倉具視のもとに、薩摩藩士が訪れる、なんてシーンがあったかと思うのだが、その岩倉具視幽棲旧宅が残っているので行ってみようと思う。
岩倉駅から京都市岩倉図書館へ。トイレに立ち寄るついでに、建物を見る。あたりに建つ建物のスケールにあわせたような感じの建物である。開架図書のフロアは木のトラスで屋根を支えている。吉村篤一設計。
こからさらに北へ1kmほどのところ、実相院という紅葉の名所の近くに岩倉具視旧宅がある。このあたり病院がいくつかかたまってある。
岩倉具視は、文久2(1862)年から慶応3(1867)年まで、5年あまり岩倉に幽居していたのだそうだ。旧宅は、南側に古びた藁葺き屋根の平屋と北側に瓦葺き屋根の平屋が並び、廊下でつながっている。北側の建物は大工藤吉の家を購入したもので、南側は元治元(1864)年に具視が増築したものだそうだ。
旧宅は国の史跡に指定されている。また、具視関係の資料、遺品などが対岳文庫の展示室に展示されている。
旧宅の建物は、あまり手入れされているようには見えない。こうやって残っているだけでも価値があるということなのだろう。
せっかくなので実相院も訪れてみよう。紅葉にはまだ早いが多くの人が訪れている。
実相院は、天台宗寺門派に属し、寛喜元(1229)年、静基(じょうき)僧正の開基にかかる。僧正は五摂家のひとつ近衛家の出て、以後の住持も摂家から入ったので門跡寺院となった。寺は始め紫野にあったが、応仁の乱にさいして今の地に移ったようだ。今ある建物は、享保5(1720)年、東山天皇中宮・承秋門院の大宮御所の旧殿、四脚門を賜った女院御所の遺構という。上段の間など各部屋には江戸時代中期に活躍した狩野永敬ら狩野派の襖絵がめぐらされている。
また、ここには幕末のころの世相を伝える「実相院日記」が残されており、NKH大河ドラマにちなみ、篤姫や和宮のことにふれられたページが紹介されていた。また、伏見・寺田屋のあったあたりが燃えた、ということを記録したページなども紹介されていた。
実相院の襖絵や庭を眺めたのち、岩倉川沿いに下って、京都市営地下鉄国際会館駅に出る。国際会館では、要人を招いたイベントが行われているようで、いたるところ、警官が立ち番したり、巡回していた。
地下鉄に乗り、四条に出て、阪急に乗り継いで帰る。(2008.11.01)
[二条城]JR京都駅で山陰本線の各停電車に乗り換えて、二条の次の円町駅で下車する。二条−花園間にあるこの駅は、2000年9月同区間が高架複線化されたときに設けられた。西大路通りよりほんの少し西にある。
駅から西大路通りに出て、少し下ったところから旧二条通りを東に向かう。しばらく行くと、聚楽廻という地名がある。ちょうど山陰本線に分断されたような格好になっている町だが、これは、豊臣秀吉が京都に造った聚楽第にちなむ。
大正時代頃の話だと思うのが、その頃、聚楽廻町あたりに窪地があったそうで、それが聚楽第の堀の跡である、というのを何かで読んだことがある。真偽のほどは定かでない。
聚楽第は1587年に完成、後陽成天皇を招いたりしたそうだが、ほどなく壊されて伏見城に移された。西本願寺飛雲閣、大徳寺唐門は、さらなる移築による聚楽第の遺構らしい。
JR線の下を抜けて千本通りに出る。通りの東側は上京区で聚楽町に出世稲荷がある。立身出世した豊臣秀吉のゆかりある稲荷である。千本通りは、平安京の時代、朱雀大路だったという通りで、このあたり、朱雀の名をつけた小学校とか、高校がある。さらに東に進むと二条城の外堀に突き当たる。
今日は、まず二条城を訪ねてみよう。入口は東大手門なので、堀に沿って南側をまわっていく。正式には、「元離宮二条城」というようだ。二条城は1603(慶長8)年徳川家康が築造したもので、その後、江戸幕府の京都の拠点だったわけだが、1867(慶応3)年、15代将軍慶喜が大政奉還の策を決行したのもここであった。1884(明治17)年に離宮とされたが、1939(昭和14)年に京都市に下賜された。その経緯あって元離宮なわけである。国宝、重文数多く、1994年にはユネスコの世界遺産に登録されている。
まず、東大手門からはいって、その北側の事務所、休息所の並びにある築城400年記念展示・収蔵館を見学する。二の丸御殿には障壁画をはじめ天井画も含めると2000面(うち1000面近くが重文とのこと)以上の作品があるらしいのだが、恒久的に保存するため障壁画の模写を行っていて、順次原画とはめ換えられている。その原画の保存展示を行っている施設だ。今回は大広間にある「松鷹図」が展示されていた。
さて、東大手門に戻って、南側を回り込んだところにあるのが壮大な唐門である。四脚門で左右は切妻、前後に唐破風を有し、随所に精巧な彫刻が施された豪華な門である。桃山城の遺構と伝えられる。
この門を入ると二の丸御殿の御車寄があり、遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、城書院の6棟が雁行して並んでいる。きょうは残念ながら、御殿に上がれないが、かわりに国の特別名勝に指定されている二の丸庭園が公開されている。
この庭園に池があり、その真ん中にあるのが蓬莱島、その左右に鶴亀の島を配してる。池の西北隅に滝がある。江戸時代には遠く鴨川から水を引き、北大手門から城内に導き滝を落として池に注いだとされる。このようなの石組みは、大広間から見られることを考えての配置である。
しかし、庭園南側は、もらったパンフの写真のように、南側からの眺めを考えた石組みである。これは、1626(寛永3)年の後水尾天皇の行幸にさいして、行幸殿が池の南側に造営されたことにあわせて庭園が改築作庭されたものであろうとされる。このときの造営には小堀遠州が奉行をしており、改築作庭にかかわたったことはまちがいないだろう。
南側にまわれないようになっているのはすこし残念。
二の丸庭園から内堀を渡り本丸庭園にはいる。本丸には、かつて五層の天守閣がそびえていたらしいが、1750(寛延3)年、落雷により焼失、また1788(天明8)年には大火による類焼で本丸内の殿舎をなくしてしまったらしい。いま本丸内にある建物は、京都御苑にあった旧桂宮御殿(1847(弘化4)年に建てられたもの)を1893〜94(明治26〜27)年に移築したものだ。宮御殿の遺構として貴重なものということで重文に指定されている。本丸庭園はこのころに作庭されたもの。
この日、二の丸御殿車寄では、子どもたちが和太鼓の演奏を披露していた。
[上賀茂神社・下鴨神社]二条城前バス停から9系統西賀茂車庫前行の市バスに乗り上賀茂神社に行ってみる。バスは堀川通りをまっすぐ北に向かい、25分ほどで上賀茂御薗橋バス停に着いた。御薗橋を渡って上賀茂神社に詣でる。
正式には賀茂別雷(かもわけいかずち)神社というらしい。祭神は玉依姫命(たまよりひめのみこと)の御子であらせられる賀茂別雷神。桓武天皇の遷都後は、下鴨神社とともに王城の鎮護として崇敬をあつめた。
一の鳥居をくぐり、北に進んでいくと神馬が参拝者から餌をもらっている。二の鳥居をくぐると細殿、舞殿などが並んでいる。円錐形の盛砂がある。御手洗川の小川を渡り朱塗りの楼門から本殿のほうへと進む。本殿は透廊を隔てて拝する。本殿は権殿と並び建ち、ともに三間社流れ造り、国宝である。
上賀茂神社の門前から東へ、清流の流れる小川に沿って土塀に囲まれた屋敷が並んでいる。上賀茂神社に仕える人たちが暮らした町並みは、社家町として重伝建地区に指定されている。
上賀茂神社から東へ500mほど離れたところに大田神社があるが、その前にある大田の沢カキツバタ群落がある。いまは、寒々とした沼でしかないけれど。
適当に南に下って行くと北山通りに出る。せっかくなので、下鴨神社も訪れてみよう、と下鴨中通りを下っていく。
上賀茂神社は、参拝者は多かったけれど、それほど混雑という感じではなかったのだが、下鴨神社はすごい人出だった。境内で、王朝装束をまとった人たちにより蹴鞠が奉納される、というので、その見物客も多かった。京阪電車の出町柳駅から近いので、参拝しやすいこともあろうか。
この神社、正式には賀茂御祖(かもみおや)神社といい、玉依姫命と賀茂健角身命(かもたけつぬみのみこと)を祀っている。このおふたかたが、上賀茂神社の祭神である賀茂別雷神の祖父と母にあたることから賀茂御祖神社というそうだ。
それにしても人が多かった。ちょうど拝殿の前に並んでお祓いを受けていた古装束の人たちが蹴鞠初めをするのだろう。参拝もそこそこに退散する。その日の夜のテレビのニュースで蹴鞠初めのことが報じられていた。見物人のひとりになっていたら、テレビに映っていたかもしれない。
葵橋を渡り、河原町今出川に出る。このまま河原町通りを下っていってもいいのだが、一本西側の寺町通りを下って、阪急電車の河原町駅まで歩く。(09.01.04)
[伏見稲荷大社「お茶屋」]京阪電車の伏見稲荷駅で下車して伏見稲荷大社に詣でる。1月も10日であるが参道は詣でる人で混雑している。
今日から「京の冬の旅」キャンペーンが始まった。さまざまなイベントやふだん非公開の文化財が特別に公開される、という冬の京都の恒例行事である。今回特別公開される文化財のひとつに伏見稲荷大社の「お茶屋」がある。
この建物は、1641(寛永18)年後水尾院より下賜されたもので、御所の古御殿の一部らしい。書院式茶室の遺構とされるもので、16世紀末から17世紀初頭に建てられたと考えられている。
「お茶屋」は、8畳の下の間と、7畳に1畳の床をもつ上の間があって、床の右手には花頭窓のある付け書院、左手には違い棚がある。部屋の両側には縁がある。
下の間の左手に、4畳間があって、東側の板戸をあけると広縁に出る。書院形式の茶は、草庵形式のようにその場で茶をたてないで、別のところでたてた茶を運んだようだから、ここで茶をたててもっていったのだろう。
この「お茶屋」の建物の奥に「松ノ下屋」がある。明治時代の神主をやっていた松本氏の邸宅だったというところで、ここの襖に棟方志功が絵を描いていて、これが公開されている。そして東側には稲荷山の斜面を活かした「松ノ下屋庭園」がある。写真が撮れないのが残念。カメラを持つ人は、傍若無人なふるまいをするように見られているのだろうな。
JR稲荷駅から奈良線の電車に乗って京都駅で新快速に乗り換え大阪に向かう。(09.01.10)
[東福寺退耕庵]京都駅で下車し、まず、京都国立博物館へ行く。七条通りを東に向かい鴨川を渡り歩いて15分ほど。ひさしぶりに訪れた博物館の旧来の西側にある門は工事が行われていて、南側にチケット売り場とゲートが設けられている。
きょうは「京都御所ゆかりの至宝 甦る宮廷文化の美」という展覧会を見る。この展覧会は、天皇御即位20年記念の特別展で、歴代天皇のゆかりの品々、宸翰(天皇の直筆)、下賜品や御所の障壁画、屏風など、国宝、重文を含む名品が集められている。なかなか盛況である。