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九州漫歩通信
第6号 1993年4月1日発行



福岡
福岡へ出かけるとき、高速バスをよく利用する。福岡都市高速道を走るときの眺めがよい。高速道の高みから石堂川沿いの寺社が並ぶ御供所町界隈、二階建の町屋が残る具服町界隈、博多埠頭の話題のスポット、ベイサイドプレイス、などを眺めて天神北ランプを下る。市街地を一巡した格好だ。

天神は福岡一繁華なところで、かつては県庁舎、市庁舎などの近代建築が並んでいた。市役所は建て替えられ、県庁舎の移転跡地は天神中央公園になっている。この公園には県庁舎に使用されていた石柱がモニュメントとして残されている。

天神地区官庁街の公共建築として唯一残されているが旧福岡県公会堂貴賓館である。第13回九州沖縄八県連合共進会の開催にあたり来賓接待所を兼ねて明治43年に建てられた木造二階建ての建物だ。現在、国指定重要文化財になっており内部も見学できる。

ここから北へ200mほど行くと旧日本生命九州支社がある。辰野金吾・片岡安の設計になる明治42年に建てられた煉瓦造三階建ての建物である。国指定重要文化財で、福岡市歴史資料館として使用されていたが、現在、補修工事が行われている。


九州大学
九州大学は教養部のある六本松地区、付属病院や医、歯、薬学部のある馬出地区、理工系、文化系学部の集まる箱崎地区などに分散している。このなかで近代建築が残っているのが、馬出地区と箱崎地区である。

馬出地区には明治36年医科大学創立当時の門衛所、解剖学教室をはじめ大正末から昭和初期の鉄筋コンクリート造の建物が残っている。しかし、すでに使用されていない建物もある。廃虚のような建物の裏手に正木博士の解放治療場があったのかもしれない、などと想像するのも楽しい。

馬出地区から地下鉄で二駅の箱崎地区の工学部、農学部の建物に近代建築が多く残っている。現在、大学事務局本部に使われている煉瓦造の建物(大正14年)や鉄筋コンクリート造の校舎がいろいろな造形を見せ、楽しめる。

なお、箱崎地区が福岡空港の騒音に悩まされていることや教養部キャンパスと分散していることの解消に西区へ移転統合する計画が進行中である。当面、馬出地区の医学部などは移転しないようだが、箱崎地区の工学部等が移転すると現在の建物は失われる可能性が高い。

福岡漫歩
高速バスによる天神のバス停は福岡中央郵便局前である。昭和通りを東に向かうと300mほどで那珂川でそのそばに旧日本生命九州支社(明治42年)がある。西中島橋を渡ると中州で、昭和通りから明治通り付近にかけてが劇場街になっている。

明治通りに面して百貨店の玉屋(昭和8年)がある。博多川を渡ると下川端、上川端商店街が南北に伸びている。しかし、天神の商店街に比べて暗い。通りかかる時間帯が悪いせいか、アーケード街の人通りはまばらだ。

明治通りに面している西日本銀行博多支店(旧十五銀行)は大正10年の建物だが、明治通りの拡張のため通りに面した部分が削られ、側面が辛うじて近代建築らしさを出している。

綱場町から北西のほうへ進むと、奈良屋小学校(昭和7年)がある。福岡市内でも昭和初期に鉄筋コンクリート造の校舎が多く建てられている。大名小学校(昭和4年)、春吉小学校(昭和2年)などが現存しているが、警固小学校(昭和7年)が昨年建て替えられたように今後は失われてしまうのだろう。

神屋町に進むと、玄関周り、窓枠などをタイルで装飾した木造二階建て、下宿屋のような建物がいくつか残っていた。旅館をやっているところもある。マンションなども建っており、すでに住宅街なのだが、戦後のいわくありげな区画のなごりのようである。

那の津通りを越えて石城町にはいると「博多温泉劇場」というのがあった。かつて、那の津通りには市内電車が走り、千鳥橋を渡ったところには博多湾鉄道の新博多駅があった。御笠(石堂)川沿いに「新三浦」という老舗の料亭があるが、かつてはこの界隈も賑わっていたのかもしれない。しかし、今の温泉劇場にやってくる人はどの程度だろうか。

臨港貨物線を越えると中央埠頭である。1月に都市高速道の上からここに博多運輸倉庫(昭和初期)の残っていることを確認していたのだが、ひと月ほどたって訪れてみると影も形もなかった。

福岡の街も重要文化財に指定されたりしている一部の例を除いて、近代建築が淘汰されつつあるようだ。最近の例では、市役所の南側にあった福岡アメリカンセンター(福岡銀行集会所 昭和11年)が取り壊された。二月下旬から三月上旬にかけての出来事である。
新しい建築から
福岡市内に建てられた磯崎新氏や彼の門下の建築家の作品として次のような物件がある。
◎ネクサスワールド(91年)香椎浜にあるネクサスワールドは磯崎新氏が総合コーディネーターを努めた集合住宅群で、内外六人の建築家が競作したもの。二期工事では磯崎氏設計の高層マンションが予定されている。建物には設計者の案内がなされている。

◎ハイアット・レジデンシャルスイート(92年)シーサイドももちに建てられた中長期滞在客用の高級賃貸住宅。設計は三浦紀之氏。「ホテル海の中道」(87年)も氏の設計である。
ももちには他に黒川紀章、葉祥栄氏ら著名な建築家が関与した集合住宅や一戸建て住宅街がある。残念ながら、設計者の案内などないが、楽しめるところだ。
この付近には福岡タワーや今春(93年)オープンするドーム球場がある。

◎ZETA(ゼータ 91年)大濠公園の南、草香江にある高級スポーツクラブ。西岡弘氏の設計。


佐世保
佐世保は日本海軍の鎮守府がおかれ、軍港として発展した街である。
駅前の近くに三浦町教会がある。一段高いところにあるのでゴシック風の尖塔がひときわめだつ。昭和6年の竣工だがお色直しが施されているので古さを感じさせない。

佐世保公園には戦災を免れた旧鎮守府の木造官舎が残っている。以前は資料館として利用されていたようだが、老朽化して危険とのことで、現在は閉鎖されており、近付けないようになっている。

公園の近くの市民文化ホールは大正12年佐世保海軍凱旋記念館として建てられた建物だ。戦後は米軍に接収されていたが、返還され市民文化ホールとなった。

九十九島の遊覧船が出ている鹿子前に向かう道路沿いは米軍基地、佐世保重工の工場が並んでいる。敷地内には煉瓦造の建物がけっこう残っているようだ。


◎足をのばせば
佐世保市街地からバスに乗ってで一時間ほど。沖に北九十九島の島々が点在するリアス式海岸に沿って走る。神崎入口バス停で下車して15分ほど歩くと神崎の集落でここには昭和5年に建てられたゴシック風の神崎教会がある。小佐々町の文化財に指定されている。

無人となった煉瓦建築はどうなる?
この建物は島原鉄道本諌早駅から南へ歩いて20分ほどのところにある旧長崎刑務所の本館である。すでに刑務所に隣接した官舎などは取り壊しがすすんでいる。昨年(92年)7月、別の場所に刑務所が移され、今は無人である。(2月13日撮影)



大分
駅前から北に伸びるメインストリートの商店街を「赤レンガ通商店街」という。辰野金吾・片岡安の設計になる旧第二十三銀行の煉瓦造の建物にちなむらしい。ただし、現在、建っている建物は、そっくりそのままの外観で建て替えられた建物で、「赤レンガ館」の愛称をもつ大分銀行の支店になっている。

この通りをさらに行くと、第一勧業銀行大分支店がある。外観はあっさりした建物だが、室内天井いっぱいの花弁状レリーフは壮観である。

磯崎新氏は大分県の出身で、大分市内にも初期の作品などいくつか見られる。昭和通り角にある福岡シティ銀行大分支店、府内城址そばの大分県医師会館、県立中央図書館などである。

県立図書館に関して、県が手狭になったのを理由に建て替えの計画を打ち出したところ、日本建築学会が保存を求める要望書を出した。戦後の建物で保存の要望書を出したのは二例目だそうである。



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